「スリランカ留学を想起する_PART14 」
前号では、1984年の民族紛争の余波で
放火され炎上していたタミール人経営の商店に
シンハラ人の警察官がバケツで水をかけていると
思いきや、中身はガソリンだったという話までした。
さて、スリランカの学校は1月に新学期が
スタートする。
ぼくは2月に通い始めた。
日本では高校1年生だったので、スリランカでは
10年生の学年に加えてもらった。
ぼくが通った地方の公立学校が日本とそれと
異なっていた点として、
・校舎に電灯がない。
・校舎の窓が閉まらない(ので、大雨になれば休校
になる)
・先生は時刻どおりに出講しない。休講も多い。
・生徒が家事や家業の都合で、途中で帰宅する
ことは許可されている。
・年に数回、生徒(10~12年生)が恒例のストライキを
実施して、 授業は休講になる。
・授業料や必要な教材は全員無料。
が印象的だった。
敗戦(昭和20年)後の日本の公立学校の環境と
似ている部分があるかもしれないなあと、
ふと思ったことを覚えている。
各国からの留学生は、都市部の私立、公立の
一流校(裕福層の師弟も通っている)に通っていた。
ぼくは唯一、田舎の公立学校に通っていた。
田舎の公立学校が一流校と最も異なる点は、
英語が学校内で通じないことだ。
当時、日本語=シンハラ語辞書は存在しなかった。
タイにも日本人留学生(女性一人)が派遣されていて、
「言葉がたいへんだろう」と同情していたが、
それでもタイ語の辞書はすでにあった。
授業がシンハラ語で行われ、クラスメートの大半
はシンハラ語しか話すことができなかった。
毎日、日本語=英語、英語=シンハラ語の2冊の
辞書を駆使しての学校生活に、正直気が狂いそう
になっていた。
そして、通学し始めて1ヶ月ほど経ったころ、
ぼくは英語の教員に直訴するしかなかった。
参考:民族紛争ーシンハラ人とタミール人
http://members2.jcom.home.ne.jp/kelt/srilanka4.html
【続く】