前回の日記は書いたままアップしそびれてました。
あっと言う間の初七日です。
誰しも、一つくらい心に何か引っかかるものを持って暮らしてると思うのですが、私の場合は壊れた1眼レフです。
祖父(存命)から借りたんだか貰ったんだかわからない、Canonの東京オリンピックモデル。
街歩きや外国へ行くとき、乱暴に連れまわしていたせいで、シャッターの部品が外れて無くなってしまった。あの心地良い「カシャッ」が聞けない。
まだ問い合わせしてないけれど、なんせ1964年製だからキャノンに部品は残ってないと思う。
神楽坂のカメラ屋のおじさんにもそう言われた。同じような型のジャンクカメラを買って、部品だけ取るしかないねーと。何とも高度なテクニック。
こういうことは東京に居る内にやるべきだったんだけど、結局まだ直してないんだなぁ。
と、なぜこんなことを急に書いたかと言えば、お葬式の時に電気屋のおじちゃんの話を聞いたから。
地方に行くと、「○○電気」と名字が入っているような、小さな電気屋をたまに見かけるよね。
商店街の中とかにポツンとある店の前を通り過ぎる時、いつも「こんな小さな店で電化製品買う人いないだろー」とか、「どうやって食ってるんだー」と思っていた私。
東京や、そこそこ栄えた地方都市で暮らしてる人は、あの無駄にピカッピカの蛍光灯にお出迎えされる大型電気量販店での買い物が当たり前だと思っている。
私も今大型テレビが欲しいと思ったら、とりあえずビックカメラに行くでしょう。
しかーし、実際その田舎の小さな電気屋の店主(親戚)のお話を聞いたらね、色々勘違いしてたことが判明したのです。
老人が多く、連絡網や交通網が少ない田舎の電気屋は、マルチな対応力が必要不可欠だそうで、毎月メーカー主催の勉強会(修理用の)に行っているらしい。
テレビはもちろん、レコーダー、エアコン、ヒーター、修理の依頼はありとあらゆるジャンルが来る。
でもいちいち各メーカーに問い合わせて修理を依頼すると、お金も時間も物凄くかかる。
だから常に何でも直せるように、毎月勉強会に行くんだそう。
すごいねぇ。たしかに、メーカーに問い合わせると高額な修理代と時間がかかるイメージ。
仕事って本来こういうもんなんだよなー、と思いました。
スーツ着て出社して、メールチェックして会議して、というサラリーマンとは違う強さを感じた。
この歳になってつくづく、この世は「動く人間」と「動かされる人間」で成り立ってると実感します。
そして、どちらにもメリット・デメリットがあるので、悩ましいんです。
