晴書雨読

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ちょっと前になっちゃいますが、『R-1ぐらんぷり2017』でアキラ100%が優勝。また裸が制しましたね。今後テレビへの露出が増えると、究極の露出のリスクも高まってしまうんじゃないかと思うんですよね。どんな活躍をしていくのか、普通の芸人さんと同じにはいかないんじゃないか?と、ちょっと気になっています。

 

優勝者もさることながら、過去最高の4人の女芸人が決勝に進出したことでも話題となった今回。最近、とくにピンの女芸人て多いですね。まあ一人が流行ると、後に続けと後続が出てくる世界なのでしょうが。私がこの頃感じるのは、そんな女芸人たちの方向性の変化です。なんというか、ブス、デブ、下品を売りにしていない芸人が増えたような。

 

ゆりやんレトリィバァなんかは、もちろんあの体型も存分に活用しているとは思いますが、「ほーらでデブですよ、ブスですよ」という笑いというよりは、練られたネタとか英語やピアノといったなんでそんなうまいんだよ、という小技で笑わすクレバーさが売りのように感じます。

 

横澤夏子も、「顔がデカい」ことを時々使ってはいるものの、ネタはもちろん、「ウザい女観」を駆使したコメントやリアクションでひな壇に座っているようですし。

 

ブルゾンちえみに至っては、「いい女のテイ」を崩さないですもんね!おもしろ荘なんかでは、体型をいじられて(親近感がわくとか言われたんですよね)、「妬みも僻みも産まない、敵を作らない体!」と返していたものの、あくまで女としての自信満々の空気を維持してました。「女としてのイケてなさがおいしい」とされがちな女芸人としては珍しい存在だな~と感じました。

 

女芸人たる者、ブス、デブ、下品を武器にし、幸せになったら面白くなくなるから、独り身のみじめさをも武器にしていく。そんな風潮がずっと続いていますよね。そのプロ根性や面白さは認めますが、私には、その路線の女芸人たちを全く笑えない!と思う瞬間があります。

 

それはブス、デブ、下品、みじめの使い方が引くレベルな時。これは、武器の使い方のさじ加減をわかっていない、あるいはどこまで振り切れるかで真価が問われている!という場のへんな空気のせいなのかなと思います。もちろん、私の笑いを受け取る側としてのキャパもあるんでしょうけどね。どこまでを面白い、どこからが下品、不快と感じるかは人それぞれでしょう。

 

なぜそういう笑いが受け入れられないのかと考えた時、思い至ったのはそれは彼女らが笑わせているのではなく、笑われている瞬間なのでは、ということなんです。あくまで、私がそう感じる瞬間という範囲ですが。それにたいして、なんだかいじめを見ているような気になってしまうんですよね。「女性があんなことを好きでやっているわけがない、きっとい嫌々やっていて、笑われてるんだ」なんてどこかで感じてしまいます。

 

思えば、多くの女芸人が芸人を目指したきっかけとして、何かしらの反骨精神を挙げることが多いように思います。いじめられた、モテなかった、笑われてきた、ならいっそ芸人になろう!というエピソードをほんとによく見ます。これが男性芸人だと、面白いとモテるから、芸人になろうという動機を持っていた人がかなりの割合でいるようです。女性芸人の場合は、いわゆる開き直りが大きいというか・・・。

 

なので、女性芸人はこれからも増えていくと思うんですが、デブじゃない、ブスじゃない、下品じゃない、とにかく女捨ててない!っていう女は面白くなれるのか。期待しながら見ていきたいなーと思う今日この頃でした。