2年目、初めて開幕からチームを率いた2015年シーズン。
前年も辛くも残留に導いたチーム、いきなりの昇格争いは難しいと予想したヴェルディサポーターは私を始め少なくない。そんな悪評を物ともせず一時は3位まで浮上しJ1という幻影さえ見せてくれた冨樫。
結果は8位とシーズン当初の9位という目標はクリアしたがPO進出が目前に迫るなか勝ち切れなかった脆さは今期も不安を残す。
3年目を迎える冨樫体制。富山監督に就任した前任の尻拭いをしただけの1年目とは違い試行錯誤のなかで良いときも悪いときも体験した昨期は冨樫にとっても選手にとっても学ぶシーズンに。

まぁ成績不振で冨樫解任なんてあったとしてもヴェルディに何らかの残留をしてほしい監督って初めて。アカデミーでもフロントでも冨樫は残留してほしい。
ってまだ始まってないシーズン、昨年以上に飛躍してこんな不安を感じさせない年末になると期待したいんだ。


NYCを見てわかるのは21位だつうこと。勝ち点取れなきゃ順位は上がらない。去年のラスト10の21位から始まる今期、大分の二の舞にだけはなってはならん。



リサイクル記事
『冨樫剛一選手経歴』
久々にアップします。



記事は冨樫監督が就任した2014年9月に書いた。一部追記してリサイクル。


他ブロガーさんたちは冨樫氏のコーチ、監督歴はよく書かれてるが選手歴はあまり見ない。
そこで冨樫剛一選手について。
生年月日 1971年7月15日(43歳)
出身地 神奈川県
身長 183cm
体重 77kg
ポジション DF

かくいう小生、サッカーを生で見だしたの97年からで。奇しくもその97年、コンサドーレの背番号『12』が冨樫剛一選手である。
ただこの97年が冨樫の現役生活ラストイヤーとなるのも確かで。

冨樫氏がいつからサッカーやったかは知らないが(笑)ヴェルディの前身、読売ユースAが経歴にある。この『A』とはユース、『B』がジュニアユース、『S』がジュニアを指すらしい。つまり冨樫は読売ユースAにいたエリートである。今も昔も読売(ヴェルディ)のユース入団は容易ではない。そしてそこから読売クラブに入団するなんてさらに選りすぐりなのはわかること。
同期には中村忠、河本充弘など。特にミニラは代表まで上り詰めただけに冨樫もチャンスを生かせれば…

当時を回顧してエルゴラに
「三浦知良と武田修宏の2トップを抑えたら自分は日本代表になれるんじゃないかとか、ビスマルクのパスコースを読めればとか、昔は対戦相手より紅白戦のほうがレベルが高かった。そりゃ日本代表+ブラジル人が相手ですから(笑)」
手持ちの資料でも公式の場(スカパー放送など)でも冨樫はDFとしか紹介されず明確にCBと紹介されてるのは見たことがない。まぁ今でこそ複数ポジこなすのは当たり前になったが90年代初頭はむしろ専門職ないと食っていけない世界。
今で言えば闘莉王や吉田麻也と同じクラブの新人選手と考えていいはず。余談だが冨樫監督の参謀に就任した村田達哉コーチもサテライトメンバーだったが長友佑都、酒井宏樹と同じクラブと言えるはず。やっぱ都並敏史、中村、河本と選手層は厚い。若手が易々とポジションを奪えるほどヴェルディは甘くない。
脱線した。話を冨樫に戻そう。
93年、94年のヴェルディのCBと言えば元日本代表 加藤久、ペレイラ、ハンセン、ロッサム、何より当時の日本代表 柱谷哲二がいた。2016年現在、CBの若手がいないが井林や田村相手にスタメン争うのとは明らかに環境が違う。冨樫が生きた時代、出場チャンスすらなかなか巡ってこない中でヴェルディでのリーグ戦出場はわずか2試合。
94年のヴェルディイヤーブックが手元にあり冨樫剛一の紹介文の一部を抜粋『ヴェルディ期待の大型DF。まだトップチームでの課題が多すぎる。攻守の切り替え、ディフェンス面でのコンビネーションと勉強することは多い。』
教え子の面々に一読させて奮起させたい文面だ(笑)監督も現役時代はこんな評価されてるぞ、って。

93年8月28日 岩手で行われたホームゲーム ニコス第8節 vs清水エスパルス(観客28,625人)
観客数も今では有り得ない数字だけど(笑)岩手で浦和vs鹿島とか2016年に開催したとて2万埋まるかな?
脱線した。冨樫はスタメン背番号3、89分(今と違いアディショナルタイムでもこの表記だから明確には不明)に同期の河本と交代している。前節ペレイラが負傷したか途中退場、交代したのは加藤善之。冨樫はペレイラ不在のチャンスを生かすカタチに。
スタメンはGK菊池、DF石川、冨樫、ロッサム、中村、MF加藤善、ビスマルク、北澤、ラモス、FW武田、カズ。清水には加藤久、三浦泰年がスタメン。
試合はPKまでもつれ清水がPK勝ち。冨樫デビュー戦は敗戦(監督しても選手としてもデビュー戦はほろ苦いね)それでも89分を完封し自信を深めただろう冨樫、次の出場機会は翌節となる。
93年9月3日 駒場 ニコス第9節 vs浦和レッズ(観客9,771人)
冨樫は背番号3、フルタイム出場を果たす。
スタメンはGK菊池、DF河本、冨樫、ロッサム、中村、MF加藤善、ビスマルク、北澤、ラモス、FW武田、カズ。浦和には柱谷幸一がスタメン。
試合はなんと6-0。当時の浦和のレベルもなかなかだがDFラインに22歳の河本、冨樫、中村の4年目選手を並べ、正直DFラインとボランチは加藤善でサテライト的な布陣だし前線こそ豪華だがこんな大差付くとは。179分という出場時間ではあるがリーグ戦では無失点で切り抜けた冨樫。まさにここからという時に翌節からペレイラの名前がスタメンにある。

冨樫のヴェルディでのリーグ戦出場は以上。
カップ戦は4試合出場しているが詳細(出場時間など)がわからない。
ヤマザキナビスコカップ
予選リーグA組
第1節 vs鹿島 1-1(PK負け) :冨樫 スタメンフル出場
第2節 vs市原 0-5 :冨樫 スタメンフル出場
第4節 vs広島 0-0(PK勝ち) :冨樫 途中出場(加藤善→)
第5節 vs柏 2-0 :冨樫 途中出場(戸塚→)

省略するが93年はアジアクラブ選手権にもスタメン4試合出場がある。
94年はアジアクラブ選手権に1試合出場があるが国内の大会はメンバー入りさえない。

冨樫剛一選手(93年~94年)
リーグ戦 2試合出場(179分)
カップ戦 4試合出場
アジアクラブ選手権 5試合出場

95年には横浜フリューゲルスに移籍。当時はレンタル移籍が明確にわからず。たぶんヴェルディ戦力外による完全移籍だと思うが。
横浜フリューゲルスでもリーグ戦出場1試合。95年のヴェルディイヤーブックだと横浜フリューゲルスの戦力分析に『ヴェルディからくる冨樫が岩井、薩川のCBに割って入る可能性はある』とあるんだがフリューゲルスでも大成を果たせなかった。
96年、北海道にJリーグを。そんな夢を叶えるクラブ、『コンサドーレ札幌』が東芝サッカー部を誘致するカタチで誕生。
東芝からの社員選手と冨樫を始めプロ選手が融合、まさにフュージョンしたら強いが当たり前にサッカーで飯を食う意識の差がある。チーム内で不協和音、成績も5位でJリーグ昇格を逃す。
なおこのコンサドーレ札幌立ち上げのスターティングメンバーにヴェルディ出身者も多数いる。
0DFペレイラ、3DF冨樫剛一、11FWアルシンド、15DF村田達哉、18DF足立恵蔵、22GK小池大樹
あとヴェルディ出身ではないが財前恵一前任監督(日産 横浜M→柏→札幌。実弟の宣之はヴェルディ出身)や新人の吉原宏太もスターティングメンバーである。

あと平川弘氏(日産 横浜M→横浜F→札幌 元日本代表DF)が2014年9月14日ヴェルディ監督就任の前日、札幌宮の沢で私の真後ろに平川がいて冨樫監督に話し掛けた。それに気づいて自ら駆け寄る後輩冨樫「おひさしぶりです(笑)」そう言って試合前のアップ中冨樫ユース監督は雑談し始めた。別に他愛もないお互いのご子息の近況やらなんやら5分ほど。話してたのは別に問題ないし仲良さげ。思わず振り向いて「そうなんすか?ヤスなんとかならんすかね?」とか加わりたかったが(笑)(ヤスについて触れてなかったが)
調べて気づいたが横浜Fで95年にチームメイト、96年に札幌でもチームメイト。偶然か必然か、2年連続で同じ釜の飯、ユニフォームに袖を通した二人だった。仲良いわけだな。
96年は平川が背番号2、冨樫が3、おかげでペレイラが0を背負う羽目に。97年はそのせいか冨樫は背番号12(今はサポーターナンバー)ペレイラが3をゲット。

旧JFLを混成チームで戦う札幌、その開幕戦冨樫はスタメンにいない。
初出場は第8節、vs神戸。この年の神戸は2位でJリーグに昇格するが冨樫札幌デビュー戦は神戸を2-1で撃破。CBの相方はペレイラ、左SBに村田。MFでアルシンド、得点はアルシンド、ペレイラ。ヴェルディみたいなスコアラー。

その後は平川とのポジション争い(開幕戦から3試合は平川スタメンだが第4節から村田がスタメン)を制しコンスタントに出場機会を得て札幌の成長株になる村田に比べ出たり出なかったりと不安定な冨樫。チームも低調で5位と昇格ならず。
96年出場 14試合(全30試合)
なお冨樫は96天皇杯に1試合出場しているが冨樫が出場してないvs清水(0-1)のメンバーに永井秀樹。

97年札幌はメンバーを刷新、東芝社員選手は激減しプロ選手を中心にチーム作りを進めた。冨樫も残留、飛躍を期す。
元ヴェルディだと、1GKディド、3DFペレイラ、12DF冨樫剛一、15DF村田達哉、31MF石塚啓次
他に主力となるFWバルデス、MFマラドーナは昇格の原動力になる。
冨樫は13試合1得点。
冨樫が国内大会で奪った、つうか公式戦で唯一のゴールは
8月22日第17節 vs福島(2-0 厚別)
得点者44分冨樫、89分バルデス
まぁセットプレーでしょうけど。調べようがないので冨樫さんに聞いてみてください(笑)

実はこの2試合後の
8月31日第19節 vs仙台(3-0 厚別)
これがV的人生初のサッカー観戦試合です。
メンバーは
GK………ディド
DF………ペレイラ
……冨樫…………渡辺
MF……太田…後藤
田渕……………………村田
………マラドーナ
FW……山橋…バルデス

並びはたぶん。冨樫見たことあったやん(笑)
当時は元ヴェルディとか知らんし(笑)ディドとペレイラにバルデス、マラドーナ、カタカナに夢中な中学2年生でした。
なお対戦相手ブランメル仙台には阪倉(現栃木監督)や引退したが中島浩司(元広島)とか水内(元浦和)とか。
試合は0分、38分、77分とバルデスハットトリック。オフサイドになったが幻の4得点目もあったわ。80分にはディドが鼻骨骨折して森敦彦が途中出場、髪型は坊主でレゲエではなかった。冨樫はフル出場。まっ冨樫頑張ってたわ(冨樫は全く覚えてねーけど)

あと石塚が後に札幌移籍するので順番前後するが3月のヤマザキナビスコカップで札幌はヴェルディと対戦。
予選リーグ Bグループ
3月15日第2節 vsV川崎(2-2 長崎)
GK………ディド
DF………ペレイラ
……冨樫…………渡辺
MF……太田…後藤
田渕……………………村田
………マラドーナ
FW……新村…バルデス

FW……栗原…マグロン
MF石塚……………永井
………廣長……三浦泰
DF菊池利………………石川
………林……アルジェウ
GK………菊池新
SUB 大石 山田 長谷部 渡辺 武田
45分永井→渡辺 45分菊池利→長谷部 56分栗原→武田
得点者
4分新村(札幌)
16分林(V川崎)
51分長谷部(V川崎)
53分新村(札幌)

冨樫、村田にとってヴェルディと対戦するなんて気合い入ったろう。
まして等々力での試合で冨樫は凱旋を果たす。
予選リーグ Bグループ
3月22日第4節 vsV川崎(2-2 等々力)
GK………ディド
DF………ペレイラ
……冨樫…………渡辺
MF……太田…後藤
田渕……………………浅沼
………マラドーナ
FW……新村…バルデス

FW……栗原…武田
MF石塚……………永井
………廣長……菅原
DF菊池利…………………石川
…………林……山田
GK………菊池新
SUB 大石 三浦泰 長谷部 渡辺 マグロン
45分永井→長谷部 89分廣長→渡辺
得点者
22分栗原(V川崎)
83分バルデス(札幌)
88分バルデス(札幌)
89分長谷部(V川崎)

公式戦で冨樫がヴェルディと対戦したのはたぶんこれが最初で最後(横浜Fでの出場試合がわからんけど)
痛み分けしたが、札幌は予選リーグを首位通過、ベスト8で鹿島に負け敗退。冨樫はビスマルクと対戦してる。

その後は昇格を果たすチームとは裏腹にスタメンに冨樫の名前がない。結果、97年を持って冨樫は引退を決意、26歳のこと。

まとめると
93年 V川崎
リーグ戦 2試合出場(179分)
カップ戦 4試合出場
アジアクラブ選手権 5試合出場

94年 V川崎
アジアクラブ選手権 1試合出場

95年 横浜F
リーグ戦 1試合出場

96年 札幌(JFL)
リーグ戦 14試合出場
天皇杯 1試合出場

97年 札幌(JFL)
リーグ戦 13試合出場1得点
カップ戦 8試合出場

冨樫剛一 通算成績(国内大会)
30試合 1得点


次に冨樫剛一の名前を目にしたのは私がデータに目覚めた99年か?経歴にヴェルディあったから、それで。

驚いたのが2002年、柱谷哲二が札幌監督に就任。コーチとして冨樫剛一は札幌に加わる。他に00年にV川崎監督の張外龍コーチ、GKコーチはディド、フィジカルコーチに前年までヴェルディのフィジコだった石栗建(翌年から08年までまたヴェルディ)。
まぁ降格請負人の低迷は説明不要として冨樫もJr.ユース コーチに格下げを喰らう。
2008年にヴェルディJr.ユース コーチに就任するまで何してたかわからんけど。以後2016年現在までポジションは代わりながらもヴェルディで躍動。

まさか前日に息子についてボヤいてたおじさんが翌日からヴェルディ監督になるとは思わなかったが。

さて冨樫剛一殿
ぶっちゃけ今は2016年、それほど勝てないかな?って今は感じます。
得点がやはりね、4-1-2-3つうの?ヴェルディには不向きですよ。かといってボックス4-2-2-2は得点力アップするとは思えんけど。
守備は歴代ベスト3ながら攻撃は歴代ワースト2位、テーマはやはり攻撃です。
ドウグラスが明らかに最前線で身体張るタイプでないし、一樹1トップに竜士や大輔でもいいがそれなら2シャドー気味にしたほうが。距離感半端なく悪いし。
初志貫徹ならいいけど中後でさえアンカーは務まらんと思うが。圭史を使うなら序盤は我慢です。
素人に何だかんだ言われんでも腐りかけた20位クラブの監督引き受けた冨樫の肝っ玉なら何らかの打開策ありそうだ。
文句は負けたら言う、勝ちゃいい。
開幕から勝つサッカーを。
冨樫についていきます。






PS、失礼ついでに余談書いときます。初ゴールのパフォーマンスは息子にゆりかごしたのかな?


あとはどーでもいい余談です。


















そいや息子は
冨樫凌央 1997年4月4日
逆算したら1996年6月くらいにゴール決めてました(笑)

頑張れよ凌央、親父越えろ!

以上、冨樫剛一後援会(仮)。