『なんのために、教育が必要なのかⅡ』
前々回は、『なんのために、教育が必要なのか』で、
「教育」を「能力開発」に換言すれば,
この国の「教育」は一変するという話をしました。
今回はその続編です。
3年ほど前にDIARYにいただいた読者の感想を
再度披露します。
彼女は、某教育大学に勤めていて、小学校の教員養成を
本業としています。
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「失敗を大いに歓迎する」という理念にとても共感しました。
というのも、常々私は今の日本の学校教育では
ある程度質がそろった子どもたちは育つかもしれないけれど、
「天才」は出現しない、と感じているからです。
つまり、教師が一方的に答えを与えてしまい、その答えさえ覚えれば
点数がとれるというしくみ、「完璧なこと」を求めるしくみ、
そしていい学校に入ることが人生最大の目標になっている感さえある
人々の感覚に大きな疑問を覚えるのです。
子どもは無限の想像/創造性をもっています。みんなが「違う」から面白いのではないでしょうか?
「違う」ことがいじめにつながってしまうような風潮、やっぱりどこか
社会がゆがんでいるのだと思います。
追記:
友人は小学校の教壇にも立っていて、小中学校の現場もよく
知る人です。
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《「完璧なこと」を求めるしくみ》は、出題者にとっては楽かも
しれないが成人している教師より想像/創造力が高い子ども
にとっては迷惑だと思う。
バーチャルな学校のテストでいつも100点を取る子どもは
かわいそうにと、自分は思う。
実社会に出たとたんに、テストで100点が取れなくなるからだ。
もっとあいまいな市場や社内の評価にさらされる実社会では、
あらかじめ回答が用意されていないテストに日々直面するからだ。
★実社会の常識を小・中学校に導入する教育改革において、
この国は、その他の先進国より15 年~25年間、いわば2周回
遅れになってしまっている。
さて、どこから手をつければよいのか......。