前回取り上げた『突然段ボール』よりも更に古い活動歴を誇るインディーズ系ミュージシャンが吉野大作である。1951年群馬県生まれ。70年に横浜国立大学に入学し(同級生が作家の高橋源一郎)末期の大学紛争に触発されながら、横浜の音楽シーンで活動し自主制作のレコードを発表。当初はプロテスト・フォ―クみたいな音楽を演っていたと聞くが、バンド活動に移り幾つかのバンドを結成~解散。80年に『吉野大作&プロスティチュート』を結成。「売春婦」という過激な名前のこのバンドでのライヴが評判になり、81年には唯一のメジャーからのアルバム『死ぬまで踊り続けて』(JAPANレコード)を発表。

 翌年俺は法政大学学園祭の法政大学学館ホールオールナイトライブで、吉野大作&プロスティチュートの演奏を聴いた。他の出演バンドよりも明らかに平均年齢が高そうな面子で、サックスを前面に出した激しい演奏、フィートバックを行う為ライヴ中ずっと観客に背を向けて弾いていたギタリストの姿など、その日に出演したバンドの中でも特に印象に残るバンドであった。

 特に印象的だったのは最後に演奏された『後ろ姿の素敵な僕たち』という曲。それから3年後。雑誌『宝島』が立ち上げた『キャプテン・レコード』から、その曲をアルバムタイトルに抱いた、吉野大作&プロスティチュートとしては3枚目に当たるアルバムが発表されたのであった。吉野大作以外のメンバーは(G/東条A機、SAX/時岡篤(秀雄)、B/高橋ヨーカイ、D/横山孝二)と表記さtれている。

 

 アナログA面1曲目『Fozzdelic Farm』は、スペーシーなギターのイントロが印象的。そのサウンドと現代詩風な歌詞が相まって幻想的な雰囲気を醸し出させる。後半から控えめに入ってくるサックスは間奏でフリーキーなソロを展開。

 2曲目『十二番目のジャガー』では、アルトとテナーのサックスを両方同時に吹いており、それが独特なリズム感覚に繋がっている。間奏でもサックスが自由奔放にソロを取り、謎めいた「十二番目のジャガー」という謎めいたキャラクターを強調。更にアコースティックギターのソロも挿入され、かなり練られたアレンジだ。

 3曲目が表題曲『後ろ姿の素敵な僕たち』。82年のライヴの時はもうちょっとスローな感じだった様な気がするが、レコーディングでは高速アレンジに置き換えられている。狂気的なサックスソロ、かつての「闘争の時代」の破綻を経験した結果、あらゆる事に諦観を覚えずにいられない虚無感が「後ろ姿の素敵な僕たち」という、アイロニカルなワードに込められている様に感じた。不朽の名曲であろう。

 

 A面最後の曲『心の中の楕円形』の静寂感を携えたイントロがカッコいい。ソプラノサックス&アコースティックギターを主軸にしたアレンジが、間奏から緩やかに変化していく成熟したサウンドは、一口にインディーズと言っても他のバンドとは一味違う「大人のバンド」って気がするなあ。

 

 アナログB面1曲目『エグゾポタミーの悪霊たち』は、ヨーカイのベースソロから始まり、管理社会からの脱却をテーマにした詞、危機感を促す様な切迫した演奏が続く。間奏では変拍子を使ったりと凝ったアレンジ。2本のギターが絡み合ったサウンドは厚みがある。

 2曲目『冷たい十字路』は異様なハイテンションの早い演奏と、早口でワードを叩き込む様な大作のヴォーカルが狂気に満ちている。サックスソロと細かいフレーズを弾くギターがシンクロし、切迫感を盛り上げていくのだ。

 

 3曲目『Missing』は一転してミディアムテンポの曲。痙攣ぽい音を奏でるギターに乗って不吉かつシュールな詞を唄う大作。やや抑え気味の演奏でアコースティックギターが使用されたり、何か嵐の前の静けさみたいでもある。曲後半になって漸くジャジーなサックスソロが聴ける。

 アルバム最後の曲『皮膚と骨の隙き間に』も不吉感漂うイントロが印象的。大作のヴォーカルは一部朗読調になりWヴォーカルで一人で掛け合いしたりもしている。演奏も何かに追われているかの様にサックスとギターが疾走し、唸り声を挙げている様な感じだ。

 

 

 所謂「パンク・ロック」とは一味違う、メンバーの音楽歴の豊富さから来る成熟したサウンド(それでいて切迫感や狂気性は良く伝わってくる)と、吉野大作の70年代に味わった挫折感から連想したと思われるシュールな独特の詞世界がこのアルバムの特徴だろう。その意味で言えば宝島によって仕掛けられたインディーズブームの渦中に発売されたのは、やや遅すぎた感は否めない。俺がライブで観た82年頃に制作されるべきであった。

 吉野大作&プロスティチュートの活動は、アルバム発売の頃はもう沈滞化しており、吉野が予備校『河合塾』の漢文講師をやっていた関係で、河合塾の入学式で演奏するという話題はあったものの、伝聞する所によればメンバーも活動の行き詰まりを口にしていたらしく、翌86年には解散していたと思われる(10年ぐらいに後再結成があって吉野大作&プロスティチュート名義のアルバムも発表)。

 プロスティチュート解散後も吉野大作は現在まで精力的に活動し多数のアルバムを発表。フリージャズが根っこにあると思われた時岡秀雄は、元『生活向上委員会大管弦楽団』のフリージャズ系ピアニスト・原田依幸のグループに在籍し、もう30年近く演奏を続けている。高橋ヨーカイはプロスティチュートと同時進行で伝説のバンド『裸のラリーズ』に加わり、裸のラリーズ最後のライヴまで在籍。その後ソロアルバムを発表したりしたが健康を害し、3年前に逝去している。