NYパンク勢のアルバムの中でマイ・ベストを挙げろと言われれば、俺は『テレヴィジョン』の『マーキー・ムーン』(77)を挙げるよね。普通に思い浮かべるパンク・ロックのイメージとはかけ離れてはいるギターバンドだったけど、死んでも弾き続けるぜ!と言わんばかりのギターのインパクトにノックアウトされてしまった俺…。

  詩人志望だったリチャード・ヘルは、そのテレヴィジョンのリーダー、トム・ヴァーレインの高校時代の友人で、共にNYへ出てバンド活動を開始。尤もリチャード・ヘルは楽器(ベース)をそれまで弾いた事がなかったという。73年のテレヴィジョン結成にも関わったが、ヴァ―レインとの対立から75年に脱退、『ニューヨーク・ドールズ』を脱退したジョニー・サンダースに誘われ『ハードブレイカーズ』の結成にも加わるが、これも仲違いして直ぐに脱退している。どうも協調性に欠ける男だった様だ。

 そんな彼が初めてリード・ヴォーカル&ベーシストとしてバンドリーダーになったのが『リチャ―ド・ヘル&ザ・ヴォイドイズ』。76年に結成され一枚シングルを発売を経て、翌77年にさっき聴いたファーストアルバム 『ブランク・ジェネレーション』発売へと至るのだ。

 

 アナログA面1曲目『ラヴ・カムズ・イン・スパーツ』。ヘルのイカレポンチなヴォーカルに性急な演奏、ひん曲がった様なギターソロなど、初っ端からNYパンク・ロックの雛形みたいな演奏が繰り広げられる。

 

 2曲目『ライアーズ・ビウェア』のイントロのギターもかなり狂っている。ヘルの咆哮ヴォーカルの生き急ぎ感も凄いなあ…と思ったりも。エンディングのギターのひねくれ方のエグさも前曲の通り。

 3曲目『ニュー・プレジャー』はミディアムテンポで、前2曲に比べるとマトモな感じはする「変態ポップサウンド」とでも表現すべき曲。『ローリング・ストーンズ』を意識した曲という説もあるが、ホンマやろか?

 4曲目『ビトレイアル・テイクス・トゥー』はバラード風にヘルの個性的なヴォーカルをフィーチャーしており、パンク版ロッカ・バラードとでも呼びたい演奏。中途でリズムが転調し意外にも心の籠ったギターソロが聴かれる。名曲だと俺は思うが(笑)。

 

 5曲目『ダウン・アット・ザ・ロックンロール・クラブ』は、NYのアンダーグラウンド・ロックの界を物語る名曲の一つと言われたりしているらしい。タイトルのせいもあるけど、英国のグラムロックバンド『モット・ザ・フープル』を思い出したりして。

 A面最後の曲『フー・セイズ?』も変態ぽいリズムを使ったパンクソングだが、一瞬『ロキシー・ミュージック』かと思う様な、上手いんだか下手くそなんだか判別つかない演奏を展開。ロキシー・ミュージックぽかったら演奏は上手いという事になるのだが…。

 

 アナログB面1曲目が表題曲『ブランク・ジェネレーション』。「俺は空白の時代に生まれた」と叫びつつ、自分の出生から物語る詞は、確かに詩人志望らしいセンスがある。厳かなベースソロから始まりギター、ベース、ドラムス各自の音が明解に聴こえるミキシング。珍しくコーラスも入る、言うまでもなくこのバンドの代表曲。親に向かって「俺なんかいないと思ってくれ 好きに生きていくぜ」などと、訣別とも言える一節もあり、ヘルが生涯パンク宣言したという意味でも忘れ難い曲。

 

 2曲目『ウォーキング・オン・ザ・ウォーター』は、俺は知らなかったのだが『CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)』の1stアルバム曲のカバーだとか。比喩的な詞がヘル好みだったのか。確かに素朴な感じのサウンドアレンジで、NYの感じはしないわね(異様なギターソロを除けばの話)。

 3曲目『プラン』はこれまでの曲の中で一番ポップな感触がある(これもコーラス付き)。ヘルのヴォーカルも普通ぽく唄っているしギターソロも明解なフレーズを弾いているのだが、エンディングはちょっと呆気ない。

 アルバム最後の曲『アナザー・ワールド』はパンクとファンクを重ね合わせた様な演奏で、同時期に活躍していた『ジェームス・チャンス&コントーションズ』の演奏と比較したくなるんだけど、荒っぽいギターの斬り込み方などはそれに無い感覚だろう。パンク・ロックブーム以降のオルタネイティヴ・ロックの系譜に繋がる1曲と言える8分越えの大作。ヘルのヴォーカルも曲が曲が進行するにつれ狂気が宿っていく。

 

 

 パンクといってもロンドン勢の様にストレートに怒りをぶつけるのではなく、リチャード・ヘルならではのインテリの屈折感みたいな物がアルバム全体に滲み出ているのがNYパンクの証しだろう。見るからにジャンキーぽい風貌のリチャード・ヘルの事ばかり語られる傾向があるが。異様なギターを弾いているロバート・クワインは後にルー・リード御大のバックギタリストとして有名になったし、ドラムのマーク・ベルは『ラモーンズ』の「マーク・ラーモン」として活躍。そういう人材を輩出したと言う意味でも、このバンドの存在価値は高い。

 結局このバンドは1stアルバムを出して直ぐにリチャード・ヘルが脱退してしまい、その後復帰したりもするが82年に発売したセカンドアルバムも話題にならず、リチャード・ヘルはソロに転向。その頃付き合っていたパティ・スマイスは『スキャンダル』というバンドに参加して全米ヒット曲を放つ。二人は後に結婚して娘も生まれたが予想通り?離婚し、以降リチャード・ヘルは作家や俳優業?をやりながら散発的に音楽活動をしつつ、現在に至っているという。

 昔ライヴ本番前にライヴハウスの通路にうつ伏せでぶっ倒れている町田町蔵(現・町田康)を見かけた時は、コイツ絶対長生きしないだろうなと思った物だが、そうはならなかった。同様にリチャード・ヘルも未だ健在なのは良かったとは思う。