先日本ブログで話題にした1969年カナダ・トロントでのリバイバルライヴ。そのトリは『プラスティック・オノ・バンド』ではなく『ドアーズ』だった。しかし撮影をメンバーが拒否した為にその時の演奏は映像に残されておらず(ギタリストのロビー・クルーガーは先日観たドキュメント映画に出演し、回顧インタビューを受けていたが)。ライヴでのトラブルが誇大に報道された事で、ドアーズのメンバー(というか、ジム・モリソンが…って事かもしれないけど)はメディア不信になっていた公算が強い。そんなスキャンダルの渦の中でドアーズは存在した。

 ドアーズが結成されたのは1965年。ロスアンゼルスの大学で映画を勉強していたジム・モリソン(ヴォーカル)とレイ・マンザレク(キーボード)が、マンザレクと知り合いだったロビー・クルーガーとジョン・デンズモア(ドラムス)を加えて活動開始。翌年にはレコード会社と契約したというから、早い時期から注目されていたバンドだった事になる。ライヴでのベースレスの特殊な編成は、オルガンジャズのコンポから発想したのではないかと推測したりもするのだが。

 そして67年1月にはさっき聴いた1stアルバム『ハートに火をつけて』が発売。ここまではトントン拍子でドアーズの活動の未来は明るいと思えたのだが…。

 

 アナログA面1曲目『ブレーク・オン・スルー』はドアーズ初のシングル曲として、67年1月1日に発売(アルバムの発売はその3日後)。「突き抜けろ、向こう側」というワードがサビで繰り返される。現状打破を強く訴えたメッセージではあるが、同時にドラッグで向こう側の世界を体験したトリップ感覚についても言及。循環的な演奏にはジャズに近いセンスを感じたりもするが、やはり目立つのはジム・モリソンの絶叫ヴォーカル。歌詞のヤバさが問題となり、そのせいもあって米国ではヒットには至らず(英国では小ヒット)

 

 

 2曲目『ソウル・キッチン』はジム・モリソン行きつけの店の料理に感動して作った詞らしいのだが「キッチン」繋がりで伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソンを彷彿させる部分もあり、曲の全体的に至極切迫した印象もある。そんな生き急ぎ感がジム・モリソンらしいというか。イントロのロビーのギターのきめ細かさ、、W録音ぽくなってるジムのヴァーカルも印象に残る。

 3曲目『水晶の舟』は、ジムが判れたばかりの恋人への追憶を綴った歌詞らしい。未練たっぷりに彼女の幻影を追い求めている詞が、突然「クリスタル・シップ」なる聞きなれない比喩的表現に変換されるのが異様。ドラムスが大きめにミキシングされ、囁く様に唄うジムのヴォーカルが心優しい。レイのエレクトリック・ピアノソロもイイ。

 4曲目『20世紀の狐』はセレブぽい娘を唄った普遍的なロックソングなのだが「20世紀の狐」なんてやに大袈裟な形容。そういう女像を通し社会の変革の予感を象徴的に顕したのかと思ったが、「狐」とは英語で美人美男子の事を指すらしい。そうだと歌の意味も全く違った物になる。アルペジオのギターと素朴ぽいオルガンの響き。ギターソロの高揚感も必聴。小品ぽい曲ではあるが。

 5曲目『アラバマ・ソング』は、ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトが30年に発表した戯曲『マハゴニー市の興亡』の劇中で唄われる曲をカバー。逞しくかつ哀しく生きる娼婦をテーマにした詞で、こういうカバーをするロック・ミュージシャンってこの頃ジム・モリソン以外にはいなかったと思う。オルガンのリズムのテンポがオペラぽく、ジム・モリソンのヨーロッパへの憧れを感じさせる。そんな色を出した演奏陣の音楽的な引き出しも評価すべきか。

 

 A面最後の曲『ハートに火をつけて』は敢えて解説するまでもない大ヒット曲。メンバー全員の共作となっており、インストパートを長めに取って演奏力もアピール。赤裸々にドラッグ体験を唄った曲が全米№1ヒットになったのも、この曲が初めてであろう。

 

 

 アナログB面1曲目『バック・ドア・マン』は、ウイリー・ディクソンがハウリン・ウルフに提供したブルース曲のカバー。「バック・ドア・マン」とは他人の女を寝取る事を信条としているヤバい男の事。ブルースならではの歌詞だが、ドアーズのカバーはサイケロックとブルースが同衾した独自の物となっている。ジム・モリソンにもこの歌詞に身に覚えがあった?

 2曲目『君を見つめて』はドアーズらしからぬ軟派な邦題だが、実際歌詞も君と一緒に信じる道を歩いていこう的な普遍的なラブソング。「後戻りできない」というワードがあるので、俗に言う駆け落ちの歌なのかもしれない。ドラムス&ギターのイントロで始まり軽快な演奏だが、お約束のジムの絶叫ヴォーカルは勿論アリ。オルガンソロを聴いていると日本のGSを思い出したりもする。
 3曲目『エンド・オブ・ザ・ナイト』は、ジムの文学志向が明解に出た詞。深夜高速道路で車を飛ばし夜の果てを目指す…なんて一見ロマンチックな詞だが、暗い方へ暗い方へと流れていくジムのこの後を暗示している様。サイケ色とプログレロックの走りの中庸みたいなアレンジで、ジムのヴォーカルも闇に憑りつかれた様に陰気で沈んでいる。
 4曲目『チャンスはつかめ』では運命のままに受け入れる事が大切、速く急ぎ過ぎてはいけない…とジムは唄う。表面上は恋愛ソングだが性愛やドラッグ入門の勧めみたいなニュアンスも感じる。アルペジオのギター、間奏のオルガンソロなど短い曲ながらも効果的なアレンジが施され、聴き応えアリ。
 アルバム最後の曲『ジ・エンド』は、難解でヨーロッパ文学の影響が強く出たジム・モリソンの詞と、葬送曲じみた12分弱に達する演奏が合体し、何かの終わり(それは様々な意味に取れる)を暗示する、「名曲」なんて易い言葉では表現できない問題曲なのだ。この曲が映画『地獄の黙示録』(79)使用されたのは、歌詞が映画の内容と合致していると同時に、フランシス・フォ―ド・コッポラがジム・モリソン、レイ・マンザレクと大学の同級生であった事も理由の一つだと思う。

 

 

 発売当時流行していたサイケデリック・ロックブームとの関りは否めない物の、1stアルバムを「もう終わりだ」などと諦観で締めくくるドアーズ(ジム・モリソン)の発想は、他のサイケロックバンドにはなかった。かつ「音楽バカ」の集団だった『ザ・ビートルズ』(少なくても米国進出した頃の彼等はそうだった)とも袂を分かつ、知性派ロックバンド?の走りだったと思う。デビューアルバムという事もあり普通のラブソングみたいな曲も含まれているとはいえ、愛と平和とか言っている能天気な連中とは一緒にしないでくれという自意識がメンバーにあり、トロントでの演奏撮影拒否も「ウッドストック」に出たバンドと同じ様に見られるのを避けたかったからではないのかな?
 とにかくこのアルバムからドアーズの「知覚の扉」は開けられたのであった…。