失われた十部族 | 石の上にも三年えみのブログ

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覚醒することは、
楽をしないこと
しっかり食べ物の色や香り味を把握すること。
体内に綺麗な 果物の色や野菜を取り入れて感覚を磨くこと。と、昔読んだ本でヨガ行者が言っていた

FBの齋藤一治さんよりシェア

「失われた十支族」とは、旧約聖書に記されたイスラエルの十二支族のうち、行方が知られていないユダヤ十支族のことです。

太陽を求めて東に向かった十支族の末裔たちは、朝鮮まで来て日本へ向かうとしましたが、朝鮮に反対されました。

天皇がこれを許して、数百年かけて東の果てにあった日本にたどり着きました。

ユダヤ人は、日本人に受け入れられ、その間に混血が進み、見た目にはアジア人に近い姿になっていきました。

その後、何度かに分けて日本に渡来したユダヤ人、その主な一族は物部氏や秦氏でした。

日本の言語や風習には、ユダヤ人との共通な部分が多数確認できます。

日本語と類似したヘブライ語は一説には3000語を超えるともいわれています。

まず「鳥居(トリイ)」という単語は、ヘブライ語のアラム方言で、「門」を意味します。

「帝(ミカド)」という単語は、高貴な人物を意味するヘブライ語の「ミカドル」に良く似ています。

「駄目(ダメ)」という単語は、そのままの発音でヘブライ語で通じ、駄目という意味で使われています。

また「憎む(ニクム)」という単語も、そのままの発音でニクムという意味で通じます。

「主(ヌシ)」という単語も同様にリーダーという意味になります。

「飛鳥(アスカ)」は、住所を意味し、「滅ぶ(ホロブ)」も、そのまま通じます。

秦氏一族は稲荷神社などを創祀したことでも知られており、蚕や絹などによる織物、土木技術、砂鉄や銅等の採鉱及び精錬、薬草なども広めました。

平安時代初期の815年に編纂された『新撰姓氏録』によれば「秦氏は、秦の始皇帝の末裔」という意味の記載があります。

推古天皇30年には当時の中心的人物であった秦河勝が広隆寺を建立。
皇極天皇の時代には上宮王家が所有する深草屯倉を秦氏が管理経営していたという。

延暦13年(794年)には、秦氏が主導して平安京への遷都となりました。

写真にある三柱の鳥居は、秦氏が作らせた物だと思われます。

父と子と精霊の三位一体を表し、コレを縄で結び結界としたのではないでしょうか。

日本には約12万社の神社があります。

八幡神社 約4万社
稲荷神社 約3万社
白山神社などを含めて約1万社

これら8万社が秦氏関係の神社となっています。