昨晩、PCの前で祈ったり、ハラハラしたり、怒ったり、泣いたり、絶望したり・・・・・複雑な夜でした。
今朝はいい天気でしたが、何か心に虚無感があったのですが、それは太鼓の音で消えました。
本日、坂東玉三郎が演出した【打男(だだん)】を観に(聴きに)行って参りました。
玉三郎さんの洗練された美意識とストイックさが映しだされたステージで、
鼓童の鍛え抜かれた美しい肉体が和太鼓を奏でます。90分ノンストップで太鼓は鳴り続けました。
こちらがトランスに入ってしまうほどの太鼓の響きの中で・・・ふと思いました。
日本は八百萬の神様が沢山いて、その神様とお話するために太鼓や踊りがあったんだっけ。
ここは祭りではなく劇場だけど、太鼓は人の手によって奏でられ、神様に話しかけているようだ。
無心になって叩く姿は、人間本来の姿、穢れのない純真無垢な姿になり、
神様との更新に使う太鼓にするために切った木と殺した牛の命は、
今、蘇り、神と人間の通訳をしているようでした。
鼓童の太鼓の前で躍動する姿を見ながら、日本人の肉体は元々柔軟なんだな・・・
柳の枝のようだな・・・だとしたら、これは精神にも共通するのではないだろうか・・・
しなやかでいて強靭な精神と肉体を持つ民族・・・日本人・・・・・
そんな風に思った。
震災に遭った人々や、脱原発デモにいた人々が浮かんできた。
日本人は・・・・・しなやかで強いみたいだ・・・・・
打たれても倒されても何度も何度も起き上がるみたいだ・・・・・
そんな風に思った。
大太鼓の音が天に響き、天界の門を開き、汚れた地上の人間の声に耳を傾けた気がした。
ほんとにね、そんな気がしたの。
そうしたら、原発のこととか、クソ政治家のこととか・・・・・神様はみんな知っていて
それでもなおこの国を見守っている気がしたの。
私たちが日常に翻弄されて気が付きにくくなっているだけで、八百萬の神々は昔も今も変わらず
我々の側にいるんじゃないだろうかってね・・・
人が無心になって奏でたり踊ったりする時、それは神様に聞こえているんだなって思う。
昔、細野晴臣さんがそんなこと言ってたなぁと思い出した。
この国は、八百萬の神が沢山住んでいるほど、自然が豊かな国なんですよね。
だからいつも神様に感謝したり、願ったりの祭りが多かった。
それは身近に神がいるのを肌で感じていたからではないだろうか?
それが戦後、いつしか、戦争で勝ったあちらの国があたかも凄いと信じ、
追いつこうと必死に自国を否定するが如く、色を塗り替えていったけど・・・・・
原発も沢山つくったけど・・・・・
そろそろ気が付いてもいいんじゃないだろうか。
日本は八百萬の神様が沢山住むほど、自然が豊かで、我々は自然と共存して、
人も自然の一部という考えで生活していたことを。
そんなことをね、和太鼓の音が連れてきてくれました。
やっぱさ~~~、あの音聞いたら忘れていた日本民族の感覚が蘇ってきますわね。
劇場で太鼓聞いてて、丹田が充実してきたもんね。素晴らしいぞ日本の文化☆日本の伝統芸能☆
玉三郎さん、鼓童の皆さん、日本人であることを強烈に思い出させてくれて有難うございました!!!
だからさ、やっぱ原発はよくないよ(また始まった・・・笑)
だって、こんなに自然界からの恵みが詰まっている人間が住む小さな島なんてないんじゃないの?
そんな島に原発は合わないって。
ということで、私は元気をいただいたので、諦めずに脱原発と言い続けます\(^_^)/
憎しみからの感情ではなく、愛や希望からの感情でね。