1969年カナダのオンタリオ州トロント。若きプロモーター、ジョン・ブラウアーとケン・ウォーカーは当時のフェスブームに煽られ、この地で一大野外フェスを企画。目玉は50年代に人気を博したレジェントロックン・ローラーたちのライヴパフォーマンス、それに若手ロックバンドたちを加えたラインナップ。開催資金を提供したのはバイクチーム「バカボンズ」のボス。でも前評判は良かったはずなのに開催が迫っても全くチケットは売れなかった。そこで急遽『ドアーズ』にオファー…。

 

 1969年9月13日トロントで開催された野外ロックフェスでは12時間に渡る演奏が繰り広げられ、20000~25000の聴衆を集めたとされる伝説的コンサートに。その様子は『ドント・ルック・バック』(65)などでお馴染みのD・A・ぺネベイカー監督によって、ライブアルバムにもなった『プラスティック・オノ・バンド』の演奏を収めた56分のドキュメンタリー映画『スウィート・トロント』(71)に纏められた。本作はそれには未使用だった秘蔵映像をプレイバックしつつ、関係者や出演ミュージシャンの回想コメントで綴るドキュメンタリー。コンサートに開催に漕ぎつけるまでのあれこれに加え、ジョン・レノン率いるプラスティック・オノ・バンドが出演に至った経緯も描かれる。

 

「自慰騒動」でライヴ活動停止中だったドアーズの出演でチケット爆売れになると期待かけたが、効果は左程無し。このままではバカボンズのボスに半殺しされかねないと頭抱えたブラウアーとウォーカーだったが、知り合いの音楽ライターからジョン・レノンだったら出るかもしれないと聞き、ダメ元でロンドン在のジョンと直に連絡を取ったら、まさかのOKの返事。急遽ラジオ局などにプロモートをかけたら大騒ぎになって効果てきめん。尤も本当にジョン・レノンが出演するのかは二人にも半信半疑。実際ライヴ日の直前になってジョンは「やめた」と通告してきた。それを翻意させるだけでヘトヘト。何とかジョン一行はトロント行きの飛行機に乗って…。

 

 ロックフェスがビジネスになり切っていない時代故の珍騒動ぶりが面白くかつ愛しい。特にジョン&オノ・ヨーコ招へいによる狂騒曲は秘蔵映像を通しても凄ましい物だったと判るし、もう老人になったプロモーター&ミュージシャンは今は笑い話として語ってるけど、リアルタイムでは無我夢中だったというのが本音だろう。「映画」として考えれば当然ジョン・レノン絡みのエピソードが見どころであるのは間違いないが「音楽マニア」としては真の主役はレジェントたちの勇姿であると言い切りたい。人生初のフェス出演、それもヒッピー世代の若者たちの前で熱演する彼らと、それを熱烈歓迎する聴衆の一体感は素晴らしいし、もっと演奏場面が欲しかった。

 

作品評価★★★★

(プラスティック・オノ・バンドの演奏は出たとこ勝負だったし、チャック・ベリーのバックバンドが英国のジャズ・ロックバンド『リュークリアス』で、ジーン・ヴィンセントのバックが『アリス・クーパー・バンド』だったり、ハチャメチャな顔合わせもまた60年代野外フェスの醍醐味ってトコかな)

 

 

 

付録コラム~愛と平和が合言葉だった60年代の野外ロック・フェス

 今回の作品でチャック・ベリーが演奏を始める前に「平和(ピース)」と聴衆に向けてアピールしている姿が印象的であった。「愛と平和」。それが野外ロックフェスの合言葉だったのだ。『モントレー・ポップ・フェスティバル』然り、『ウッドストック・フェスティバル』然り。そんな愛と平和をこよなく享受する若者世代である連中が「大人たち」の手を借りず自主的にコンサートを開催する事が、一種の理想とされたのだ。

 今回の作品でも、ジョン・レノンは本来の窓口である『ザ・ビートルズ』マネージャー・のアラン・クラインを通さず出演を一存で決めている。今の時代ではそんな事はまず有り得ない。所属事務所側のマネージャーと契約を交わした上でバンドなりミュージシャンの出演が初めて決定し、それを直前になってキャンセルなどしたら、それなりの違約金が発生するのが常。ビジネス化した今の時代には考えられないくらい、この頃のロック・フェスは、契約面では限りなくファジーだった訳だ。

 ロックを演奏する事=平和というのも、この時代ならではの緩さだろう。反戦ソングを唄わなくても若者たちが集まってロックを奏でれば、それ即ち戦争回避のメッセージに繋がるという考え。更に大麻などを喫えばいい心地になって非暴力的ではなくなるから、ロックに付き物のドラッグもまた「反戦」の象徴であるとも主張。60年代にはまだドラッグが直接的な原因で命を落としたミュージシャンは殆どいなかったから、そんな呑気に構えられていたとも言えるが。

 だがロックフェスが「ラブ&ピース」を唱えていればそれでいいみたいな時代は、69年11月の「オルタモントの悲劇」で一挙に終焉したと言えるだろう。今回の作品にも悲劇の加害者である「ヘルス・エンジェルス」と同じく暴走族バイカー集団が登場し、空港から会場までのジョン・レノン一行のガードマン役を務めるのだが、ヘルス・エンジェルスとは対照的に最後まで主催者やミュージシャンとは友好関係を貫き通した。故にオルタメントの悲劇の救い様の無さが余計に際立ってしまうのである。9月と11月。僅か2ヶ月の違いで野外ロック・フェスは「愛も平和もない物」に一変してしまったのだ。嗚呼…。

 そして若者たちがロックライヴに興じている間も、ベトナムを始め世界各地で戦争はひっきり無しに続いていたのだ。その事にどうしても虚無的な物を感じ得ないのは、俺だけではないだろう。