舞台は小豆島。中学生時代に西片をからかい続けた高木さんが、親の仕事の都合でパリに引っ越してから10年経った。西片(高橋文哉)は今母校の体育教師に。或る夜突然高木さんから電話がきて驚く西方。高木さんは何やら謎めいた事を言って電話は切れた。数日後。西片は恩師でもある教頭先生(江口洋介)から教育実習生を指導してくれと頼まれる。放課後教室に行った西片。すると清掃道具入れのロッカーから高木さん(永野芽郁)が飛び出してきて仰天…。

 

 数々の漫画賞を受賞、単行本は1200万部の売り上げを記録している、山本崇一朗作画の同名漫画の映画化…ではなく、原作の後日談となるオリジナルストーリーで、、TBS系列の深夜粋に放映された原作のTVドラマ化作品の続編に当たるらしい(未見)。そのTVシリーズの監督を担当した今泉力哉(ここ5年で12本もの映画を撮っている超売れっ子)がそのまま本作でも監督&脚本共作を務めている。NHK朝ドラ『半分 青い。』(18)出演以降映画&TVドラマで大変な売れっ子になっている永野芽郁と、モデル~仮面ライダーシリーズのドラマ主演を経た若手俳優・高橋文哉の共演。教頭先生役の江口洋介は、TVドラマ版でも同じ役を演じた。

 

 美術担当の教育実習生とは高木さんの事だったのだ。高木さん&西片の同級生で、西片の同僚である中井(近々やはり同級の真野と結婚予定)ら周囲の人は西片に悟られない様に口止めされていた。二人は結婚の前祝い的な呑み会に揃って出席、結婚式では花嫁が投げた花束を高木さんが取ったがプールに落としてしまい、それを西片が飛び込んで拾う一幕も。実習で高木さんは登校拒否生の野口を励まし登校させる活躍ぶり。そんな高木さんを指導教師として温かく見守る西片だが、一緒に歩いたりすると10年前の記憶が甘酸っぱく蘇って胸がいっぱいになる。本当の気持ちを伝えられないまま、高木さんの実習期間は過ぎてしまって…。

 本作が原作の後日談である事を知ったのは観終わってから。10年前の高木さんが西片をからかう回想シーンなどは点描的にしか描かれず、おかしいなとは思ってた。そういう事情を一切知らないで観た為に、俺には本作は純愛ストーリーというより、童貞臭が漂う男の、恋の告白までのドラマの様に映った。教室での告白シーンは延々1カットの長回しで撮影され、噛み合わない二人の会話などは往年のエリック・ロメール作品を彷彿させる部分もあったが、ロメール作品とは違って苛々感が募ってしまう。美しい小豆島のロケ風景、下世話な部分を排除した語り口は爽やかではあるけど、汚れちまった俺はこの作品の観客にはふさわしくなかった。

 

作品評価★★

(公開三週目の平日夜上映とは言えど、観客が俺を含めて僅か3人というのは悲惨過ぎないか…。永野芽郁は生活臭さを感じさせないキャラクターが受けているのかもしれないが、、俺にはあんまり面白くない。森高千里はいつまでも若々しいけど、江口洋介は老けたなあ…)

 

 付録コラム~『最高殊勲夫人』と最高の観客

 戦後日本映画の代表的な監督の一人である増村保造だが、長らく大映所属のプログラムピクチャー枠で撮っていた事もあり作品数は多く、未だに観る機会の恵まれない作品の数も結構あったりするのだ。23年ぶりに再見した『最高殊勲夫人』も、どちらかと言えば野心作とかではなく、プログラムピクチャーとして撮った作品だと思うが、それでも頗る面白い。源氏鶏太の同名小説を増村の盟友・白坂依志夫が脚本化。1959年2月に封切られている。

 とあるホテルで一流会社専務の結婚式が行われる。新郎は秘書だった新婦を見初めて結婚したのだが、実は新郎の兄である社長(船越英二)も新婦の姉でお付きの秘書だった長女(丹阿弥谷津子)と結婚している。となると衆目が注目するのは、新郎側の末弟(川口浩)と新婦側の三女(若尾文子)も結婚するのでは…という事。しかし川口は兄のコネでの入社を嫌い別の会社に入社した程の頑固者。若尾も定年間近の父が娘の三度目の玉の輿を狙っていると陰口叩かれているのを知っており、お互い意識しつつも共に絶対結婚しないと宣言。今や亭主を尻に敷き「女帝」化している長女は、何とか二人を結婚させようと張り切るが…。

 そんな結婚狂騒曲的なコメディ―編なのだが、実は白坂依志夫は前年にやはり結婚をテーマにした岡本喜八のデビュー作『結婚のすべて』の脚本を執筆。同様企画に対する慣れみたいな物も確かに感じるけど、人生最大のイベントとこの当時は素朴に信じられていた「結婚」という儀式を、些か皮肉をこめて書く風刺的な作風は本作でも健在。それに応えて超テンポの良い演出で、大体の結末は想像できても観る者を最後飽きさせない手腕はさすが増村!と拍手を送りたい。でも冷静に考えると、どんな事情があるにせよ美人でかつグラマー?、かつ性格も至ってよろしい若尾文子みたいな女性と結婚したくないと言う男が存在するとは信じ難い。いるとしたらその男は絶対ゲイ(笑)。

 初見で観た映画館は渋谷駅から南西側の歩道橋を渡って降り、直ぐに坂を上った所にあった、まだ移転前の『ユーロ・スペース』。01年の特集上映『増村保造レトロスぺクティヴ』の内の一本として観た。以前にもチラッと書いたけど、その際に俺は「最高の観客」にも遭遇した。俺の3つか4つズレた席で観ていた女子大生風の若い女のコの事だ。映画を観つつチラ見すると、椅子から身を乗り出してスクリーンに映る映画世界に没頭。その時の表情の多幸感が凄かった。心の底から増村の映画を愉しみ、全身でその歓びを表現している。長年映画館で映画を観てきたが、ここまでのめり込んだ観客の姿を見たのは、先にも後にも記憶がなかった。そういう最高の観客が存在していただけで『最高殊勲夫人』のリバイバル上映は成功であったと言えるのでは?

 振り返れば、俺にも彼女みたいな時期があったのかな…と考えさせられてしまった。日本映画について考える事は今も昔も変わらず好きだけれど、無心に映画世界に身を委ねて堪能するなんて経験は、やっぱり俺には一度もなかった様に思う。それがちょっとだけ哀しかった。日本映画最底辺の時期に日本映画に開眼した俺は、そんな「悲しみの世代」の人間なのだ。