日本の映画やTVドラマで描かれる子供の殆どは「大人に都合のいい子供でしかない」と常々俺は訴えているのだが、その論理でいけば「日本の映画やTVドラマで描かれる女性像も男にとって都合のいい女」の可能性もある訳だ、近年の女性映画監督の増加は、一方的に男の監督たちから押し付けられてきた旧来の映画作りに対するアンチ、と捉えるべきだろうか。

 そういう近年の映画界の流れを検証する書籍が発表された。『彼女たちのまなざし 日本映画の女性作家たち』は、まず日本映画の歴史の中で女性監督がどの様な形で登場してきたかを年代別に解説し、著者が選んだ16人の女性監督の作品を論じ、更にその16人以降に登場した新進女性監督の作品にも言及。最後に女性監督の作品100本をリスト的に紹介。共著者の北村匡平は近年日本映画研究者として頭角を現してきた人で、本ブログでも紹介した渋谷実や京マチ子本にも深く関わっていた。

 本書によると日本の女性監督の始まりは、戦前に登場した坂根田鶴子という人(溝口健二作品の編集や監督補を務めた)らしいが、広く知られている所では『恋文』(53)で監督デビューした女優・田中絹代であろう。ただ本書によると製作協力として名だたる監督が関わり、実際の所コンテを書いたり演出したのは影武者である彼らであって、田中絹代は単なる宣伝効果を狙った名ばかりの監督であったという。彼女が実質的に監督の実権を得るには、55年の難病で早世した実在の女流歌人を描いた『乳房よ永遠なれ』(主演・月丘夢路)まで待たなければならなかった。

 1976年には、女優・左幸子が監督した『遠い一本の道』がキネマ旬報ベスト・テンで第10位にランク・イン。女性監督の劇映画作品が批評的に高く評価されたのはこの作品が初めてだったと思うが、左幸子は自分を裏切った元夫の羽仁進への対抗意識で監督をやっただけで、この後も監督を続ける意志はなかった様だ。

 それ以前にピンク映画で浜野佐知が1968年に監督デビューしていたが、ピンク映画を下に見ている映画批評の限界線もあり、約300本の監督作を重ねても97年の「東京国際女性映画祭」で一番作品を撮った日本の女性監督は田中絹代と公式発表された事に発奮し、翌年から一般映画を自主製作する様になる。

 そんな映画業界の流れとは別に80年代よりアマチュア映画祭が盛んになり、そのコンテスト受賞を経て多くの女性監督が登場。更に海外で映画を学び帰国して映画監督になった人も何人かいて、未だに徒弟制度的に助監督経験を積んで監督になるのが普通である男性監督とは、かなり違う経路であると言えるだろう。

 16人の監督の作品論については、当然ながら「女性監督」という括りで語られるのは取り上げられた側からしても本意ではないはず。各々が異なる作家性を持っており、河瀨直美の作品と浜野佐知の作品を同一線上で語るのには無理がある。それを承知で著者は女性監督論不在である批評界に風穴を開けようとしているのかもしれない。

 彼女たち以降に登場した女性監督たちに共通するのは、LGBTの境界線を越えた作品作りと言えようか。近年のLGBT差別をなくそう的な世の趨勢を反映しての事でもあろうが、イケメン男が美女のヒロインと恋に落ちるのが未だ鉄則的な日本映画の恋愛観は、明らかに時代の流れに立ち遅れている。男と女が出会ったからといって必ずしも恋愛関係に陥らなくてもいいし、それが「男と男」或いは「女と女」であってもいいはず…という約束事からの脱却を図る自由な映画作りは、2010年以降に登場した女性監督に多いのは歓迎すべき所であろう。

 ただそんな女性監督たちに共通する問題点は、ドキュメンタリー系監督を除けば、監督と脚本を兼ねるケースが多い事だと俺は考える。男性監督の場合監督と脚本を兼ねるケースは少ない(オリジナル脚本の映画化が歓迎されないという業界事情も関係しているが)。小説家、漫画家、シンガー・ソングライターの場合は作り手のパーソナルが全てを決めると言ってもいいと思うけど、映画の場合は共同作業である分監督のパーソナルな部分だけで押し切るのには限界性があるのでは…と私感だが常々思っている。その点脚本を兼ねる女性監督の場合、監督の自意識が空回りしている部分が多く感じるのだ。

 最初は自分の個性や自意識だけでやっていけても、作品を重ねると必ず壁にブチ当たるはず。それを越えないと「プロ」の監督になるには難しい。何か説教じみた結論になってしまうけど、性別に関わらず映画監督共通の事であるとは思うのだ。

 

 ちなみに本書のリストに挙げられた100本の作品(一監督一本に絞って選出)のマイ・ベストは監督(ヤン・ヨンヒ)のパーソナル体験を一部フイクション化した『かぞくのくに』(12)である。移住した北朝鮮から一時日本に帰国した兄(井浦新)に自分のやってる事を手伝ってくれないかと頼まれ「オッパ、ウチにスパイみたいな事をさせたいんか!」と言う妹(安藤サクラ)の悲痛な叫びが、未だに俺の記憶に残っている。

 女性監督の増加に反対する理由など全く無い。ただ時代の趨勢に容易く乗っかるだけではなく、連続性という事を念頭において彼女たちの監督活動が盛り上がっていけばいいな…と本書を読んで強く思った。

 

付録コラム~久我美子

 軍隊から復員し映画界に復帰した池部良は、完成試写会で関係者とふざけ合い、自分にも悪戯を仕掛けてくる久我美子に衝撃を受けたという。戦前の女優たちは揃ってプライドが高く、スタッフと戯れるなんて事は皆無。戦後になって女性の地位向上が訴えられ、男女間にあったしこりみたいな物も幾分は取り除かれたとはいえ、活躍している女優陣は戦前から活躍している人ばかりで、依然周囲の人には近寄り難い存在であった。その意味で言えば戦後直後に映画デビューし素顔は天真爛漫その物だった久我美子は、正に戦後女優の象徴であった。

 久我の実家は戦前の華族であり生粋のお嬢様の生まれだったが、様々な事情で戦前から一家は困窮しており、戦後直後の厳しい食料事情もあって家族の生計を助ける為に久我は第一期の東宝ニューフェイスに応募、合格したという。育ち故の清楚キャラを演じる一方で、素そのまんまのお転婆娘も演じた(言うまでもなく批評的には前者の方が評判良かった)。54年には岸恵子、有馬稲子と共に『文芸プロダクションにんじんくらぶ』所属となった事で「五社協定」のカテゴリーからはずれ、自由に各社の作品に出演できる特権を得ており、東宝のみならず松竹作品にも多く出演。90年代からは小津作品のイメージを求められ竹中直人監督作品の常連になっており、女優業は90年代いっぱいまで続けていた。

 名作の類いの出演も当然多いが、俺が好きなのは原田康子のベストセラー小説の映画化『挽歌』(57年 監督・五所平之助)と『青春残酷物語』(60年 監督・大島渚)だ。前者は北の街・釧路の広大な平野などの風景を織り込みながら、自由な生き方を模索する独身の女性を演じた。ふとした事から妻子ある男(ミスター女難男・森雅之)と深い仲になり、それが男の妻(高峰三枝子)が自殺するという悲劇を巻き起こす。ただそのショックから立ち直る凛とした久我の姿が、本作を凡庸なメロドラマに陥る事を免れている気がした。世評はどうだったか知らないが個人的には傑作評価だ。

『青春残酷物語』では不良化した女子高生の妹(桑野みゆき)に手を焼く姉役。口では諫めるけど全く効果無く、妹は家を出て男(川津祐介)と同棲し妊娠。産む訳にはいかず堕胎する事になり、それをした無許可の医者(渡辺文雄)が学生時代の昔の恋人だった。かつての学生運動の颯爽としたリーダーだった頃の面影は無く、自嘲するばかりの元恋人を目前にして溜息つかんばかりの姉。戦後民主主義の華みたいな存在だった久我美子が、全てに諦観している女を演じているのは観てる方も痛々しかったが、所詮戦後民主主義なんて虚栄だったという大島の怨念が、久我にやつれた姿に籠っている様な気がした。

 私生活では東大出の悪役・平田昭彦夫人であり、新東宝を経てTVの昼メロドラマの女王として活躍した三ツ矢歌子の義妹だった。平田は久我よりも年上だが東宝ではかなり後輩に当る。久我美子が亡くなって、戦後直後に活躍した女優の存命者はもういないのかな?