母は、物事の善悪が分からない。

…というより、
他人の気持ちが分からない
そういう特性がある。

「こういう事を言ったら、他人は傷つく」
とか、
「こういう事を言ったら、他人は不快な気持ちになる」
という想像力が、全くない。

検査してないから、本当は分からないが、
恐らくASD+ADHDの発達障害があると思う。
ASDは、確実にあると思う。

私は、子供のころから散々振り回され、
散々傷つけられた。
細かいことは割愛するが、
振り回され、傷つけられ、被害者は私なのに、
結局悪者は私…という形で、物事を収めていた。

小さい頃から、私の心はズタズタだった。

だが、「親」という存在がいなければ生きていけない子供だった私は、
どんなに親に傷つけられても、親を頼らなければならない。

生きてくために私は、
傷を修復しないまま、心に蓋をする
という手段を、無意識のうちにとっていたのだ。
ゆっくり傷を修復するのは間に合わない。
毎日毎日、次から次へと、傷つけられるのだ。
修復するのを待ってたら、あっという間に死に至る。

なので、傷を修復することなく、無理矢理気持ちに蓋をして、私が悪いんだから…と無理矢理納得させて、なかったことにするしかなかった。

私の心の中は、修復できてない傷でいっぱいだった。

大人になった私は、
見事に愛着障害・アダルトチルドレンになってしまった。(診断はおりてないが…)
そして、カサンドラ症候群にもなってしまい、
精神科か心療内科に行く寸前までの精神状態になってしまった。

先輩の一件の時もそうだったが、
幾度となく、親のおかげで傷つき、
精神的におかしくなってしまったのである。

そのたびに、気持ちに蓋をして、何とか生きてきた。

今思えば、さっさと精神科や心療内科に行って、カウンセリングを受けたりすればよかったのだが、
なんとなく敷居が高く感じたし、
投薬が怖かった。
さっさと絶縁すればよかったのである。

今になれば、
母の、あの数々のとんちんかんな行動は、
発達障害によるものなのか…と合点がいくのだが、
当時は、そんな事は分からなかった。

そんな状態で、3年前に、息子が不登校になった。
3年前のちょうど今頃から、今年度はコロナの影響で6月スタートだったから6月まで、
息子は、中学生活は半年しか過ごさないまま、
約3年近く、不登校の引きこもり生活を続けてたのだ。

息子が学校に行けなくなって、
私は、自分を責めた。
責めたと同時に、
心の傷の蓋がパカッと開いてしまったのだ。
封印してた心の傷が、次々とえぐり出されてしまった。

それまで忘れてた出来事が次々と思い出され、
「息子の不登校」でダメージをくらった私の心に、過去の出来事(傷)が、容赦なく襲ったのだ。