3連休の初日、記事を投稿したあと、
この記事を作成中にzzzzzz いつもの様に10時間爆睡
こんな悪夢を見た・・・
お・そ・ろ・し・あ・・・・
これは奴らの陰謀に違いない。
1992年、バブル景気が崩壊。その後、長年にわたるデフレ時代に突入することに
なったんですが・・・
③金融ビックバン(1997年)
日本企業はそれまで、厳しい法規制と”護送船団方式”により、手厚く守られてきましたが、
それを不服とした奴らの”証券市場を外国人投資家に開放しろ”と圧力に屈する結果に
なりました。
阪神淡路大震災がそれによるものなのか?
この動画のユーザーコメントでも諸説・賛否分かれているようですが、
個人的には人工地震ではないと思います。
震災後に報道された周辺地域のずれた断層の映像を見る限り、地震兵器によるものには
見えないから。
ただし、これを奴らが自分たちの都合の良い様に利用することは可能。
1944年に発生した東南海地震直後にばらまかれたビラ
「地震のあとは何をお見舞いしましょうか」
の様な使い方をされた?つまり この村井発言こそ、
「震災は我々が地震兵器によって引き起こした」
と奴らが日本政府に対して圧力をかける印象操作だったように思えます。
金融ビックバンはこの翌年、1996年~ 関連法の法改正など急ピッチに、
進められ、そして、
1997年11月、私自身、思いがけない経験をすることになりました。
1997年11月 山一證券・経営破綻
野澤 正平氏(山一證券元社長) による涙の記者会見
当時、私は山一本社から徒歩圏内にある、大手証券会社にSEとして派遣されていました。
担当案件の名前は「金融ビッグバン対応」。
当時、我々の開発用に用意された作業場所は証券ディーラーがさまざまな商品を取引
しえいるすぐ脇(同フロア)にあり、館内では主要銘柄の取引がリアルタイムでアナウンス
されていました。
そしてその日(野澤社長の会見後の週明け)、
館内アナウンスは終日”山一”一色という感じでした。
途中、S&Pとかムーディーズ(格付け会社)の格下げ情報が入ったこともあり、
当日、株価を下げ続け結局、残り1時間くらい残し、
ついに株価が1円に。
アナウンス直後、私は隣の同僚に
「山一ついに終わったな」
と話しかけたことを憶えています。
それで、内心(ようやくこれで静かになる)と思ったんですが、 ←ただの傍観者的な発想
実は、ここからが凄かった。
1円速報から5分後、新たに
”xx証券(超有名外資証券) ¥1で3億株 買い”
とのアナウンスが入り、
隣の同僚と顔を見合わせ、」同僚に、
「ボロ株?大丈夫か?」
と言い合いました。
当時、我々SEはマネーゲームの単なる傍観者という感じでしたが、
今にして思えば金融メジャーによる日本企業乗っ取りの幕開けだったような気がします。
そして、それから5分後、思いがけないアナウンス
”xx証券(別の超有名外資証券) ¥3で3億株 買い”
ふたたび隣の同僚と顔を見合わせ、
「ものの5分で6億儲け上がった」
と同僚が。(やっぱりマネーゲームの傍観者目線ですが)
結局これがその日の最後の取引だったんですが、
後に”誰がこの2つの外資系証券会社のトップ”なのかを知り、
さらに興味を深めることになったのです。
③へつづく
@ダンペイ
