昨夜の星空…

昨日、母は地上での体も神様のもとに帰りました。

納骨までの間はしばらく我が家で過ごします。

我が家には実家にいた子で遺骨として残した子達を母が入院で実家に戻れなくなったあと我が家に迎えていたので、その子達に囲まれています。

心なしか…母も実家のワンズも嬉しそう。

みんな会いたかったよね。

でも、本当は虹の橋の詩のとおり、橋のたもとでワンズ達は母を待っていて、一緒に橋を渡って神様のもとに行ったんだと思います。


6年と4ヶ月、、、

母との会話が成り立っていたのは数ヶ月で、その後は首を振ったり傾げたり頷いたり、簡単な言葉を発することでの会話でした。

でも、いわゆるごく普通の会話をすることは、手術直前の会話が最後だったのだと思います。

特にコロナ禍になってからは会うこともままならず、会えても10分程度で寝ている時は話していても寝てしまう、、そんな時もありました。

でも爪を切ったり、目やにを拭いたり、、、

コロナ禍で『会うことが出来ない』という現実が今は当たり前で、それゆえにまたしばらくしたら、そんな事が出来る時間がまた来るような気がして、

今私は、母が亡くなった事の寂しさはまだ現実に受け止められていないのかもしれません。

それとも、これからやらなくてはならない事務的な事の多さを知ってるが故に、感情を表に出すことが出来ない心になってしまったのかもしれません。

母のことで1番悲しくショックだったのはやっぱり最初の手術のあと。

“上手くいきましたよ、、”と、よくあるテレビのセリフのようにお医者様は私に言ってくれると信じていました。

でも、

現実は真逆の「命を繋ぐことを優先しました」でした。

あの日から6年かけて、母は私に色々なことを受け止められる時間をくれたのかもしれません。


昨日は朝起きたら、、、声が出なくなっていました。

やっと熱が下がったと思ったのに、

シワがれた声がかすかに出るくらい…こんな風に声が出ないも数年ぶり…

喪服に母の母である祖母からプレゼントしてもらったパールのネックレスをつけようとしたら糸が切れるし、

母が持っていたパールを探そうにも引っ越したばかりでどこにあるか分からないし、、、

こんなドタバタな当日を迎える喪主なんていないよね??って。。。


ひとりっ子で特に思ったけれど、親の最後の喪主となると、正直悲しんだり思い出を思い返して懐くしむ時間もないんだなぁって。


“霊柩車の運転手さんへの心付忘れないようにしなきゃ…”


とか


“来ていただいた方にお出しするお菓子は何人分用意するんだっけ?”


とか


“お花のゴミが出たら持って帰る袋を忘れないようにしないと…”


とか


“次の会食の時間は何時だから何時までに何処どこを出れば間に合うかな?”


とか…


それ以外にもお葬儀にかかるお金の管理や、相続に関することもいつまでも後回しにも出来ない…

誰かが「次はこれをするんだよ」と言ってくれるならまだしも、何をやらなきゃならないのかを調べる(確認し直す)ところからやって、ひとつひとつやらなきゃならない。

そして、母の事以外に、日常での仕事のことや諸々家のことも並行して動いてる…

(いや〜涙なんて流す時間ないって笑)

キツキツの精神を少しでも現実逃避するために録画しておいたドラマを見たりして、その時だけは心の緊張の糸が緩んでくれる…

こんな時、ちょっと兄弟姉妹がいる事が羨ましく思う、、、

自分と同じ立場の人が他にもいるって事だから、、、

でも相続のこととなると、場合によっては簡単に分けられないものもあったりして嫌な気持ちになることもあるだろうから、そこを思うとひとりっ子で良かったとは思う〜

(銀行さんとか必ず「遺言書ありますか?ご相続人は何名いらっしいますか?」って聞くもん)


昨年秋、お母様が亡くなったひとりっ子のアルバイトの子が心配してLINEをくれた。

周りに頼ってくださいね、、って。

そんな風に言ってくれるバイトの子がいる事が幸せで泣きそうになる。

彼まだ大学生なのに、、、ありがとう。


まずはこの声治さないと話にならない、、、

母はきっと笑ってる、、、「何やってるのよ〜」って。そしてめちゃくちゃ心配して「何か作って持っていこうか?」って思ってるはず。

大丈夫だよ。さすがに空の上からお料理作って持ってくるのは出来ないからね、、、。

可愛いうずらやよーちゃんがいつでも私を笑顔にしてくれるし、パパもタクミもいるから。お嫁さんもね。


朝が来たら声が出てますように、、、