靖国神社
に行ってきた☆
脳の障害で歩行困難になった祖父の替わりに、靖国神社で戦争に行った人々の集まりの
葉書をもって祖母に連れて行ってもらったのは随分小さかった頃。それきり行ってなかった。
戦争に関する本を読み始めて、やはり靖国神社にはちゃんと行かないとなぁと思っていたので
念願かなってという感じでした。
念願の靖国神社 !
おじいちゃんとおばあちゃんがお参りしてました。結構お歳の方がいらっしゃいました。
身内や友人の魂にご挨拶にきたのかなぁ・・・ なんか・・・じ~んとした。
気付いたのが、20代の若者も結構来てるんですよね。特に若い女の子が多かった。
ここに祀られている英霊にご挨拶と感謝をお伝えしました。
お庭がありました。鯉の餌の自動販売機がありましたが、張り紙が貼ってあり
「鯉が冬眠中につき 販売中止」 のようなことが書いてあった(^_^;)
ほんとだ・・・かたまって動かない・・・やっぱ冬眠してるんだなぁ。
遊就館
には零戦が置かれている。
操縦したまま敵艦に体当たりする人間魚雷「回天」 も・・・そのロケット版「桜花」 もあった・・・・・
こんな中に入って敵に向かっていったのか・・・・・・・・・・・命と引き換えに・・・・・・・・・・・・・
どんな思いで中に入ったんだろう・・・どんな思いで特攻を・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これに乗って、帰れないことを知っていて、それでも家族や国の役に立つために
命を散らせた沢山の命があったんだ・・・
時折、どうしようもなく涙が出てくるのを抑えないでずっと見ていた。
私が今、この地に、こんなボサ~っと佇んでいられるのは、この沢山の命のお蔭なんだ。
私たちは、もう一度この事実ときちんと向き合って受け入れてから、自らの立ち位置を確認する
必要があるのではないだろうか。 そんなことを思った。
たった数十年前の出来事・・・ついほんの・・・ちょっと前の出来事なんだよな・・・
掲示されていたものです。
これは特攻にいかれた方の家族へのお手紙でしょうか・・・25歳ですよ・・・
こういう手紙が遊就館には沢山ありました。涙なしでは読めませんでした。
あのような文章はもうこれからの日本人は書かないと思います。たぶん、きっと・・・
沢山の英霊が平和をもたらしてくれたから。
私が子供の頃、駅などに手や足が無い白い兵隊さんの恰好をした人たちが、お金を入れる箱を前に
置いてハーモニカを吹いたりしている姿を何度も見ました。
子供の頃だったから、兵隊さんの前に置かれた箱にお金を入れたくてもお金をもっていなかった。
でもたまにお駄賃でもらった小銭がある時には箱に入れたりして・・・
でも凄く勇気が要ったのです。
手や足が無い人を見るのもほとんどなかったのに兵隊さんの恰好なので近寄りがたかったのです。
そしてその兵隊さんたちを見かけた時は、いつも胸が締め付けられる感じで悲しくて悲しくて・・・
自分は彼らには何もしてやれないし、自分の無力感と兵隊さんは大変だったんだろうという
気持ちで、そこを通り過ぎた後はいつも泣きそうになってました。
そんな幼少期があったので、戦争がまったくの過去のことだった感じがしないのです。
いつの間にか兵隊さんも見かけなくなって、私もそんな事を忘れて月日が経ちましたが
人生後半になったら夏には戦争に関する本を1冊は必ず読む!と心に決めてから、
幼少期の記憶が鮮明に思い出されてきました。
ろくな生き方はしておりませんが、日本民族として忘れてはいけない過去だと思います。
またお参りにいこうと思います。