「スリランカ留学を想起する_PART22」 | AKERU-STYLE

「スリランカ留学を想起する_PART22」

前号では、スリランカの紛争地に飛び込んだ
日本人僧侶の話をした。


同期のスリランカへの留学生は、日本以外

からは、オーストラリアから10名ほど、
ニュージーランドから3名が学んでいた。


彼らは、英語を話すファミリーと学校に恵まれ

ていたので、言葉の問題が基本的になかった。


加えて、スリランカは同じ英連邦(旧英国植民地)
の国だったので、教育制度や英連邦共通の

進級テスト、クリケット(ベースボールと似ている)、

ネットボール(サッカーとバスケットボールが

合わさったようなゲーム)、ラグビーなどの

英国発祥のスポーツにも、当初から親近感を

感じていた。


また、オーストラリア、ニュージーランドや

スリランカは子どものころから親日教育を受けて

いたこともあり、日本人との相性も良かった。


一方、我々の着任から半年経って、米国や

欧州からの高校留学生が来た。


米国人はスリランカの文明、文化に当初から

馴染む気がなく、不平不満を留学団体に

ぶつけて、結局数ヶ月で自主帰国してしまった

という。


一方、欧州からの留学生は、出発前に、欧州

とアジア(自分たちの旧植民地)との歴史を

オリエンテーションとして学んだという。

あるベルギーからの留学生が、当時内戦中

のスリランカについて、冷静沈着に歴史的に

分析して話してくれたことを思い出す。

もちろん、欧州からの留学生は全員1年間

任期を全うした、と聞いた。


【続く】