スリランカ留学を想起する_PART21 | AKERU-STYLE

スリランカ留学を想起する_PART21

前々号では、現地宝石商への日本語の
特訓について記した。


その他のスリランカでのエピソードを

記してみる。


1年間の留学も後半に入ったので、
戒厳令が発令されていない、停戦協定

のようなものが結ばれた後の、
治安が比較的落ち着いたタイミングで、
首都コロンボに遊びに行くようにになった。


ガタガタの公営バスに揺られて3時間の

旅は期待にあふれたものだった。


欧米の映画、ファーストフード、スーパー

マーケットなどに行くだけで楽しかった。

先進国に生まれ育った環境からは

どうしても逃れられない魅力があった。


しかし、テロというものは突然起こるものだ。


一度目は、コロンボ市内でバスに乗って

いたとき、突如爆発音とともに強烈な

地揺れにあった。

十秒ほど前にすれ違ったバスが時限爆弾で
爆発したのだった。


恐ろしい光景だったが、
ただ、「助かった....」と思った。


二度目は、中央バスターミナルで
帰宅のためにバスに乗車した。

帰宅後、TVをつけると、ぼくが乗車した

30分後に時限爆弾が爆発したとの

ニュースが放映されていた。

人体が飛び散り、周辺の木々にそれらの

部分が引っかかっている生々しい映像が

恐ろしかった。

「バスの発車は30分ごとだったので、

もし次のバスに乗車していたら...
ぼくもこんな姿になっていたかもしれない」

と想像し、ガタガタ震えたのを覚えている。


命を賭ける仕事の中には、戒厳令下に

テロリストの巣窟に和平を訴えるために

飛びこむ仕事もある。


その対話をするため、紛争地に平和を

もたらすため、たった一人でテロリストの

巣窟に飛び込んだ日本人僧侶が実際に

いた。

その僧侶は空手のマスターで、一度目は

向かってくるテロリストを奇跡的にすべて

倒してしまった。

二度目には、彼は機関銃で蜂の巣にされた。

彼が蜂の巣にされた映像をTVで観たとき、
同じ日本人として涙があふれて

止まらなかった。


「命を賭けてでもやる!」と、平和な日本

でもたまに耳にすることがあるが、
命を失う危険がある環境に実際に身を

置いて仕事をしないのなら、軽々しく

口にしてはいけない言葉だと痛感した。


【続く】