「スリランカ留学を想起する_PART23」
前号では、世界からスリランカに留学
してきていた高校生について記した。
ぼくが留学していた1984年は偶然にも
内戦の時期であった。
犠牲者についての報道が連日なされて
いた日々を過ごした。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/satoyuki/srilanka/srilankahistory2.html#1
一方、日本は内戦がない国で、今でも
たまに幸せな国だと感じるときがある。
留学中、たまに日本人に遭遇する
ことがあった。
遭遇したときは、本当にうれしかった。
電話インフラを構築するために一人で
赴任していた
NECの方、村人に教育を施していた
青年海外協力隊の方々に遭遇した。
志を持って、仕事に従事なさって
いて、うれしかった。
その後、日本映画の上映会が
コロンボであったので出席した。
上映されたのは、「砂の器」だった。
その際に知り合ったのは、伊藤忠
商事の支店長や住友商事の副支店長
だった。
一人で郊外にホームステイしていた
日本人高校生に、
「よくこの危険な状況に耐えたね。
すぐに引っ越してきなさい」と、彼らは
自宅に招いてくれた。
感動したのは、豪勢な生活だった。
現地人と平均的生活を送っていた自分
からすると夢のような生活を送っていた。
それにも増して感動したのは、彼らの
現地人との教養ある付き合い方だった。
スリランカの歴史と現状について良く
理解し、できるだけ現地の生活に溶け
込もうとしていた。
その後、日本大使館から招待状が届いた。
「日本からスリランカへ初めて留学して
来ている高校生3名への慰労会」
のような名目のパーティーに招待された。
そこで、強烈な幻滅を感じることになる。
【続く】