音楽シーンに登場した頃は「演歌」ではなく「怨歌」のイメージで語られる事が多かった三上寛。その個性的キャラクターが認められ俳優として映画出演する事が多くなっていく。露出度が増えるのはいい事ではあるが、その分「歌手・三上寛」のイメージが薄れる感が無きにしも非ず…という時期に発売されたのが本アルバム『寛』であった。通算8枚目、『URCレコード』からビクターに移籍してからは2枚目のアルバムとなる。

 それまでアルバム上でフォ―クのカテゴリーに留まらずフリー・ジャズ、はたまたロックバンドとのセッションを重ねてきた三上寛だが、このアルバムでは老舗レコード会社のビクターならではとも言うべき演歌系編曲家にアレンジを委ねている。元々「異色の演歌歌手」としてデビューした三上寛だから、そんなに違和感はないのではあるが。

 

アナログA面1曲目『そうさあの日の夜は』は、赤裸々な詞表現がいかにも三上寛…という感じだが、オーソドックスな演歌調アレンジが彼の毒読しさを具合にソフトタッチに?変換している。歌詞の「放火魔」の部分がレコ倫に引っかかり、録音上では削除された。

 2曲目『泣けてくるよ』はイントロのトランペットソロがイイ。女にフラれた切ない男心を綴った、歌世界は、60年代の田舎出身演歌歌手のイメージと重なる。所々で聴かれるマンドリンの音色はまるで古賀政男メロディ―?

 3曲目『人間とは何か』ではバイオリンやアコーディオンの響きが、三上寛流の哲学的考察な詞に良くフィットしている。歌詞に登場する一種即物的なワードが、「三上寛」という共通コードで唄われると統一感を醸し出すという言葉のマジック? この曲もレコ倫規定に触れ、一部の歌詞が手直しされている。

 4曲目『せりふ』はタイトルそのまんまの全編三上の語りのみという曲。離婚して妻子と離れ離れになった友人に「今からでも間に合うんじゃないか、やり直せよ」と語り掛ける、三上寛が渡哲也ばりの男の優しさを秘めた「兄貴分」を曲の中で演じた。シングルカットされ有線チャートではいいトコまで上昇。ジャケットのイラストが美しいシングル盤はプレミア物だね。

 

 

 5曲目『オートバイの失恋』は、オートバイを擬人化して描写したシュールな詞が素晴らしい。「巨大なオートバイの上に巨大なオートバイが乗り」というパターンを繰り返し、「その上に巨大な人間が乗っていた」で〆る下りには戦慄感すら覚えた。間奏部分ではオートバイの発射音のSEを挿入。この時期のライヴではお馴染み(三上が口で発射音を物真似)になっていた名曲。

 

 A面最後の曲『あっぱれ あっぱれ ~池田福男さんに捧げる~』は前曲の重々しさとは一変、何事も好転続きの日常を綴った歌詞が超ポジティヴ。三上の、唄いながら浪越徳治郎ばりの哄笑が豪快その物、和太鼓が使用される音頭風のアレンジには東北地方の匂いが。池田福男って誰だろう?と気になっていたが、調べてみるとアラーキーこと写真家・荒木経惟のアシスタントだった写真家の事らしい。三上の友人だったのか。

 

 アナログB面1曲目『三上工務店が歩く』はB-5と同じ擬人化ソング。「三上工務店」という、三上の別人格ぽい存在を仮定し、それに纏わる欲望を詞で表現。叙情派フォ―クなどクソくらえと言わんばかりの、三上の肉体から繰り出される豪快系の唱法に暫し圧倒される。

 

 2曲目『関係』は騙し騙される男女関係の機微をシリアスに表現した弾き語り風ソング。語りも混じえた三上のこの曲でのヴォーカルには強い説得力がある。三上が音楽を担当し出演もした日活ロマンポルノ『夫婦秘戯くらべ』(76年 監督・武田一成)の挿入曲として使用された。

 3曲目『花子と太郎の恋物語』は前曲のパート2風に男女関係を描写する詞だが、三上流のナンセンスな感覚も強調されている。後半からはガラッと曲調が変わりシリアスモードでそのまま次曲へと連鎖していく。その4曲目『海』は、一晩中多分日本海と思われる海に対面した時の心情を綴った物。寄せては返す波のSEも挿入され、絶唱とでも表現したくなる三上の歌に聴き惚れる。「もしかしたら俺は、生まれた時から死んでいたのかもしれない」という詞の1節は、同郷青森県の盟友である寺山修司の「私たちは不完全な死体として生まれた そして何十年かかけて完全な死体になるのだ」という言葉に呼応しているのだろう。俺はこの曲が好き過ぎてライヴとプライヴェート歌唱を含め通算500回は唄った。

 

 5曲目『自己嫌悪のサンバ』は、6枚目のアルバム『BANG!』(73)の『最後の最後のサンバ』に続く、三上寛のナンセンスサンバソング。ただこのアルバムの統一イメージからすると、やや逸脱している感じがしてしまうのは、俺だけであろうか…。

 アルバム最後の曲『さようならと手を振って』は、正統的演歌にちょっとだけ三上本来のパンク風な味付けを施した(歌の切れ目に入るノイズ風な生ギターの響き!)。そんなかなり渋めな曲で、ここまで聴いてくれたリスナーに別れを告げて〆る。

 

 前作『青い炎』(74)で顕著だった流行に色目を使った俗っぽさ志向が一掃され、演歌風アレンジに乗せ我が道を行くみたいな硬派性が強調されたアルバムになった。A-5やB-4の様な三上寛の代表曲が生れたという意味だけでも名作。その他の曲については捻りが足らないとか多少の不満はあるものの、Bー5を除けば鈍い輝きを持つこのアルバムのイメージを損なってはいない。『せりふ』が罷り間違ってそれなりにヒットしたら、その後の三上寛はどうなっていたのかは予想もつかないが。

 ただこの頃の三上寛はあまり同じ事を繰り返したくない性質だったらしく、ライヴアルバム『夕焼けの記憶から~青森ライブ』(77)を挟んでまた全く別の地点に到達するのであった…。