72年11月22日の杉野講堂『コンサート・コレクション・パート1』(共演・加川良、泉谷しげる、小坂忠)で『はっぴいえんど』は実質的に解散した。このライヴには松本隆は参加せず、林立夫がドラムを叩いている。それだけ松本と細野晴臣、大瀧詠一の間は険悪だった。はっぴいえんどでの活動に達成感を覚え個人の活動に心が移っていた細野&大瀧と、作詞家としてははっぴいえんどに未練を残していた松本。この事が松本が歌謡曲の作詞家に専念する遠因にもなったと思われる。

 そんなはっぴいえんどの面々に海外レコーディングの話が持ち上がったのは、解散を決めてから。当時はまだ珍しかった海外レコーディングの企画にメンバーの心は揺れ、10月4日に彼らはロサンゼルスへと旅立った。大瀧はその日の朝まで、この年の11月発売になる初のソロアルバムの仕上げをしてたというから、頭が空っぽな状態でのロス行き。当然ながら作曲のストックもなく、現地で曲作りしながらの突貫作業となった。

 隣のスタジオで名盤『ディキシー・チキン』をレコーディングしていた『リトル・フィート』のロウエル・ジョージ(ギター)とビル・ペイン(キーボード)が参加。録音期間は10月13~18日。それがさっき聴いた3枚目のアルバム『HAPPY END』になった。

 

 アナログA面1曲目『風来坊』は細野の作詞&作曲。イントロのゆったりしたホーン・セクションが主軸になった無国籍音楽ぽい雰囲気、語呂合わせみたいな歌詞に、細野のソロ活動への布石が感じられる、いい具合にレイドバックした曲。小坂忠が『ふうらい坊』のタイトルで『HORO』(75)でカバー。彼のヴァージョンは生で聴いた。

 

 2曲目『氷雨月のスケッチ』は松本作詞、鈴木茂作曲。細野&大瀧とは違い松本と鈴木は依然友好関係を保っていて、レコーディング前から松本は鈴木ヴォーカル&作曲用の詞は作ってあった。流暢なアルペジオギターのイントロと、鈴木の不安定な少年ぽいヴォーカルが聴き物。彼のはっぴいえんど時代の代表曲でもある。サビの部分のみ大瀧が歌唱しているのも面白い。これも『HORO』でカバーされた。

 3曲目『明日あたりはきっと春』も作詞・松本、鈴木作曲。コーラスから入るイントロ、タイトルからも判る様に溶明感溢れる詞とメロディーが心優しくて泣ける。間奏のサックスソロはモロウエスト・コースト色強い職人サウンド。あまり目立たないとはいえ、これも前曲に続く珠玉の名曲だと思う。

 

 A面最後の曲『無風状態』は細野作詞&作曲。かなり意味深なタイトル&詞で無風=無力なのかも。結成時みたいな親密関係がなっくなった今のはっぴいえんどを、無風で身動きできない船に例えているのか。虚無感に彩られた曲で、細野の感情の起伏がないヴォーカルが虚ろに響く。

 

 

 アナログB面1曲目『さよなら通り3番地』は松本作詞、鈴木作曲。リトル・フィート組が参加したのがこの曲で、お馴染みのスライドギターも聴かれる…と、モロリトル・フィートしているアレンジで、鈴木茂初のソロアルバム『BAND WAGON』(75)構想のきっかけになったと言えそうだ。

 2曲目『相合傘』は細野作詞&作曲。アコースティックギターやマンドリンといった生楽器でファンキーな感覚を導き出そうとしている先見性ある曲で、歌詞の浮遊感もそれに合わせている感じ。いつソロ活動に転向してもいいくらい、細野ワールドは完成していた。

 3曲目『田舎道』になって初めて大瀧のリード・ヴォーカル曲(作詞・松本、大瀧・作曲)が登場する事が、この時のはっぴいえんどの一体感の無さを象徴している様でもある。多分『風街ろまん』(71)の際にボツにした詞をお蔵出ししたのだと思う。ビートの効いたロックサウンドで、今聴くとこれぞジャパニーズ・ロックという感じがするなあ…。大瀧お得意のヨーデルヴォーカルや鈴木のロッキンギターの妙が味わえる。

 4曲目『外はいい天気』も松本作詞、大瀧作曲。大瀧好みらしいオールデイズ色が強いサウンドで、言うまでもなく彼のソロ活動と通じる物。1曲の間で様々なヴォーカルスタイルを試している節もあり、その技巧派ぶりを愉しんで欲しいという狙いか。

 

 そして最後の曲『さよならアメリカ さよならニッポン』は曲のアイディアも尽き、メンバーが取り敢えず出来た曲をあれこれ弄っていた所に、『ザ・ビーチ・ボーイズ』絡みで有名な編曲家のヴァン・ダイク・パークスがラリパッパ状態で現れあれよあれよという間に編曲し、それに松本が簡単な詞を付けて完成した…という曰くある曲。確かに素面の人には発想できない様なアレンジで、何回聴いても聞き惚れてしまう部分はある。単純な詞だが「米国のロックとか日本語のロックとかどうでもいい、これからは自分の好きな事をやっていく」という松本の気持ちの顕れなのかも。歌詞の意味を知ったロウエル・ジョージが「ならばメキシコへ行けばいい」と真顔で言った…というエピソードもあり。

 

 

 本アルバムを初めて聴いた時は、はっぴいえんどがどういう状況下だったのか知らず、コンパクトに纏めたアルバムなあぐらいに単純に考えていたけど、裏事情を知るとはっぴいえんど解散に即して細野、大瀧、鈴木の個性をアピールする、『ザ・ビートルズ』で言えば『ホワイト・アルバム』(68)みたいな物だったんだな…と思ったりする。そんな、気持ちの上で既に「はっぴいえんど」ではなくなっていた4人が「共作」という形で『さよならアメリカ さよならニッポン』を演奏してアルバムのエンディング…という構成には、胸熱な物を感じたりも。

 

 10月25日に帰国したはっぴいえんどの面々は、前述したライヴ以降は二度と全員集まる事はないと思われたが、伝説の音楽事務所『風都市』の関りから翌73年9月、最後のライヴ演奏という名目で再結集する事になるのであった…。