プロレスラー&文筆家。俺はTAJIRの事をこう呼ぶべきだと思っている。プロレスラーで著書を出した人は随分といるけど、自分で文章を書いている人はTAJIRIぐらいではないか。殆どのレスラー本は「聞き書き」(編集部から依頼されたプロライターが、レスラーに長時間インタビューIした時のテープを起し、構成を考えた上でレスラーのキャラクターに合わせた文章で執筆)だと思われる。レスラーは本職ライターではないのでこの事自体悪い訳ではない。ただやはりレスラー本人が自ら執筆した方が、同じ様な事を書いてもリアリティーはあるのは必然。TAJIRI自身による個性的でユーモア溢れる文章は読み応え十分だ。

 TAJIRIの著書を読むのは『戦争とプロレス プロレス深夜特急「それぞれの闘いの場所で」・篇』(22年 徳間書店・刊)以来二度目。今回読んだのは『プロレスラーは観客に何を見せているのか』(19年。『草思社』というお堅い系出版社から発売)の文庫本版(徳間書店・刊)なのだが、何と「4年前の本の再刊ではタイムラグが有り過ぎる」との本人の申し出で、ほぼ全編書き直したという異例の文庫本なのだ。

『戦争~』は完全に読み物に徹した本であったが、本書はプロレスラーになりたいと思う若者たちへのTAJIRI流手引き本という性質もある。と同時に「あくまで私的な考え」と断りつつも今の日本のプロレス界(というか、はっきり言って殆ど『新日本プロレス』の事だけど)の問題点を指摘、こうあるべきと主張するという構成。

 レスラー志望者に対するアドバイスは、大まかに言って「将来のビジョンを持て」という事と「プロレスで金を稼ぎたいと希望するなら米国へ行け、そして『WWE』入団を目指せという事(今だと『AEW』入団という選択もある)の二つだ。TAJIRI自身の経歴に照らし合わせれば、元々メキシコでルチャ・リブレをやる事が目的だったから、契約で縛られそうなメジャー団体は端から所属する意志がなく、メキシコの団体にコネがあるインディーズ団体『IWA JAPAN』にまず入団。『大日本プロレス』に移籍所属した時に新日の『スーパーJr』リーグ戦シリーズに帯同。普通のインディーズ選手なら「憧れの新日のリングに上がれて嬉ピー~」という気持ちだろうが、そういう気持ちが微塵もないTAJIRIにとっては肌が合わず、苦痛以外の何物でもなかったという(というか、当時新日選手の練習を仕切っていた「某」が怖過ぎた…との事。今や恐妻家キャラで有名になってしまった「某」とは全く別人・笑)。

 その大日本プロレスに居続けてもメリットがないと悟ったTAJIRIは退団を宣言して単身メキシコへと。メキシコのリングから米国に進出して何でもアリの団体『ECW』でトップを獲った後『WWE』と契約し世界的な知名度を持つ選手になったのは、良く知られた話だ。

 レスラー志望者の中には今でも「日本のプロレスが一番」と思っている人も沢山いそうだが、WWEに次ぐ世界第2の団体と言われる新日本プロレスでも(『AEW』の出現で第3位になった?)、企業としてはWWEとの規模の違いは歴然たる差がある。それが証拠にもうWWEから離れてもう19年も経つというのに、TAJIRIには未だに映像肖像権などの支払い通知が届いているとか。日本の団体にずっと所属していれば一応定収入があるかもしれないが、この不景気じゃ食っていくのが精一杯というのが、新日所属の一部レスラー以外の実情であろう。夢を持つという意味なら米国のマイナー団体で活動しながらWWEのスカウトを待つという方がベター、そもそもその位の行動力もない様では、プロレスラーとして大成しないというのがTAJURIの主張だ。

 そんな風に日本のプロレス界の現状に懐疑的なTAJIRIであるが、日本のプロレス独自な「道場システム」だけは高く評価。今米国でプロレスラーになる手段としては、元レスラーなどが経営するプロレスジムに金を払ってレスリングを学ぶ事になるのだが、あくまで「ビジネス」だから一定の事は教えても手取り足取り教えてはくれず、それ以上は自己でやれ…という事になる。

 日本の団体ではちゃんとコーチがいて、ある程度の規模の団体なら、飯を食わせてロハでプロレスを学び、コーチを通して各々の適性(どういうスタイルのレスラーになるのか)を知る事も可能なのだ。TAJIRの場合既に現役選手としての達成感は年齢的にもキャリアの上でも果たしてしまい、今は自分の試合よりも選手をどう育てるのかに興味が向いている部分もあり、それが本書に書かれた「道場論」のベースになっていると言えよう。

 TAJIRIの基本的なプロレス観は、『戦争とプロレス』でも書かれていた様にI「殴る蹴るが中心の勧善懲悪プロレス」である。表現を変えると「プロレスの主権は観客にある」という事。対照的に新日本のプロレススタイルの主権はあくまでレスラー側にあると思う。究極的には手の合ったレスラー同士のハイスパートな激闘を見せる事で会場をリードし、観客である「プロレスマニア」を触発させるという構図だ。だがTAJIRIの論理で言えば基本的なレスリングテクニックは必須とはいえ、それ以上の「危険技の応酬」など不必要。それ抜きで観客を惹きつけてこそ、真のプロレスラーだという事になる(尤もTAJIRI自身そういう考えに至るまで試行錯誤があり、結果的に日本帰国後は主宰団体を2つ潰してしまった訳ではあるが)。

 22年末にTAJURIはそれまで籍を置いていた『全日本プロレス』を退団し『九州プロレス』に移籍。本書を読むまで九州プロレスの詳細を全く知らなかったが、九州プロレスの興行は基本的に無料。タニマチ(スポンサー)の後援で団体運営費を賄い、チャリティーやボランティア活動にも積極的に取り組む。観客は老若男女、子供の数も多い。プロレスマニアでなくとも理解できる「いい人対悪い人」の対決が主流というから、今の都会興行中心の団体が失った「プロレスの原点」に添って活動している団体…という事だろうか。

 TAJIRIは生活圏も九州に移し、この団体に骨を埋める覚悟だという。果たして九州プロレスの様なローカル団体が日本のプロレス界を変えられるか…と考えると単純にはそういかない気は当然するのだが、プロレスとは何かを求め長い旅をしてきた、TAJIRIの終着駅という事になるのだろうか。

 

 本書を読んで、今日本のプロレスラーでこれだけ明解かつ論理的にプロレスを語れる人はTAJIRI以外いないと再確認した。長期不況の世情故なかなかそこからの脱出を見出せない印象がある日本のプロレス界だが、TAJIRIの様な考えの人がいるだけまだ望みはある?