もう遥か昔の金沢在住時代。金沢駅前近くの商店街通りに『K』という店名の小さなログハウス風な喫茶店があった。ウインドーから店内をのぞき込むと六畳間程度の広さの室内にカウンター代わりのテーブルがあるだけのシンプルな佇まいで、何となくだが普通の喫茶店ではなさそうな雰囲気は伝わってくる。あの時代この手の喫茶店は金沢みたいな地方都市にも結構あったのだ。

 ただそこを通る時間帯(大抵は駅に向かう午前中の時間だったはず)もあるのだろうけど、一度も営業をしているのを見た事はなかったのだが、さる筋からその事情を聞く事ができた。経営者は熱狂的なサザン・ソウルファンで、本業の傍らサザン・ソウルをかける店を作りたくて開業したとか。気が向いた時(多分週末のみ)しか営業せず、当然ながら集うお客も身内オンリー。実家の経済力あっての事ではあろうけど、サザン・ソウルを気兼ねせず聴きたいが為にここまでやってしまうマニア心、見上げたモンだなと感心した物だ(北陸新幹線開業に合わせた駅前再開発で、今はその店の面影どころか商店街自体の存在が消滅してしまっている…)。

 そんな風なサザン・ソウルマニア必読の書が本書という事になるのだろう。桜井ユタカ氏没後ソウル・ミュージック評論の第一人者となった鈴木啓志・著『メンフィス・アンリミテッドー暴かれる南部ソウルの真実』(株式会社Pヴァイン・刊)は、サザン・ソウルの聖地メンフィスの黒人音楽の系譜を徹底分析し、あの素晴らしいサザン・ソウルはどの様にして生まれたのかを、鈴木氏なりに解明した労作なのだ。

 まずたまたま先日拝読した『シカゴ・ソウルはどう世界を変えたのか』と対になってるなあと思った。黒人差別がシカゴよりも更に厳しい南部都市のメンフィスでも、公民権運動と連係した黒人音楽の動きは多少はあったと思うが、サザン・ソウルオタクの鈴木氏には全く興味外の事らしく、その部分には殆ど触れらずひたすらサザン・ソウルのサウンド分析に執心。

 更にメンフィスサウンドといっても大手レーベル『スタックス』についての言及は最低限に止め『ゴールドワックス』『ハイ』といったサザン・ソウル最注目のレーベル絡みの話題に終始。その象徴として俎板に挙げられているのが世界的スターとなったオーティス・レディングへの物言い。オーティスとO・B・ライトが共にレパートリーにしていた『ザッツ・ハウ・ストロング・マイ・ラヴ・イズ』の両者の唱法を比較し「オーティスの唱法は信じられない」と批判し? わざわざ一章設けて「オーティスの評価の高さはヨーロッパから発生した物。だからオーティスをメンフィス・ソウルの王者と言い切るべきではない」と、天国の忌野清志郎が激怒しそうな事も言ってのける。

 

 

 まあそれだけゴールドワックス~ハイで作られた楽曲とサウンドへの偏愛が鈴木氏にある訳で、そこで生み出された楽曲のシンガーではなく、バックミュージシャンへの異常なまでの拘りは鈴木氏の独壇場。かなりのサザン・ソウルマニアでも「この曲のドラムがAかBか、それが大きな問題だ」などと思い悩む人はごく少数であろう。だが鈴木氏にとっては楽曲の出来を左右する程の、決定的な事なのだ。

 そのサザン・ソウルサウンド最大の功労者として鈴木氏が挙げているのが、50年代後半~60年代までトランぺッターとして自ら楽団を率いて活動し、後に『ハイ』のプロデューサーとしてO・Vやアン・ピープルズ、シル・ジョンソン、そして全米的なトップスターとなったアル・グリーンを売り出したウィリー・ミッチェルと、世間的には『ブッカー・T&the MG’S』のドラマーとして知られるアル・ジャクソン。 (アル・ジャクソンJrとも表記)。

  スタックスのハウスバンドとしての活動のみならず、幾多のサザン・ソウル楽曲のレコーディングに関わったアル・ジャクソンが射殺というショッキングな亡くなり方をしたのは知っていたが、本書で事件が未解決のままだと初めて知った。彼の悲劇的な死によってサザン・ソウルは終わったとまで、鈴木氏は言い切っている。

 ウィリー・ミッチェルについては第12章『メンフィス・リミテッド』で、彼とO・V・ライトとの深い絆が書き綴られている。それまでの章では至極冷静にサザン・ソウルを分析していた鈴木氏だが、この章だけは感情ぼろぼろ。妻へのDV~離婚、ドラッグ依存から窃盗を繰り返した末に逮捕~刑務所入りと、絵に描いた様な転落の道を歩んだO・V・ライト。はっきり言ってアル・グリーンで成功したハイから切られても文句は言えない立場であった。でもウィリー・ミッチェルは彼のシンガーとしての才能を信じ見捨てる事はなくレコーディングをセッテイングし、そのお陰でO・V・ライトはサザン・ソウル史に残る名盤を制作…これまた絵に描いた様なお涙頂戴話だが、俺は嫌いじゃないよ。この章でのウィリー・ミッチェルは、完全にO・V・ライト信者である鈴木氏の代弁者と化しているね。

 

 

 そんな風に本書は癖の有り過ぎる内容故に、サザン・ソウルマニアにも賛否両論ありそうだが、それこそ鈴木啓志氏にはサザン・ソウルを思いきし聴きたいという理由だけで喫茶店を作った人と同様な、超マニアならではの凄みたいな物は確かに伝わって来て、読み物としてはこれ位偏向した内容?な方が面白いだろう。

 もう随分昔の話になるが、鈴木氏が監修した『ミュージック・マガジン』増刊『R&B ソウルの世界』を読んでサザン・ソウルの片鱗に触れた者としては、いつまでもソウル評論の頑固爺さんとして健在であって欲しい…と俺は思うのだ。