柴崎貴広がヴェルディに加入したのは2001年、向上高からのプロ入り。なお向上高出身のJリーガーは柴崎が2人目、2010現在4人だけであり他に名古屋→千葉のDF竹内彬や山形GK鈴木雄太、元甲府DF木村哲昌がいる。Wikipediaによると『平成6年度には、サッカー部が創立以来初の全国高等学校サッカー選手権大会に参加。強豪南宇和高校とPK戦までもつれる接戦を演じた。後に、プロとなる柴崎貴広(2001年卒業、現東京ヴェルディ)はこの試合をみて、向上高校への進学を決めた。』とあり無名校ではあるが選手権出場歴があるそうだ。ついでに言うと柴崎自身は高校時代、選手権には出場していない。
プロ入りした2001年はヴェルディの東京移転元年、チームがまだどこに向かうのかはっきりしなかった時期であり低迷しギリギリで残留したのは記憶に新しい。
GK陣の顔触れは本並、菊池、2年目の義成に高卒ルーキーの柴崎。当時の実力ではまだまだヒヨコの義成とともにリーグ戦、天皇杯で3試合サブに入っただけ。
転機は2年目の2002年、GK陣が一変する。本並、菊池が引退し元代表高桑が加入。3年目を迎え背番号を21とした義成と柴崎の3人体制となる。
柴崎は1st開幕戦からベンチ入り、しかし第2節は義成がサブとなっている。そして第3節は柴崎。小見監督の一貫性の無さか定まらない。
当時の記録によれば1st第4節、国立での柏戦。前半23分、高桑が柴崎と交代している。確かケガだと記憶するが定かではない。いずれにせよ柴崎のデビューはなかなかない途中出場によるもの。試合記録では後半8分、柏FW柳想鐵により決勝点を奪われ敗戦。ただデビュー戦で緊急出場、しかも67分で失点1はまずまずであろう。
披シュート数も公式によれば10本、披CK3、披FK23だがヴェルディもシュート数10本、CK0、FK27とほぼ互角。柴崎デビューはそんなドタバタな試合であった(当時の試合見てないから補足ありましたら教えて下さい)
続く第5節vs京都、義成をベンチに置き柴崎は先発している。
スコアは1-5。当時の京都には朴智星や松井大輔、黒部光昭がおり黒部にはPKを含むハットトリック、松井にも1ゴールを許し桜井直人が1ゴール返すが安孝錬に駄目押しゴールを許している。デビューから2戦目。若き日の柴崎にとってヴェルディラストゲームはそんな大敗で終わった。
第6節のメンバーに柴崎の名前はなく以後ベンチ入りはあるが公式戦の出場はない。
2003年GK陣はレギュラーを掴んだ義成と柴崎…二人だけ。この異様な体制を今でも疑問視しているがリーグ戦30試合、ナビスコ6試合、天皇杯3試合を義成がフルタイム出場。柴崎が全試合サブというケガや出場停止などハプニングが何もなかったのが不思議なシーズンである。 ちなみにユースからリーグ戦出場可の2種登録選手として前川善洋、強化指定選手として時久省吾(当時:大津高、現:北九州)、室拓哉(当時:関西外国語大、現鳥栖)を登録している。
とはいえたった二人で戦い抜いた2003年シーズン後、柴崎は移籍する。
2004年、水原大樹と交換されるように横浜FCにレンタル移籍すると菅野、小山の牙城に阻まれ出場機会に恵まれない。しかし菅野が累積出場停止により2004年11月6日J2第41節vs大宮戦、39節40節と小山に代わりベンチ入りしていた柴崎は繰り上げ起用されるが試合は0-1。
追記、スカパー熊本vs東京V(2011/3/6放送)にて柴崎の出場記録にはリーグ戦と天皇杯1試合があると実況が語っている。調べ直したら2004年12月12日、愛媛で行われた天皇杯5回戦、横浜FCvsG大阪にて柴崎はベンチ入り。試合は55分、先発した菅野が退場しており2分後の57分にFW北村知隆と交代で柴崎はピッチに入る。試合は横浜FC 0-5 G大阪であり柴崎が出場した前後のスコアは手持ちの資料ではわからない。いずれにせよ柴崎が公式戦で勝ったことがないことに変わりはない。
2005年資料的にいまひとつ確証はないが完全移籍したと思われる。相変わらず菅野、小山の牙城に苦しみ出場機会なし。ベンチ入り2試合に終わり横浜FCから戦力外を言い渡されている(ヴェルディから戦力外となっていないため完全移籍したと推察できる)。
2006年、合同トライアウトを経てFC東京に加入、土肥とはここで共にプレーしている。しかし公式戦ベンチ入りすら無し。
2007年、4年ぶりにヴェルディに復帰。7連敗を喫したあとの第14節京都戦でメンバー入りしチームが勝利すると天皇杯を含む25試合にベンチ入り。いつしか柴崎がベンチ入りすると負けないというジンクスも。ただ出場機会はなし。
2008年、リーグ戦はFC東京から加入の土肥が全試合先発、義成が全試合サブであり柴崎はナビスコ予選Bグループ第1節の磐田戦(0-2、味スタ)のサブ入りだけ。
2009年、第10節~第21節にベンチ入りしたがまたも出場機会はなし。
ちなみに7月に北海道士別市で開催されたサテライトリーグに柴崎は帯同。試合は義成がフル出場した。柴崎は腹部を触り体調不良だったのかストレッチなどだけで試合を眺めていた。試合後に筆者が懇願した握手に快く応えていただいた。また試合前、試合後と挨拶していただきとても好感を持った選手である。
2010年第2節、失点シーンはGKに全責任はないが土肥ならばそもそも未然に防げるような気も。ただ派手さはないが堅実なプレーは安心する、でもオールドルーキーらしさを垣間見たのは不安。
第3節、北九州相手に押し気味の展開も一瞬の隙を突かれ被弾。
2011年第1節、熊本に乗り込んだヴェルディだが根占真伍のミドルがDFに当たり不運にも柴崎は逆を突かれ失点し敗北。
未曾有の大震災による中断から迎えた第8節愛媛戦、ミスから奪われ失点するとディフェンスがゴタゴタに。PKには読みが当たるがわずかに届かず。1点は返したが惜敗。
2試合をサブでスタメンを土肥に譲るが土肥の長期離脱が発表されスタメンに返り咲いた第11節、岐阜に長良川では勝ったことがなく不安視されたが蓋を開けてみれば幸先よく先制点、追いつかれはしたものの、後半立て続けに2点を叩き込み今シーズン初勝利。
続く第12節、前半の北九州の決定機を長野と対峙し枠外とすると後半頭に祐希が退場。数的不利ながら味方が4得点を奪い快勝。決定的なピンチも好セーブで凌ぎ恐らく初めてのヒーローインタビューに答えた。
「土肥さんのようなプレーはできないが自分にできるプレーをしたい」
第13節、大荒れのレフェリングでイエローカードが乱発するなか大分の攻撃をシャットアウト。チェの放ったブレ球FKをフィスティングで防ぎ好セーブを見せた。
第14節、雨の中確実な、堅実なプレーでゴールを死守、ファンブルしそうになりながら必死にボールをキャッチするなど雨の中、しっかりと役割を全う。2試合連続スコアレスドローだがチームは3試合連続完封。
第15節、先制し相手に退場者が出た試合で後半立ち上がりに被弾し逆転も許す。柴崎自責のシーンはないがチームとしては情けない敗戦。
第16節、開始早々に失点すると2失点目も献上、いずれも柴崎が触れればスーパーセーブだが見せれず、1点返すが飯尾の退場で万事休す。アディショナルタイムにも被弾し連敗。
第17節、最後まで詰めの甘さが目立つ富山相手に1失点で済んだというべきか。前半からバックパスの処理に四苦八苦、土屋とのお見合いなど連携面に不安を覗かせた。前半アディショナルタイムの失点シーンでも最後までばたつき5点取った味方に助けられた面も。後半アディショナルタイムにも相手が外してくれたわけで完全に崩された。長らく課題とされるコーチング面が浮き彫りになった試合だがプロ3勝目をスコアでは完勝で挙げた。
第18節、前半立ち上がりに2点をリードし3点目を決めたことでチームは安定。チアゴに四苦八苦したものの枠を捉えるシュートはなく柴崎自身は安定してみせた。後半もミドルは浴びたが柴崎のファインセーブもあり最後まで集中した試合、4試合ぶりの完封で自身2度目の完封勝利。
代替開催の第2節、前半立ち上がりに寄せの甘いミドルレンジからミドルを決められFKでニアを突かれ2失点。柴崎の自責ではないにしろ2点を先行される苦しい試合ながらチームは逆転、水戸の猛攻を自身のファインセーブやバーに助けられ逆転勝利、柴崎自身初の最少得点(1点)差勝利となった。
第19節、前半35分和田が振り切られ上げられたクロスにバウルらがクリアしきれず、慌てて佐々木のシュートコースを消せずに決められた。チームが2点をリードしていたため1点差となるが前半のアディショナルタイムに1点を加点。終了間際には佐々木のボレーを横っ飛びでセーブするなど安定感を見せた。湘南の猛攻を凌ぎ4連勝に導いた。第20節、岐阜を相手に幸先よく先制したチームは終始ゲームを支配、終盤までにシュートを再三浴びたが柴崎の正面か枠外とピンチらしいピンチもなかった。3点を奪った攻撃陣を労うかのように柴崎焦らしで時間を有効活用し3試合ぶりの完封、5連勝に貢献。
第21節、2位徳島とのアウェーゲーム、戦前から徳島の手堅い守備にヴェルディの攻撃が通じるかが焦点だったがあっさり2点を先取して後半もなんとか凌いでいたが、パワープレーに出てきた徳島に対しどうしても受け身になったヴェルディはエリゼウに押し込まれ残すは後半アディショナルタイム、ここでも押し込まれ続け粘られ津田に押し込まれ追いつかれた。柴崎自身もバタバタした終盤はビッグセーブもできず。勝ち点1を持ち帰った。
第22節、四国遠征第2戦、愛媛戦。柴崎は立ち上がり早々にキックミスから危うい場面を作るが失点はなし、齋藤との1対1も止め安定してみせたが後半立ち上がりの齋藤のシュートで先制点を奪われる。阿部が同点弾を決めたものの終盤に森がPK献上、齋藤に柴崎は逆をつかれ決勝点を奪われ7試合ぶりの敗戦。
第23節、味スタの荒れたピッチコンディションに悪戦苦闘したチームは立ち上がり早々、柴崎が触れないような絶妙なミドルを叩き込まれ1点ビハインドの劣勢に。河野のドリブルから同点にしたものの追加点が遠く、不用意なファウルからFKを与え柴崎も触れず押し込まれ敗戦。2連敗となった。
柴崎貴広プロ出場試合
0-1 横浜FM(02 1st第4節)
1-5 京都(02 1st第5節)
0-1 大宮(04:J2第41節 横浜FC)
0-5 G大阪(04:天皇杯 横浜FC)
1-2 熊本(10:J2第2節)
0-1 北九州(10:J2第3節)
0勝5敗 2得10失-8差
※天皇杯の失点の自責点は内訳不明、またリーグ戦通算成績により対象外とする。
0-1 熊本(11:J2第1節)
1-2 愛媛(11:J2第8節)
3-1 岐阜(11:J2第11節)
4-0 北九州(11:J2第12節)
0-0 大分(11:J2第13節)
0-0 鳥取(11:J2第14節)
1-2 横浜FC(11:J2第15節)
1-3 草津(11:J2第16節)
5-1 富山(11:J2第17節)
4-0 岡山(11:J2第18節)
3-2 水戸(11:J2第2節)
3-1 湘南(11:J2第19節)
3-0 岐阜(11:J2第20節)
2-2 徳島(11:J2第21節)
1-2 愛媛(11:J2第22節)
1-2 大分(11:J2第23節)
2011年シーズン
7勝6敗3分 32得19失+13差
通算(横浜FC含み)
7勝11敗3分 34得29失+5差
2002年3月31日 J1 1st第4節vs横浜FMでプロデビューした柴崎貴広選手は、2010年までに公式戦で勝ったことはなかった(2011年3月6日、5月8日放送のスカパーでも触れられたことだが)。味方が最大1ゴールしか奪ってなかったという不運なジンクスもあったもののどちらも2011年5月8日の第11節vs岐阜(Away)でようやく打破してみせた。
その間、実に9年と約2ヶ月、柴崎に限らず第2、第3GKはなかなか出番に恵まれないが諦めなければいつかは報われると柴崎は実証してみせた。
最少得点差(1-0や2-1など)での勝利もHomeでは15年ぶり本拠地では初めてとなる2点ビハインドからの逆転勝利で2011年6月29日の代替第2節vs水戸で打破。あとは完封をどれだけやれるか?柴崎とDF陣しいてはチームの命題でもあるが。
本人も認めるようにそもそも失点して勝てる試合はない。ただ自責の敗戦の少ない柴崎だけに完封を増やすことが信頼、そして自信に繋がる。
目立ってはならないが柴崎貴広の活躍を次節、期待したい。
プロ入りした2001年はヴェルディの東京移転元年、チームがまだどこに向かうのかはっきりしなかった時期であり低迷しギリギリで残留したのは記憶に新しい。
GK陣の顔触れは本並、菊池、2年目の義成に高卒ルーキーの柴崎。当時の実力ではまだまだヒヨコの義成とともにリーグ戦、天皇杯で3試合サブに入っただけ。
転機は2年目の2002年、GK陣が一変する。本並、菊池が引退し元代表高桑が加入。3年目を迎え背番号を21とした義成と柴崎の3人体制となる。
柴崎は1st開幕戦からベンチ入り、しかし第2節は義成がサブとなっている。そして第3節は柴崎。小見監督の一貫性の無さか定まらない。
当時の記録によれば1st第4節、国立での柏戦。前半23分、高桑が柴崎と交代している。確かケガだと記憶するが定かではない。いずれにせよ柴崎のデビューはなかなかない途中出場によるもの。試合記録では後半8分、柏FW柳想鐵により決勝点を奪われ敗戦。ただデビュー戦で緊急出場、しかも67分で失点1はまずまずであろう。
披シュート数も公式によれば10本、披CK3、披FK23だがヴェルディもシュート数10本、CK0、FK27とほぼ互角。柴崎デビューはそんなドタバタな試合であった(当時の試合見てないから補足ありましたら教えて下さい)
続く第5節vs京都、義成をベンチに置き柴崎は先発している。
スコアは1-5。当時の京都には朴智星や松井大輔、黒部光昭がおり黒部にはPKを含むハットトリック、松井にも1ゴールを許し桜井直人が1ゴール返すが安孝錬に駄目押しゴールを許している。デビューから2戦目。若き日の柴崎にとってヴェルディラストゲームはそんな大敗で終わった。
第6節のメンバーに柴崎の名前はなく以後ベンチ入りはあるが公式戦の出場はない。
2003年GK陣はレギュラーを掴んだ義成と柴崎…二人だけ。この異様な体制を今でも疑問視しているがリーグ戦30試合、ナビスコ6試合、天皇杯3試合を義成がフルタイム出場。柴崎が全試合サブというケガや出場停止などハプニングが何もなかったのが不思議なシーズンである。 ちなみにユースからリーグ戦出場可の2種登録選手として前川善洋、強化指定選手として時久省吾(当時:大津高、現:北九州)、室拓哉(当時:関西外国語大、現鳥栖)を登録している。
とはいえたった二人で戦い抜いた2003年シーズン後、柴崎は移籍する。
2004年、水原大樹と交換されるように横浜FCにレンタル移籍すると菅野、小山の牙城に阻まれ出場機会に恵まれない。しかし菅野が累積出場停止により2004年11月6日J2第41節vs大宮戦、39節40節と小山に代わりベンチ入りしていた柴崎は繰り上げ起用されるが試合は0-1。
追記、スカパー熊本vs東京V(2011/3/6放送)にて柴崎の出場記録にはリーグ戦と天皇杯1試合があると実況が語っている。調べ直したら2004年12月12日、愛媛で行われた天皇杯5回戦、横浜FCvsG大阪にて柴崎はベンチ入り。試合は55分、先発した菅野が退場しており2分後の57分にFW北村知隆と交代で柴崎はピッチに入る。試合は横浜FC 0-5 G大阪であり柴崎が出場した前後のスコアは手持ちの資料ではわからない。いずれにせよ柴崎が公式戦で勝ったことがないことに変わりはない。
2005年資料的にいまひとつ確証はないが完全移籍したと思われる。相変わらず菅野、小山の牙城に苦しみ出場機会なし。ベンチ入り2試合に終わり横浜FCから戦力外を言い渡されている(ヴェルディから戦力外となっていないため完全移籍したと推察できる)。
2006年、合同トライアウトを経てFC東京に加入、土肥とはここで共にプレーしている。しかし公式戦ベンチ入りすら無し。
2007年、4年ぶりにヴェルディに復帰。7連敗を喫したあとの第14節京都戦でメンバー入りしチームが勝利すると天皇杯を含む25試合にベンチ入り。いつしか柴崎がベンチ入りすると負けないというジンクスも。ただ出場機会はなし。
2008年、リーグ戦はFC東京から加入の土肥が全試合先発、義成が全試合サブであり柴崎はナビスコ予選Bグループ第1節の磐田戦(0-2、味スタ)のサブ入りだけ。
2009年、第10節~第21節にベンチ入りしたがまたも出場機会はなし。
ちなみに7月に北海道士別市で開催されたサテライトリーグに柴崎は帯同。試合は義成がフル出場した。柴崎は腹部を触り体調不良だったのかストレッチなどだけで試合を眺めていた。試合後に筆者が懇願した握手に快く応えていただいた。また試合前、試合後と挨拶していただきとても好感を持った選手である。
2010年第2節、失点シーンはGKに全責任はないが土肥ならばそもそも未然に防げるような気も。ただ派手さはないが堅実なプレーは安心する、でもオールドルーキーらしさを垣間見たのは不安。
第3節、北九州相手に押し気味の展開も一瞬の隙を突かれ被弾。
2011年第1節、熊本に乗り込んだヴェルディだが根占真伍のミドルがDFに当たり不運にも柴崎は逆を突かれ失点し敗北。
未曾有の大震災による中断から迎えた第8節愛媛戦、ミスから奪われ失点するとディフェンスがゴタゴタに。PKには読みが当たるがわずかに届かず。1点は返したが惜敗。
2試合をサブでスタメンを土肥に譲るが土肥の長期離脱が発表されスタメンに返り咲いた第11節、岐阜に長良川では勝ったことがなく不安視されたが蓋を開けてみれば幸先よく先制点、追いつかれはしたものの、後半立て続けに2点を叩き込み今シーズン初勝利。
続く第12節、前半の北九州の決定機を長野と対峙し枠外とすると後半頭に祐希が退場。数的不利ながら味方が4得点を奪い快勝。決定的なピンチも好セーブで凌ぎ恐らく初めてのヒーローインタビューに答えた。
「土肥さんのようなプレーはできないが自分にできるプレーをしたい」
第13節、大荒れのレフェリングでイエローカードが乱発するなか大分の攻撃をシャットアウト。チェの放ったブレ球FKをフィスティングで防ぎ好セーブを見せた。
第14節、雨の中確実な、堅実なプレーでゴールを死守、ファンブルしそうになりながら必死にボールをキャッチするなど雨の中、しっかりと役割を全う。2試合連続スコアレスドローだがチームは3試合連続完封。
第15節、先制し相手に退場者が出た試合で後半立ち上がりに被弾し逆転も許す。柴崎自責のシーンはないがチームとしては情けない敗戦。
第16節、開始早々に失点すると2失点目も献上、いずれも柴崎が触れればスーパーセーブだが見せれず、1点返すが飯尾の退場で万事休す。アディショナルタイムにも被弾し連敗。
第17節、最後まで詰めの甘さが目立つ富山相手に1失点で済んだというべきか。前半からバックパスの処理に四苦八苦、土屋とのお見合いなど連携面に不安を覗かせた。前半アディショナルタイムの失点シーンでも最後までばたつき5点取った味方に助けられた面も。後半アディショナルタイムにも相手が外してくれたわけで完全に崩された。長らく課題とされるコーチング面が浮き彫りになった試合だがプロ3勝目をスコアでは完勝で挙げた。
第18節、前半立ち上がりに2点をリードし3点目を決めたことでチームは安定。チアゴに四苦八苦したものの枠を捉えるシュートはなく柴崎自身は安定してみせた。後半もミドルは浴びたが柴崎のファインセーブもあり最後まで集中した試合、4試合ぶりの完封で自身2度目の完封勝利。
代替開催の第2節、前半立ち上がりに寄せの甘いミドルレンジからミドルを決められFKでニアを突かれ2失点。柴崎の自責ではないにしろ2点を先行される苦しい試合ながらチームは逆転、水戸の猛攻を自身のファインセーブやバーに助けられ逆転勝利、柴崎自身初の最少得点(1点)差勝利となった。
第19節、前半35分和田が振り切られ上げられたクロスにバウルらがクリアしきれず、慌てて佐々木のシュートコースを消せずに決められた。チームが2点をリードしていたため1点差となるが前半のアディショナルタイムに1点を加点。終了間際には佐々木のボレーを横っ飛びでセーブするなど安定感を見せた。湘南の猛攻を凌ぎ4連勝に導いた。第20節、岐阜を相手に幸先よく先制したチームは終始ゲームを支配、終盤までにシュートを再三浴びたが柴崎の正面か枠外とピンチらしいピンチもなかった。3点を奪った攻撃陣を労うかのように柴崎焦らしで時間を有効活用し3試合ぶりの完封、5連勝に貢献。
第21節、2位徳島とのアウェーゲーム、戦前から徳島の手堅い守備にヴェルディの攻撃が通じるかが焦点だったがあっさり2点を先取して後半もなんとか凌いでいたが、パワープレーに出てきた徳島に対しどうしても受け身になったヴェルディはエリゼウに押し込まれ残すは後半アディショナルタイム、ここでも押し込まれ続け粘られ津田に押し込まれ追いつかれた。柴崎自身もバタバタした終盤はビッグセーブもできず。勝ち点1を持ち帰った。
第22節、四国遠征第2戦、愛媛戦。柴崎は立ち上がり早々にキックミスから危うい場面を作るが失点はなし、齋藤との1対1も止め安定してみせたが後半立ち上がりの齋藤のシュートで先制点を奪われる。阿部が同点弾を決めたものの終盤に森がPK献上、齋藤に柴崎は逆をつかれ決勝点を奪われ7試合ぶりの敗戦。
第23節、味スタの荒れたピッチコンディションに悪戦苦闘したチームは立ち上がり早々、柴崎が触れないような絶妙なミドルを叩き込まれ1点ビハインドの劣勢に。河野のドリブルから同点にしたものの追加点が遠く、不用意なファウルからFKを与え柴崎も触れず押し込まれ敗戦。2連敗となった。
柴崎貴広プロ出場試合
0-1 横浜FM(02 1st第4節)
1-5 京都(02 1st第5節)
0-1 大宮(04:J2第41節 横浜FC)
0-5 G大阪(04:天皇杯 横浜FC)
1-2 熊本(10:J2第2節)
0-1 北九州(10:J2第3節)
0勝5敗 2得10失-8差
※天皇杯の失点の自責点は内訳不明、またリーグ戦通算成績により対象外とする。
0-1 熊本(11:J2第1節)
1-2 愛媛(11:J2第8節)
3-1 岐阜(11:J2第11節)
4-0 北九州(11:J2第12節)
0-0 大分(11:J2第13節)
0-0 鳥取(11:J2第14節)
1-2 横浜FC(11:J2第15節)
1-3 草津(11:J2第16節)
5-1 富山(11:J2第17節)
4-0 岡山(11:J2第18節)
3-2 水戸(11:J2第2節)
3-1 湘南(11:J2第19節)
3-0 岐阜(11:J2第20節)
2-2 徳島(11:J2第21節)
1-2 愛媛(11:J2第22節)
1-2 大分(11:J2第23節)
2011年シーズン
7勝6敗3分 32得19失+13差
通算(横浜FC含み)
7勝11敗3分 34得29失+5差
2002年3月31日 J1 1st第4節vs横浜FMでプロデビューした柴崎貴広選手は、2010年までに公式戦で勝ったことはなかった(2011年3月6日、5月8日放送のスカパーでも触れられたことだが)。味方が最大1ゴールしか奪ってなかったという不運なジンクスもあったもののどちらも2011年5月8日の第11節vs岐阜(Away)でようやく打破してみせた。
その間、実に9年と約2ヶ月、柴崎に限らず第2、第3GKはなかなか出番に恵まれないが諦めなければいつかは報われると柴崎は実証してみせた。
最少得点差(1-0や2-1など)での勝利もHomeでは15年ぶり本拠地では初めてとなる2点ビハインドからの逆転勝利で2011年6月29日の代替第2節vs水戸で打破。あとは完封をどれだけやれるか?柴崎とDF陣しいてはチームの命題でもあるが。
本人も認めるようにそもそも失点して勝てる試合はない。ただ自責の敗戦の少ない柴崎だけに完封を増やすことが信頼、そして自信に繋がる。
目立ってはならないが柴崎貴広の活躍を次節、期待したい。