かつてプロレス界で『DRAGON GATE』が輝いて見えた時代があった。2004年にメキシコのレジェント日本人レスラーだったウルティモ・ドラゴンが運営する『闘龍門JAPAN』から独立する形で『DRAGON GATE』が設立。『闘龍門JAPAN』に所属していたレスラーの殆どがそのまんま『DRAGON GATE』所属になり、それにDRAGON GATE生え抜きレスラーも加わって、タッグマッチではメキシコのルチャリブレを日本向けにアレンジしたスピーデイーなレスリングを展開。ユニット抗争での裏切り(ベビーフェイスからヒールターン)、ヒールユニットからの追放劇などは日常茶飯事な印象があるが、試合展開の速さにフィットしている様でもあり、そんなに戸惑いは感じなかった。

 巡業をベースに年6回のビッグマッチを組み、それに合わせて抗争アングルを設定する流れも定着。年1回行われる複数の選手が同時に闘うエスケープ形式の金網マッチでは、敗者(最後までリングに居残った選手)が坊主頭になるか、或いはマスクを脱ぐなどのぺナルティーを与えられるのが恒例となっている。

 日本選手のみならず外人所属選手のレベルも高く、リコシェやPACはDRAGON GATE契約期間終了後『WWE』にスカウトされ人気選手になった。日本選手でも中堅どころだった戸澤陽が『トザワ』名で現在もWWEで活躍している。

 2010年代前半のDRAGON GATEは他団体と一線を画し、ビッグマッチのスペシャルマッチ以外は他団体選手と関わらないプチ鎖国方針で(他団体のリングに選手派遣する事はあったが)、プロレス界で独自の地位を確立していた。それが徐々に揺らいでいる様に感じ始めたのは、闘龍門JAPAN時代からエースだったCIMAのDRAGON GATEのリングからの撤退(後に退団し今は他団体所属になっている)。長らく代表を務めてきた岡村隆志が病気療養を理由に代表を辞任した事と何か関係があるのかもしれないが、自他とも認めるエースの離脱は対外的に痛かった。

 更にレスラーとしての潜在能力では他レスラーを圧倒していた鷹木信悟が『新日本プロレス』にスカウトされる形で同じ年に退団。団体も納得しての事だったとはいえ、将来間違いなくエースになれてたはずの逸材の退団も大きな痛手ではあった(ただしこりはなく、鷹木は退団後もしばしばDRAGON GATEのリングに上がっている)。

 鷹木の離脱辺りからDRAGON GATEは若手選手のプッシュに着手。DRAGON GATE全盛期を支えたレスラーたちはアングルで脇役に回る事も多くなった。団体運営としては当然の事とはいえ、ちょっと淋しい感は免れない。新型コロナウィルス禍も巡業をベースにしているDORAGON GATEには大きな打撃だったと思う。

 そして現在。空席も目立つ後楽園ホールの風景も変ったが、リングの選手風景も変った。二世レスラー(DORAGON GATE創世記から活躍する望月成晃の息子・望月ジュニア、新日で一世風靡した『スーパー・ストロング・マシン』の息子『ストロングマシーン・J』 元大相撲力士で『SWS』でデビューした維新力の息子・ISHINがユニット抗争に加わって闘っている。

 そして今のDRAGON GATEの実質的なトップと目されるのがマスクマンの『シュン・スカイウォーカー』。元々は素顔で闘っていたが16年からマスクマンに変身。最初はベビーフェイスだったがユニット内トラブルを経てヒールターン。マスクも全身タイツも黒に統一、試合内容のみならず他選手を全て自分より下とみなす口撃力も上レベルで、ヒールのボスに君臨している。何れはベビーフェイスターンすると推測されるが、今は圧倒的な憎まれ役。

 そのシュン・スカイウォーカーに拮抗するオーラを持つ程の若手選手がベビー・フェイス側に見当たらないのが、今のDRAGON GATE最大の問題だろう。鷹木離脱後エースとして活躍したYAMATOをもう一度闘いの最前線に戻す手もあるけど、やはり若手選手の奮起を促すしかない。運営がプッシュしても最終的に団体エースは誰か決めるのは、観客サイドなのだから。

 

 出口の見えない不況はプロレス界も襲った。プロレス団体は他業種企業の傘下に入って子会社化するのがベターというご時世に、あくまでプロレス興行会社として自力で勝負するDRAGON GATEみたいな団体は厳しい。でもそれをやり続けていく事にしか、未来も見えてこないのだ。ショー・マスト・ゴー・オン…