振り返ると、私が大人になるまでに、
私の事をきちんと認めてくれて、私を大事な仲間だと思ってくれて、私をきちんと受け入れてくれて、
私がありのままの自分でいられたのは、
あの高校での、あの高校の敷地内に入った中での3年間でした。

学校を出て家の敷地内に入ると、そこは「ありのままの自分」を認められない空間でした。

その空間で「天までとどけ」を観ていたのですが、
ある回で、ストーリーは忘れてしまいましたが、
綿引勝彦さんが
親が理想とする子供が子育ての成功作だと言うならば、子供なんかみんな失敗作だ
と、言うのです。

「あぁ、そうなんだ、みんな失敗作なんだ」
「私だけが、失敗作じゃないんだ」
「失敗作でいいんだ。親の理想通りに生きなくていいんだ」
そう思った瞬間、心が救われたと同時に、涙が溢れ出てきました。

親に認められないのが、どれほど辛いことか。
親に「失敗作だ」と言われるのが、どれほど傷つくか。
親に理想を押し付けられるのが、どれほど苦しいことか。
親に、成功作じゃないと愛情を貰えないのが、どれほど悲しいことか。

高校生で、子育てなどまだまだ無縁だったけど、
「いつか、自分が子育てをする時には、この言葉を胸に、自分の理想を押し付けない子育てをするぞ。」
と、思いました。

……なのに、私は、子供を「不登校」という形で傷つけてしまったのです。