柴崎貴広がヴェルディでリーグ戦に出場したのは02年以来だった2010年の開幕戦(第2節)。第2戦(第3節)も出場したがその後はベンチを温めた。
実に空白の7年11ヶ月、この約8年間は柴崎にとっては激動である。
柴崎貴広がヴェルディに加入したのは2001年、向上高からのプロ入り。なお向上高出身のJリーガーは柴崎が2人目、2010現在4人だけであり他に名古屋→千葉のDF竹内彬や山形GK鈴木雄太、元甲府DF木村哲昌がいる。Wikipediaによると『平成6年度には、サッカー部が創立以来初の全国高等学校サッカー選手権大会に参加。強豪南宇和高校とPK戦までもつれる接戦を演じた。後に、プロとなる柴崎貴広(2001年卒業、現東京ヴェルディ)はこの試合をみて、向上高校への進学を決めた。』とあり無名校ではあるが選手権出場歴があるそうだ。ついでに言うと柴崎自身は高校時代、選手権には出場していない。
プロ入りした2001年はヴェルディの東京移転元年、チームがまだどこに向かうのかはっきりしなかった時期であり低迷しギリギリで残留したのは記憶に新しい。
GK陣の顔触れは本並、菊池、2年目の義成に高卒ルーキーの柴崎。当時の実力ではまだまだヒヨコの義成とともにリーグ戦、天皇杯で3試合サブに入っただけ。
転機は2年目の2002年、GK陣が一変する。本並、菊池が引退し元代表高桑が加入。3年目を迎え背番号を21とした義成と柴崎の3人体制となる。
柴崎は開幕戦からベンチ入り、しかし第2節は義成がサブとなっている。そして第3節は柴崎。小見監督の一貫性の無さか定まらない。
当時の記録によれば第4節、国立での柏戦。前半23分、高桑が柴崎と交代している。確かケガだと記憶するが定かではない。いずれにせよ柴崎のデビューはなかなかない途中出場によるもの。試合記録では後半8分、柏FW柳想鐵により決勝点を奪われ敗戦。ただデビュー戦で緊急出場、しかも67分で失点1はまずまずであろう。
披シュート数も公式によれば10本、披CK3、披FK23だがヴェルディもシュート数10本、CK0、FK27とほぼ互角。柴崎デビューはそんなドタバタな試合であった(当時の試合見てないから補足ありましたら教えて下さい)
続く第5節vs京都、義成をベンチに置き柴崎は先発している。
スコアは1-5。当時の京都には朴智星や松井大輔、黒部光昭がおり黒部にはPKを含むハットトリック、松井にも1ゴールを許し桜井直人が1ゴール返すが安孝錬に駄目押しゴールを許している。デビューから2戦目。若き日の柴崎にとってヴェルディラストゲームはそんな大敗で終わった。
第6節のメンバーに柴崎の名前はなく以後ベンチ入りはあるが公式戦の出場はない。
2003年GK陣はレギュラーを掴んだ義成と柴崎…二人だけ。この異様な体制を今でも疑問視しているがリーグ戦30試合、ナビスコ6試合、天皇杯3試合を義成がフルタイム出場。柴崎が全試合サブというケガや出場停止などハプニングが何もなかったのが不思議なシーズンである。 ユースからリーグ戦出場可の2種登録選手として前川善洋、強化指定選手として時久省吾(当時:大津高、現:北九州)、室拓哉(当時:関西外国語大、現鳥栖)を登録している。
とはいえたった二人で戦い抜いた2003年シーズン後、柴崎は移籍する。
2004年、水原大樹と交換されるように横浜FCにレンタル移籍すると菅野、小山の牙城に阻まれ出場機会に恵まれない。しかし菅野が累積出場停止により2004年11月6日J2第41節vs大宮戦、39節40節と小山に代わりベンチ入りしていた柴崎は繰り上げ起用されるが試合は0-1。
追記、スカパー熊本vs東京V(2011/3/6放送)にて柴崎の出場記録にはリーグ戦と天皇杯1試合があると実況が語っている。調べ直したら2004年12月12日、愛媛で行われた天皇杯5回戦、横浜FCvsG大阪にて柴崎はベンチ入り。試合は55分、先発した菅野が退場しており2分後の57分にFW北村知隆と交代で柴崎はピッチに入る。試合は横浜FC 0-5 G大阪であり柴崎が出場した前後のスコアは手持ちの資料ではわからない。いずれにせよ柴崎が公式戦で勝ったことがないことに変わりはない。
2005年資料的にいまひとつ確証はないが完全移籍したと思われる。相変わらず菅野、小山の牙城に苦しみ出場機会なし。ベンチ入り2試合に終わり横浜FCから戦力外を言い渡されている(ヴェルディから戦力外となっていないため完全移籍したと推察できる)。
2006年、合同トライアウトを経てFC東京に加入、土肥とはここで共にプレーしている。しかし公式戦ベンチ入りすら無し。
2007年、4年ぶりにヴェルディに復帰。7連敗を喫したあとの第14節京都戦でメンバー入りしチームが勝利すると天皇杯を含む25試合にベンチ入り。いつしか柴崎がベンチ入りすると負けないというジンクスも。ただ出場機会はなし。
2008年、リーグ戦はFC東京から加入の土肥が全試合先発、義成が全試合サブであり柴崎はナビスコ予選Bグループ第1節の磐田戦(0-2、味スタ)のサブ入りだけ。
2009年、第10節~第21節にベンチ入りしたがまたも出場機会はなし。
2010年第2節、失点シーンはGKに全責任はないが土肥ならばそもそも未然に防げるような気も。ただ派手さはないが堅実なプレーは安心する、でもオールドルーキーらしさを垣間見たのは不安。
第3節、北九州相手に押し気味の展開も一瞬の隙を突かれ被弾。
2011年第1節、熊本に乗り込んだヴェルディだが根占真伍のミドルがDFに当たり不運にも柴崎は逆を突かれ失点し敗北。
未曾有の大震災による中断から迎えた第8節、ミスから奪われ失点するとディフェンスがゴタゴタに。PKには読みが当たるがわずかに届かず。1点は返したが惜敗。
土肥の長期離脱が発表されスタメンに返り咲いた第11節、岐阜に長良川では勝ったことがなく不安視されたが蓋を開けてみれば幸先よく先制点、追いつかれはしたものの、後半立て続けに2点を叩き込み今シーズン初勝利。
続く第12節、前半の北九州の決定機を長野と対峙し枠外とすると後半頭に祐希が退場。数的不利ながら味方が4得点を奪い快勝。決定的なピンチも好セーブで凌ぎ恐らく初めてのヒーローインタビューに答えた。
「土肥さんのようなプレーはできないが自分にできるプレーをしたい」
柴崎貴広プロ出場試合。
0-1 横浜FM(02)
1-5 京都(02)
0-1 大宮(04:J2 横浜FC)
0-5 G大阪(04:天皇杯 横浜FC)
1-2 熊本(10:J2)
0-1 北九州(10:J2)
0-1 熊本(11:J2)
1-2 愛媛(11:J2)
3-1 岐阜(11:J2)
4-0 北九州(11:J2)
柴崎が出場した公式戦の試合で勝ったことはなかった(2011年3月6日、5月8日放送のスカパーでも触れられたことだが)。味方が最大1ゴールしか奪ってなかったという不運なジンクスもあった。どちらもようやく打破してみせた。
本人も認めるようにそもそも失点して勝てる試合はない。ただ自責の敗戦の少ない柴崎をみんなで勝たせようという結束を終了後の整列時に見て取れた。
現在のヴェルディCapは8。勝てない選手から勝てる選手へ。
柴崎貴広の連続完封に次節、期待したい。
実に空白の7年11ヶ月、この約8年間は柴崎にとっては激動である。
柴崎貴広がヴェルディに加入したのは2001年、向上高からのプロ入り。なお向上高出身のJリーガーは柴崎が2人目、2010現在4人だけであり他に名古屋→千葉のDF竹内彬や山形GK鈴木雄太、元甲府DF木村哲昌がいる。Wikipediaによると『平成6年度には、サッカー部が創立以来初の全国高等学校サッカー選手権大会に参加。強豪南宇和高校とPK戦までもつれる接戦を演じた。後に、プロとなる柴崎貴広(2001年卒業、現東京ヴェルディ)はこの試合をみて、向上高校への進学を決めた。』とあり無名校ではあるが選手権出場歴があるそうだ。ついでに言うと柴崎自身は高校時代、選手権には出場していない。
プロ入りした2001年はヴェルディの東京移転元年、チームがまだどこに向かうのかはっきりしなかった時期であり低迷しギリギリで残留したのは記憶に新しい。
GK陣の顔触れは本並、菊池、2年目の義成に高卒ルーキーの柴崎。当時の実力ではまだまだヒヨコの義成とともにリーグ戦、天皇杯で3試合サブに入っただけ。
転機は2年目の2002年、GK陣が一変する。本並、菊池が引退し元代表高桑が加入。3年目を迎え背番号を21とした義成と柴崎の3人体制となる。
柴崎は開幕戦からベンチ入り、しかし第2節は義成がサブとなっている。そして第3節は柴崎。小見監督の一貫性の無さか定まらない。
当時の記録によれば第4節、国立での柏戦。前半23分、高桑が柴崎と交代している。確かケガだと記憶するが定かではない。いずれにせよ柴崎のデビューはなかなかない途中出場によるもの。試合記録では後半8分、柏FW柳想鐵により決勝点を奪われ敗戦。ただデビュー戦で緊急出場、しかも67分で失点1はまずまずであろう。
披シュート数も公式によれば10本、披CK3、披FK23だがヴェルディもシュート数10本、CK0、FK27とほぼ互角。柴崎デビューはそんなドタバタな試合であった(当時の試合見てないから補足ありましたら教えて下さい)
続く第5節vs京都、義成をベンチに置き柴崎は先発している。
スコアは1-5。当時の京都には朴智星や松井大輔、黒部光昭がおり黒部にはPKを含むハットトリック、松井にも1ゴールを許し桜井直人が1ゴール返すが安孝錬に駄目押しゴールを許している。デビューから2戦目。若き日の柴崎にとってヴェルディラストゲームはそんな大敗で終わった。
第6節のメンバーに柴崎の名前はなく以後ベンチ入りはあるが公式戦の出場はない。
2003年GK陣はレギュラーを掴んだ義成と柴崎…二人だけ。この異様な体制を今でも疑問視しているがリーグ戦30試合、ナビスコ6試合、天皇杯3試合を義成がフルタイム出場。柴崎が全試合サブというケガや出場停止などハプニングが何もなかったのが不思議なシーズンである。 ユースからリーグ戦出場可の2種登録選手として前川善洋、強化指定選手として時久省吾(当時:大津高、現:北九州)、室拓哉(当時:関西外国語大、現鳥栖)を登録している。
とはいえたった二人で戦い抜いた2003年シーズン後、柴崎は移籍する。
2004年、水原大樹と交換されるように横浜FCにレンタル移籍すると菅野、小山の牙城に阻まれ出場機会に恵まれない。しかし菅野が累積出場停止により2004年11月6日J2第41節vs大宮戦、39節40節と小山に代わりベンチ入りしていた柴崎は繰り上げ起用されるが試合は0-1。
追記、スカパー熊本vs東京V(2011/3/6放送)にて柴崎の出場記録にはリーグ戦と天皇杯1試合があると実況が語っている。調べ直したら2004年12月12日、愛媛で行われた天皇杯5回戦、横浜FCvsG大阪にて柴崎はベンチ入り。試合は55分、先発した菅野が退場しており2分後の57分にFW北村知隆と交代で柴崎はピッチに入る。試合は横浜FC 0-5 G大阪であり柴崎が出場した前後のスコアは手持ちの資料ではわからない。いずれにせよ柴崎が公式戦で勝ったことがないことに変わりはない。
2005年資料的にいまひとつ確証はないが完全移籍したと思われる。相変わらず菅野、小山の牙城に苦しみ出場機会なし。ベンチ入り2試合に終わり横浜FCから戦力外を言い渡されている(ヴェルディから戦力外となっていないため完全移籍したと推察できる)。
2006年、合同トライアウトを経てFC東京に加入、土肥とはここで共にプレーしている。しかし公式戦ベンチ入りすら無し。
2007年、4年ぶりにヴェルディに復帰。7連敗を喫したあとの第14節京都戦でメンバー入りしチームが勝利すると天皇杯を含む25試合にベンチ入り。いつしか柴崎がベンチ入りすると負けないというジンクスも。ただ出場機会はなし。
2008年、リーグ戦はFC東京から加入の土肥が全試合先発、義成が全試合サブであり柴崎はナビスコ予選Bグループ第1節の磐田戦(0-2、味スタ)のサブ入りだけ。
2009年、第10節~第21節にベンチ入りしたがまたも出場機会はなし。
2010年第2節、失点シーンはGKに全責任はないが土肥ならばそもそも未然に防げるような気も。ただ派手さはないが堅実なプレーは安心する、でもオールドルーキーらしさを垣間見たのは不安。
第3節、北九州相手に押し気味の展開も一瞬の隙を突かれ被弾。
2011年第1節、熊本に乗り込んだヴェルディだが根占真伍のミドルがDFに当たり不運にも柴崎は逆を突かれ失点し敗北。
未曾有の大震災による中断から迎えた第8節、ミスから奪われ失点するとディフェンスがゴタゴタに。PKには読みが当たるがわずかに届かず。1点は返したが惜敗。
土肥の長期離脱が発表されスタメンに返り咲いた第11節、岐阜に長良川では勝ったことがなく不安視されたが蓋を開けてみれば幸先よく先制点、追いつかれはしたものの、後半立て続けに2点を叩き込み今シーズン初勝利。
続く第12節、前半の北九州の決定機を長野と対峙し枠外とすると後半頭に祐希が退場。数的不利ながら味方が4得点を奪い快勝。決定的なピンチも好セーブで凌ぎ恐らく初めてのヒーローインタビューに答えた。
「土肥さんのようなプレーはできないが自分にできるプレーをしたい」
柴崎貴広プロ出場試合。
0-1 横浜FM(02)
1-5 京都(02)
0-1 大宮(04:J2 横浜FC)
0-5 G大阪(04:天皇杯 横浜FC)
1-2 熊本(10:J2)
0-1 北九州(10:J2)
0-1 熊本(11:J2)
1-2 愛媛(11:J2)
3-1 岐阜(11:J2)
4-0 北九州(11:J2)
柴崎が出場した公式戦の試合で勝ったことはなかった(2011年3月6日、5月8日放送のスカパーでも触れられたことだが)。味方が最大1ゴールしか奪ってなかったという不運なジンクスもあった。どちらもようやく打破してみせた。
本人も認めるようにそもそも失点して勝てる試合はない。ただ自責の敗戦の少ない柴崎をみんなで勝たせようという結束を終了後の整列時に見て取れた。
現在のヴェルディCapは8。勝てない選手から勝てる選手へ。
柴崎貴広の連続完封に次節、期待したい。