2001年9月11日。この日は多くの人にとって忘れられない、あのアメリカ同時多発テロが起きた日であり、当夜に自分のバンドのライヴを行い打ち上げで酒飲んで浮かれ気分だった俺も、いっぺんで酔いが醒めた。

 ボブ・ディランの通算43枚目となるアルバム『”ラヴ・アンド・セフト”』はその当日に米国で発売された。何か附合みたいな物でもあるんだろうか? 長らく続けてきたダニエル・ラノワ(『U2』でお馴染みのプロデューサー)との関係を断ち切り、本アルバムではジャック・フロストという変名でセルフ・プロデュース。当時のディランのツアーメンバーがそのままレコーディングに参加し、前作『タイム・アウト・オブ・マインド』(97)に参加していたオージー・マイヤーズ(アコーディオン&キーボード。テキサスのバンド『サー・ダグラス・クインテット』のメンバーだった)も続けて参加している。

 

 トラック1『トゥイードル・ディー&トゥイードル・ダム』は『不思議の国のアリス』に登場するクラクターの事を唄った曲だと思われる。テンポの速いリズムはあっと驚くロカビリー調。いい具合に枯れたディランの歌声もイイ。

 トラック2『ミシシッピー』は『タイム~』の時にレコーディングしたがお蔵入りとなり、今回再度録音し直したヴァージョンだそう。南部の州の保守的な社会をチラッと皮肉った歌詞。広大な大地をバックに朗々と唄うディラン…という画が脳裏に浮かんで来る。カントリーソング調だがメロディ―が美しく印象的。名曲の類いだろう。シェリル・クロウが後にカバーした。

 

 トラック3『サマー・デイズ』はトラック1に続いて完全なロカビリースタイルの演奏をバックに、ノリノリで唄うディラン。妙に若やいだ感じがあって微笑ましくもある。バックメンの弾くギターソロも軽快その物。

 トラック4『バイ・アンド・バイ』はリズムセクションが4ビートを刻むジャズぽい曲。オーギー・メイヤーズが弾くオルガンが隠し味的な効果を出しており名演。21世紀とは思えない、敢えてノスタルジックさをアピールした?

 

 トラック5『ロンサム・デイ・ブルース』は、古代ローマの詩人の詩をディラン流儀の詞に置き換えた物だと言われている。タイトル通りのブルーステイストの曲で、ディランのぶっきらぼうなブルース歌唱が印象的。

 トラック6『フローター(トゥー・マッチ・トゥ・アスク)』の歌詞は、佐賀純一という人が元浅草のヤクザから聞き書きした事を纏めた『浅草博徒一代』(筑摩書房・刊)の一節が「引用」されている様だ。盗作云々よりディランがその様な本に興味を抱き読んでいた事の方が驚き。バイオリンがフィーチャーされたノスタルジックな味わいのある曲。

 トラック7『ハイ・ウォーター(フォー・チャーリー・パットン)』は、デルタ・ブルースマンの開祖と」言われるチャーリー・パットンに敬意を示して作られた曲らしい。生ギターのバックにバンジョー。アコーディオン、ティンパニーなどを配したアレンジで、現代にデルタ・ブルースのスピリットを蘇させえるとこうなるって事かしらん。

 

 トラック8『ムーンライト 』もタイトルから連想されるロマンチックなムードが曲全体を被っている。シンプルなリズムを淡々と刻むドラムス。ギターも控えめにメロディアスなフレーズを弾いてディランの歌を盛り上げる。

 トラック9『オネスト・ウィズ・ミー』は時節柄「戦ってよかった 勝てればなおさらよかったが」という一節が意味深に取れる。本アルバムでは珍しいハードな触感がある曲で、チャーリー・セクストンのスライドギターが活躍。18年の『フジ・ロック・フェスティバル』でのライヴレパートリーにも入っていた、ディランの自信作。

 

 トラック10『ポー・ボーイ』の歌詞も一部『浅草博徒一代』から引用されたとも言わている。アコースティックギターを主軸にした、昔のジャスソング風な趣で、曲自体はかなり親しみが持てる感じ。

 トラック11『クライ・ア・ホワイル 』はバックでスライドギターが入ったりする典型的なブルーススタイルの曲だが、途中でリズムを急に早めて唄ったり、緩急付けたりしている所が面白い。これもディランにとってもお気に入りの曲だったrしく、翌年の44回グラミー賞授賞式に出席した際に披露された。

 アルバム最後の曲『シュガー・ベイビー』はこのアルバムでは一番長い曲(6分40秒)で、アコーディオンをバックに配して、歌詞を明確に唄うディランには年相応の落ち着きめいた物(と言ってもまだ?40歳だけど…)を感じさせる。そんな癒し系ソング。

 

 いい意味で加工感があったダニエル・ラノワのプロデュース下のアルバムに比べると、本アルバムはずっと生音ぽく、曲アレンジも50年代やそれより更に遡るカントリーやブルースを意識した様なパータンが多く「温故知新」なんて四文字熟語を彷彿させる印象なのだが、だからと言って単純に良き時代のアメリカよ何処~などと訴えている訳でもないだろう。その辺りの微妙な匙具合はイエロー・モンキーな俺にはちゃんと分からないのだが、そんな「21世紀のディラン」はリスナーに受け、米国や英国では大いに売れて次作のアルバムに期待を持たせたのだが、結果的には5年も待たされる事になるのだ。