『伝説のカルト映画館 大井武蔵野館の6392日』の編者・太田和彦という人については、実は良く知らなかったのだが、94年に『シネマ大吟醸 魅惑の、魅惑のニッポン古典映画たち』(角川書店・刊)を著していた、酒好きであると共に無類のレトロ映画好きとして昔から有名な人だった。その際取り上げた92本の作品を改めて再見しチョイスした60本を『幸福の招待』という章に纏め加筆を含めて再録、それに自らの映画遍歴を綴った『私の映画史70年』、銀座にて二人の同好の士と集い酒を呑みつつ好きな映画や俳優を結構ダラダラと語る鼎談の三章から本書は構成されているのだ。

『私の映画史70年』は文字通り現在に至るまでの著者の映画遍歴を語り尽くす。1946年生まれとなると戦後直後の混乱期や日本映画の黄金時代、更に青春期には激動の60年代をリアルタイムで体験してきた世代だ。恐れ知らずだった著者はたまたまある映画上映会で『映画評論』誌編集長の佐藤重臣と遭遇、思い切って表紙をデザインさせてくれないかと直に頼み1号だけではあるが担当したという。こういう事があっさり実現するのも激動の時代故であろう。

 学生時代の都内での名映画座通いから、社会人になると『大井武蔵野館』などで貴重な往年の日本映画を再発見する機会に恵まれ、その機会は90年代の名画座激滅によって一旦失われたかに思えたが、ゼロ年代から再び日本映画の旧作専門に上映する映画館が都内に数軒誕生し、今現在は新作は殆ど観ず旧作再発見の道に専念する毎日であるという。そういう意味で言えば、都内に限って言えば映画上映環境は、俺が上京したてだったバブル期の80年代などよりも、各段に良くなっている訳だ。

 そういう彼の自己映画史を踏まえて第一章に選ばれた作品をチェックしてみる。「埋もれた作品」ばかりではなく、日本映画マニアなら多くの人が知っていそうな作品も幾つか含まれているのだが「年齢のせいもあるかもしれないが、平然と人を殺したり女を犯したりする作品は嫌になった」と著者は言い、その一例として『地獄門』(53年 監督・衣笠貞之助 カンヌ国際映画祭グランプリ)を挙げている。セット美術や映像の美しさを評価しながらも内容的には評価すべき所がないなどかなり辛辣な書き方で、わざわざそんな失敗作(著者にとっては)を再録する必然もないのではと思ったりもするが、俺自身もこの作品に関しては、今では観た記憶が全く無くなってしまう程興味を持てなかったのは事実だ。

 その他の作品チョイス、その文章を読む内に浮かび上がってくるのは、映画本来の良さというのは高尚な文芸大作や鬼才監督が撮る鮮烈作品ではなく、庶民の哀歓を無理なく描いたかつてのプログラムピクチャー作品こそが体現しているのではないか…という、著者の到達点的な主張である。選ばれた作品の大部分が60年代前半までに製作された作品止まりなのが、それを如実に顕している様に感じる(映画が「庶民の娯楽」として観客と普通な繋がりを持っていたのは、ギリギリこの時代までだったと思う)。

 そんな考えから筆者が最も信頼する監督は川島雄三と清水宏という事になっている。戦前から戦争~敗戦を経て復興を遂げていった日本社会の変遷を、衒いも無く反映させた二人の監督の作品を、著者は深く愛している。ふと著者から一世代下である俺にもそんな風にし完全に信頼できる監督がいるのかなと考えると、これはかなり難しい。良くも悪くも日本映画は「刺激」を売る事に変化していったのだから。

 

 そんな風に本書は極めて個人的に映画を捉えた内容であり、読み応えという点では少々物足りない部分もあるのだが(やはり紹介する作品が60本というのは少ない)、読んだ人が多少でも日本映画の旧作に興味を持ち、新型コロナウイルス禍を生き抜いた映画館(ミニシアター)に足を運んでくれればという、ささやかな願いを込めて著された本…という事になるのだろう。

 

付録コラム~本書で選ばれた60本の中から、俺が更に5本限定でチョイス!

 俺も90年代以降は著者と同じ流れで日本映画の旧作(プログラムピクチャー)の面白さを知り、東京を去った現在もその類の旧作はできるだけ多く観る様に心掛けている(但し超スター主義に貫かれた、往年の東映勧善懲悪時代劇は苦手ではあるけれど)。そんな観点から本書とリンクした、俺なりの必見!と思われる作品を5本選んで紹介してみよう。

 

①『永すぎた春』(56年 監督・田中重雄 主演・若尾文子)

 三島由紀夫小説の映画化。東大に通う学生(川口浩)と古本屋の娘(若尾文子)が好き合って婚約したが、両家の格差(セレブ階級と庶民階級)や川口に対する他の女の誘惑など周囲の人間を巻き込んでのイザコザがあり、果たして二人は無事結婚できるのかを描く。「世界のミシマ」がこんな通俗小説を書いていた事自体が、今となっては驚きだろう。NHK『銀河テレビ小説』域でドラマ化された事もあり、その時は「結婚前にやるかやらないか」を焦点にしたドタバタコメディ風になっていたが、本作もコメディ調でありながらも二人の関係性はシリアスに描き、周囲の癖のある人物像にも焦点を当ててサービス精神も事欠かないプロ監督らしい演出が良い。若尾文子の愛らしさについては今更言うまでもないだろう。今は亡き『銀座シネパトス』で観た。

 太田和彦は「田中重雄の再評価が高まっている」と述べているが、俺が東京在住の頃はそんな気配は露程も感じなかった。1931年に監督デビュー、戦後は大映専属として計168本もの作品を撮ったプログラムピクチャー監督の猛者なのだ。

 

②『女は二度生まれる』(61年 監督・川島雄三 主演・若尾文子)

 俺の個人的趣味で若尾主演作をもう一本チョイス。若尾扮する芸者はその容姿もあって男達に大人気。請われれば夜の相手もするし若尾自身も恋したりするが、バーのホステスに転身して再会した山村聰に強く望まれて二号になる。粗相をして「ごめんなさい、二号なんて初めてやるから行き届かなくて」と真面目に謝るのが愛らしい。だが旦那が急死して二号は廃業、再会した他の男達も冷ややかな態度に変わっている…。

 60年代になると自己主張する女を多く演じる様になる若尾だが、本作ではある種男にとっては都合のいい女に徹した演技。蓮っ葉な女優がそれを演じると観てる当方も醒めてしまうけど、若尾が演じると可愛い女に感じるのは彼女に恋してる故の弱みか。これも再会した、かつて筆下ろしした少年と登山口のある田舎の駅へ行き、そこで少年と別れ何処へと行ってしまう若尾。糸の切れた凧みたいな彼女の人生だが、幸あれと願わないでいられないのは俺だけではないだろう。女を通して人間描写が行き届いた川島雄三の傑作。『中野武蔵野ホール』で観た。

 

③『狼の王子』(63年 監督・舛田利雄 主演・高橋英樹)

 60年安保闘争以降を意識して撮られた作品。浮浪児上がりで北九州にてやくざの親分に育てられた高橋は、裁判所内で親分の敵を討って少年院に入る。出所後はほとぼりが冷めるまで東京にいる事に。預かりになった右翼団体に言われるまま反安保デモを妨害する内に正義感溢れる女記者(浅丘ルリ子)と知り合い、彼女から厳しく批判される。安保条約が締結後再会した高橋と浅丘は恋仲になるが、北九州の状況が知れて…。

 まず本作一本きりという高橋の相手役が浅丘という設定に惹かれた。更にまだ東映でも本格的には始まっていなかった任侠映画テイストに、ヌーヴェルヴァーグ風味を兼ね合わせた構成も見事。後年は大作路線の雇われ監督みたいになる桝田利雄も、この頃はこういう野心的な作品にもチャレンジしていたのだ。脚本を書いたのは大島渚一家の田村孟と聞けば合点がいく。

 太田和彦によると本作は公開当時話題になり60年代の大学映研の上映会では引っ張りだったそうだが、彼の文章に接するまでこの作品について書かれた文章を読んだ記憶は一切無い。どういう事だ?

 

④『剣鬼』(65年 監督・三隈研次 主演・市川雷蔵)

 高名な三隈研次&市川雷蔵の『剣』三部作の中では一番知名度が薄い作品。数奇な運命に生まれた主人公(市川)は本来花を栽培するのが好きな穏便な男だったが、藩の保守派の幹部(佐藤慶)に秘められた素質を見込まれ、剣士として厳しい鍛錬を積んだ後刺客として公儀隠密、藩の不平分子殲滅に利用される。平和の象徴とも言えるお花畑と血生臭い惨劇が比較的に描写され、自らも傷ついた主人公は彼を慕う娘(姿美千子)の呼びかける声がこだまする中、生死も判らず風景に溶け込んでいく。無駄の無い演出、唯一無二な市川の哀しき漂うストイックな人物造詣は、他の『剣』三部作に負けず劣らず際立っていた。甦れ市川雷蔵!

 

⑤『闇を裂く一発』(68年 監督・村野鐵太郎 主演・峰岸隆之介)

 警視庁所属だがオリンピック射撃競技候補選手として養成されて練習に励んでいる主人公(峰岸隆之介=峰岸徹)に、突然ライフルで人を殺め子供を誘拐し逃走している犯人を場合によっては射殺せよとの指令が下される。自分は人を撃つ為に射撃をやっているのではないと自負している主人公は、実際犯人を狙撃できる機会があっても自ら回避してしまう。それを相棒となるベテラン刑事(露口茂)は「甘い」と看破。最初は反感を持つ主人公だが、露口の捜査に対するひたむきさを垣間見ている内、徐々に気持ちは変化していく。

 刑事ドラマの鉄板的なストーリー展開だが、ハードボイルドに貫かれた演出には無駄が一切無く、完成度は高かった。大映在籍時代は様々な系統の作品を撮ってきた村野鐵太郎監督だが、本作が最高傑作だろう。峰岸のスターオーラも見逃せない。晩年の大映で売り出された故にTV進出の機会が遅れ脇役専門になってしまったが、チャンスに巡り合えばスターになれた逸材であった。刑事ドラマの金字塔『太陽にほえろ!』のプロデューサーは、本作を観たから「山さん」役に露口を起用した? 大井武蔵野館のレイトショーで鑑賞。

 

 5本選んでみると何と1本を除いて大映作品という意外な結果に。監督も俳優もいい面子が揃っていたのに、倒産に至ったのは全て某ワンマンオーナーのせい…と今更愚痴っても遅いのではあるが。