冨樫監督初勝利。
久々に『監督を勝たせようとする選手と試合後のインタビューでまずは選手を称えた監督』という相思相愛を見た気がする。

シーズン途中、ピンチヒッターとして監督に就任する。我々が思っている以上に難しく重圧がのし掛かる大役。
内部昇格だがアカデミーからの繰り上げ、兼任コーチだったもののヘッドコーチとしてヤスの参謀を務めていたわけでない。前任のやり方を踏襲するわけでなくスムーズに自己流にアレンジできたのは強みか。冨樫なりのやりやすさはあるし何より選手がサッカー楽しんでるみたいだし。
恐らくヤスクラスの年俸には程遠い安月給でサインした冨樫、金ではない使命感で引き受けてくれたんだろう冨樫、活気があり雰囲気が明るくなったというし以前よりチームがまとまったのは光明。
前任を今更どうのこうのいうべきでないが選手コメントで「ヤスさんを解任させたのは自分達の責任」みたいな話がないのも人徳か?
さらに竜士が荒れていたシーン。冨樫は落ち着けとまず選手に指示。前任はまず自ら乱れて第4主審とよく判定について揉めてたが。落ち着けか激昂かなら前者が好ましいです。

さて川勝時代に代行を務めたことはあるが監督としてのキャリアはこれがスタート。果たしてチームを残留に導き来期のチームを率いることが冨樫には出来るだろうか?

ヴェルディのピンチヒッター、つまり後任監督の大半は任期を迎えると退任するイメージが強い。これは新体制を迎えるにあたり、場繋ぎ的な人事をしたときほどそうなりやすい。
J1末期のころはピンチヒッターが翌年も指揮を取るが開幕から低調、やはり監督交代。そんな場繋ぎが強化に繋がるわけない。春夏秋冬問わずあっさり解任(小見なんかは休養届けの受理つうわけわからんエピもあったり)したり。

長期的な体制作りを考えれば場繋ぎはリスキー。ヤス長期政権に陰りがあるなかで冨樫を抜擢したのは結果どうしたいのか?
また場繋ぎだけのピンチヒッターにしたくない人物なのは間違いない。

ではヴェルディの監督列伝
まずいわゆる『ヴェルディ』という呼称になった1992年のナビスコ杯を指揮した監督はぺぺ。ジョゼマシアつうのが本名らしいが。
勇退という聞こえの良い理由で松木にJリーグ開幕は託された。もしぺぺ体制でJリーグを迎えたら歴史は違ったかも?松木じゃなくてもあの戦力ならJリーグ優勝は可能な話だったがいかんせん松木がスゴい監督つうイメージついてしまい01年の惨さが悲しい。


さてヴェルディ監督を列挙しよう。

▽ヴェルディ監督リスト(代行監督もリストアップ ※前任が解任もしくは辞任による代行は含むが退席によるベンチ入り停止などによるコーチの代行は含まない。例として川勝監督退席に伴う冨樫代行や三浦監督ベンチ入り停止に伴う間瀬代行など)

93年 松木安太郎 28勝8敗 勝ち点84(初代監督)

94年 松木安太郎 31勝13敗 勝ち点93
※93年、94年当時勝ち点制度はないため勝利に勝ち点3を与え算出。

※以下現在とは勝ち点制度は違うため現行の勝ち点制度で算出
95年 ネルシーニョ 35勝17敗 勝ち点105(第2代監督)

96年 ネルシーニョ 5勝4敗 勝ち点15
96年 岸野靖之 1勝2敗 勝ち点3(※代行監督)
96年 レオン 13勝5敗 勝ち点39(第3代監督)

97年 加藤久 4勝8敗 勝ち点12(第4代監督)
97年 エスピノーザ 6勝14敗 勝ち点18(第5代監督)
※97年天皇杯は川勝良一監督が指揮。

98年 ニカノール 10勝10敗 勝ち点30(第6代監督)
53勝47敗20分 勝ち点179
98年 川勝良一 3勝11敗 勝ち点9(第7代監督)

99年 松永英機 17勝11敗2分 勝ち点53(第8代監督)

00年 張外龍 12勝14敗4分 勝ち点40(第9代監督)

01年 松木安太郎 4勝10敗0分 勝ち点12(第10代監督)
01年 小見幸隆 6勝8敗2分 勝ち点20(第11代監督)

02年 小見幸隆 0勝5敗0分 勝ち点0
13勝15敗2分 勝ち点41
02年 ロリ 12勝9敗2分 勝ち点38(第12代監督)

03年 ロリ 1勝6敗0分 勝ち点3
03年 レアンドロ 2勝1敗0分 勝ち点6(※代行監督)
03年 アルディレス 8勝5敗7分 勝ち点31(第13代監督)

04年 アルディレス 11勝13敗6分 勝ち点39

05年 アルディレス 3勝7敗7分 勝ち点16
1敗 勝ち点0
05年 石崎信弘 0勝1敗0分 勝ち点0(第14代監督)
05年 バドン 3勝8敗5分 勝ち点14(第15代監督)

06年 ラモス瑠偉 21勝19敗8分 勝ち点71(第16代監督)

07年 ラモス瑠偉 26勝11敗11分 勝ち点89

08年 柱谷哲二 10勝17敗7分 勝ち点37(第17代監督)

09年 高木琢也 17勝18敗9分 勝ち点60(第18代監督)
09年 松田岳夫 4勝1敗2分 勝ち点14(第19代監督)

10年 川勝良一 17勝12敗7分 勝ち点58(第20代監督)

11年 川勝良一 16勝11敗11分 勝ち点59

12年 川勝良一 17勝13敗2分 勝ち点53
12年 高橋真一郎 3勝3敗4分 勝ち点13(第21代監督)

13年 三浦泰年 14勝14敗14分 勝ち点56(第22代監督)

14年  三浦泰年  6勝16敗9分 勝ち点27
14年 冨樫剛一 1勝1敗 勝ち点3(第23代監督)

松木から冨樫までで代行を除き、歴代21名が監督を勤めている。その内13名が日本人監督、6名がブラジル国籍、以下1名で韓国国籍、アルゼンチン国籍。
シーズン途中で監督交代は22シーズンで10シーズン。ピンチヒッターは2人交代を含め13名(97年天皇杯川勝を含めると14名)そのうち翌年も監督を続投したのは3名(小見、ロリ、アルディレス)だけ。
歴任監督21名のうち読売クラブを含めOBが監督を勤めたのは9名(松木、加藤、川勝、小見、ラモス、柱谷、高木、三浦、冨樫)
さらにヴェルディ川崎でプレー歴があるのは6名。未だ東京ヴェルディでプレー歴のあるOB監督はいない。

▽代行含む満年齢ランキング
12年 高橋真一郎 :55歳(1957年)
12年 川勝良一:54歳(1958年)
03年 ロリ:54歳(1949年)
11年 川勝良一:53歳(1958年)
02年 ロリ:53歳(1949年)
05年 アルディレス:53歳(1952年)
04年 アルディレス:52歳(1952年)
10年 川勝良一:52歳(1958年)
98年 ニカノール:51歳(1947年)
03年 アルディレス:51歳(1952年)
97年 エスピノーザ:50歳(1947年)
07年 ラモス瑠偉:50歳(1957年)
02年 小見幸隆:50歳(1952年)
01年 小見幸隆:49歳(1952年)
05年 バドン :49歳(1956年)
06年 ラモス瑠偉:49歳(1957年)
14年 三浦泰年:49歳(1965年)  
09年 松田岳夫 :48歳(1961年)
13年 三浦泰年:48歳(1965年)
96年 レオン :47歳(1949年)
05年 石崎信弘 :47歳(1958年)
96年 ネルシーニョ :46歳(1950年)
95年 ネルシーニョ:45歳(1950年)
01年 松木安太郎:44歳(1957年)
08年 柱谷哲二:44歳(1964年)
14年 冨樫剛一 :43歳(1971年)
09年 高木琢也:42歳(1967年)
97年 加藤久 :41歳(1956年)
00年 張外龍:41歳(1959年)
98年 川勝良一:40歳(1958年)
03年 レアンドロ:40歳(1963年)
96年 岸野靖之 :38歳(1958年)
94年 松木安太郎 :37歳(1957年)
93年 松木安太郎 :36歳(1957年)
99年 松永英機:36歳(1963年)
Jリーグ開幕から22シーズン、開幕当時最年少監督として注目された松木も御年57歳に。解説者としては好き嫌いはっきりする方ですがたまにまともな解説するから侮れない(笑)なお松永はお飾り監督に過ぎず実権は李総監督にあった。『監督』では事実上ヴェルディ史上最年少監督は松木でありなかなか36歳でJリーグトップクラブの監督にはなれない。
なお当時の満年齢は松木らが最年少だが、冨樫はヴェルディ史上最年少監督である。過去当たり前なんだが1950年代生まれの監督が主。2000年代に入り1960年代生まれの監督も増えたが冨樫は1971年生まれと初の70年代生まれ。