私という字をあたしと読みたい、とろけるです。
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つい先ほど、法律上一つ 年を重ねました。
誕生日といえば、母のことや父たちのことを思い出してしまう。
酔って母を殴る父の姿しか思い出せない。今思えば、死んじゃいそうなほど殴っていた。
当時の私には、それが犯罪だという知識が残念ながらなかった。子供だったし、当時は情報が今ほど手に入りにくかったから。
なぜあの父と母から生まれたのか、いまだに疑問。
ただ、母はあんな環境の中、精一杯育ててくれたと思う。
私が子供の頃、母はヤクルトで働いていた。野球の観戦チケットをよく母から貰って、神宮まで見に行った。
母は1人で苦しんでたんだろうなぁ。なんでこんな家庭に生まれたのか、と思わない日がないくらい、毎日がつらかった。
母が亡くなる1週間くらい前、「朝、脚をさすって。これが最後のわがまま」って言われたのに、母の命がもう少しで潰えることにも気付かず、時間が少しでもあれば寝ていた私は、早起きができず、大してさすってあげることもしなかった。
私も、仕事でそんなに順調ではなかったし、その頃好みでない人からアプローチされ、でも他に好きな人がいて、でもその人は他の人と交際していることを知って、心に余裕がなかった。
少なくとも母の命がもう少しだと知っていたなら、脚をさするくらいできたと思うのに。
「寝てても良いから、こっちにきて一緒に来て」って、きっと力を振り絞って言ってくれたんだろう。なのに「母からそんな言葉が出てくるとは信じられなかった」私は自分の部屋で寝転がって寝てしまった。
「寝ててもいいから来てって言ったのに、来てくれないじゃないか!」と言われて、初めてあぁ、本気なんだったんだなと、気付いた。
なんでそんな簡単なことも、してあげられなかったのか。
そもそも、なんで余命を知らされなかったのか。
なんで具合が悪かった事実に、もっと向き合わなかったのか。
こうして母を思うことが、母への供養になるのかなと思いつつ、誕生日に母への感謝と懺悔を捧げながら、寝ることにします。