ラスベガス警察所属のヴィンセント(ジェイミー・フォックス)とショーンの汚職刑事コンビは、ギャングを襲撃してコカインを強奪。ただその量は想定以上の物であった。犯行を隠匿する為に二人は自らその事件担当を志願。だが現場に落ちていた銃弾が警察の物であった事から、内務調査課のジェニファー(ミシェル・モナハン)とダグはヴィンセントとショーンが犯人ではないかと疑い極秘に二人を捜査する。ヴィンセントは別れた妻との約束で息子のトーマスと会う事に…。

 

  コメディアンから『ココテラル』(04)のタクシー運転手役、同じ年公開の『Ray/レイ』のレイ・チャールズ役でハリウッドスターへの転身を遂げた、ジェイミー・フォックス主演によるバイオレンスアクション。刑事ながらもヤバい行為に手を出している主人公が否応なく裏社会との闘いに巻き込まれる。Netfrix制作のドラマ『ダーク』が絶賛されたドイツ系監督、バラン・ダー・オダ―5本目の映画監督作にして今の所の最新作。『ミッション・インポッシブル』シリーズ、爆笑コメディ『ライラにお手上げ』(07)『ミッション:8ミニッツ』(11)などに出演していたミッシェル・モナハン、脇役役者のスクート・マクネィリー&ダーモット・マロニーなどの出演。日本公開は18年。

 トーマスをサッカーの試合に送り届けようとした時にヴィンセントは覆面集団に襲われ負傷、トーマスを拉致されてしまった。カジノ経営者のルビーノからスマホに連絡があり、息子の命と引き換えにコカインを渡せと要求。コカインはルビーノが仕入れてマフィアのボス、ノバークの息子ロブ(スクート・マクネイリー)に渡す事になっていたのだ。ヴィンセントは一旦コカインをカジノのトイレの通風口に隠すが、尾行していたジェニファーが直ぐにそれを持ち出してロッカーに隠し、ヴィンセントの身柄確保の為にダグを呼び出す。その後やって来たヴィンセントはコカインが消えているのにビックリ。窮余の策としてレストランにあった砂糖で誤魔化す事にし…。

 

 オールナイト営業しているカジノやクラブを舞台に主人公、内務調査の刑事、カジノ経営者とコカインを早くよこせとカジノ経営者に迫るマフィアによる、三すくみの争奪戦が展開。警察側のマフィア内通者もそれに絡んでいくのだが、本作の特徴はそれに家族の再生というテーマを織り込んでいる事。主人公の息子のみならず元妻までこの中に巻き込まれ、主人公は妻子の信頼を取り戻す為の闘いを余儀なくされるのだ(そんな彼の正体は勿論単なる汚職刑事ではない)。ただそういうウェットぽいテーマにした分、ハードボイルドな色が後退してしまったのは否めず。万事解決したかに見えて実は…という思わせぶりなラストシーンも蛇足に感じたな。

 

作品評価★★

(誰が内通者なのか的な筋書きも容易に想像つくし、派手な事やってる割には作品のスケールは小さい。大スターのジェイミー・フォックスが主演となると脚本的にあんまり冒険できない業界的事情は判るけど、ここまで意外性ない展開では作品に対する興味も段々失せてしいく)


付録コラム~状況劇場と日本映画

 アングラ演劇の元祖的な存在であった唐十郎が亡くなった。既に近年は表舞台に出ていなかったとは言え、通称『紅テント』と呼ばれた『状況劇場』での二十数年に渡る活動は、激動の時代の象徴として忘れ難い物があった。

 金沢在住時代友人に熱狂的な唐十郎ファンがいた事もあり、俺は金沢で行われた状況劇場の公演を観劇。その時二枚目役で出演していた小林薫は翌年には状況劇場を退団、映画やTV中心の活動に転じた。唐十郎は何とか退団を慰留させようとしたが、小林薫は面談すら拒否。もし彼が留まっていたらその後の状況劇場の活動も変わっていた可能性がある。

 状況劇場がテント公演に乗り出したのはその12年前の67年。同じ年に唐十郎は若松孝二の『犯された白衣』に主演している。この作品に主演した経緯は知る由もないが演劇と映画、ジャンルは違えど番外地的な活動をしていた者同士相通じる物があったのかも。出演した女優は本名で出演した、後の夏純子以外は状況劇場と同じアングラ劇団『発見の会』の女優だったと言われているから、ピンク映画というよりはアンダーグラウンド映画の魁と捉えた方が正確。血塗られたメルヘンとも言うべき『犯された白衣』の世界観は、その後の若松作品のベースになっていくのだ。

 これをきっかけに状況劇場と若松プロの交流が始まった様で、初期の状況劇場で二枚目役を担っていた吉澤健は『腹貸し女』(68)から『天使の恍惚』(72)まで数多くの若松作品で実質的な主演を務め、その吉澤健が出演した太和屋竺の若松プロ作品『毛の生えた拳銃』(68)は、同じ状況劇場の麿赤児と大久保鷹が殺し屋コンビとして主演を務めた。二人の掛け合い的な演技は正に太和屋ワールドその物だったと言える。麿赤児は状況劇場退団後は中平康の『闇の中の魑魅魍魎』(71)の主演を経て、前衛舞踏集団『大駱駝艦』を主宰。芝居からは一旦離れるが鈴木清順の『ツィゴインネルワイゼン』(80)の出演をきっかけに個性派脇役として活躍、現在に至っている。

 大島渚のセミドキュメント作品『新宿泥棒日記』(68)に唐十郎は本人の役で麿赤児など状況劇場劇団員と共に出演。出演した劇団員の中には唐の元夫人で状況劇場の絶対的ヒロインであった李麗仙、83まで状況劇場に在籍、その後は伊丹十三作品などで活躍する不破万作もいた。状況劇場はテント公演常打ち場だった新宿花園神社を追い出され、唐十郎は「今に見ておれ、やがて新宿 原になる」と言い放つ。68~69年の新宿は波乱の予感を波乱だ火薬庫の如き状況であった。

 翌69年に唐十郎は中島貞夫の『日本暗殺秘録』(69)に明治の元勲・大久保利通を暗殺した元士族の島田三郎役で出演。その年の12月には紅テント公演に状況劇場のライバルである『天井桟敷』主宰の寺山修司が葬式の花輪を贈った事が元で、唐と寺山に加え双方の劇団員が乱闘騒ぎを起こして逮捕される。状況劇場側の逮捕者の中に、プロデューサーとして『ツィゴイネルワイゼン』で鈴木清順をカムバックさせ、『どついたるねん』(89)で阪本順治を監督デビューさせた荒戸源次郎がいた。かなり癖のある人物だったと伝聞するが、彼も亡くなって久しい。

 70年に唐十郎は2本目の主演作品『銭ゲバ』に出演し守銭奴の権化・蒲郡風太郎を怪演するが、この頃になると唐自身は映画出演に対する意欲を失いつつあった様だ。あろう事か演劇界の鬼っ子であったはずの彼が70年に戯曲『少女仮面』で岸田戯曲賞を受賞。公にも演劇人と認められた唐十郎はそれ以降はほぼ演劇活動に専念する。初映画監督作品『任侠外伝・玄界灘』(76)も些か製作時期が遅かった感は否めなかった。その後も映画監督の話もあった様だが実現せず、役者として何本かの映画出演したけれど、印象には残っていない。

 88年の唐と李麗仙の離婚によって状況劇場は解散。当時はバブル興隆期で唐十郎が開拓したアングラ演劇というジャンルもほぼ終焉しており、勿論新宿は原になる事もなく肥大都市の象徴的な場所となった。今頃唐十郎天国で同じ命日(5月4日)になった寺山修司と、相も変わらず劇場外バトルを続けたりしているのだろうか。