芦川いづみを最初に知った時の記憶はもう失われているのだが、衝撃だったのは可憐な容姿の彼女の実年齢が俺の母親とさして変わらなかった事。子供の感性からすると30代の女性は確実に「おばさん」であり、ギャップはあまりにも大きかったと言える。そう考えたりする内にまもなく芦川いづみはあっさり寿引退を発表、我々の目線から消えてしまった。

 それからもう半世紀以上経ったが、近年になって芦川いづみの出演作品が東京で再三上映され再評価が高まっているという。彼女がスクリーンで活躍した時代と今では全く価値観が変わってしまっているはずだが、活躍をリアルタイムで知らない年代の人をも惹きつけているとしたら、それは基本的には歓迎すべき現象であろう。スクリーン内での芦川いづみは美しいまま永遠にオバサンになる事も無く、輝き続けているのだから。

 本書は今まで一冊もなかった芦川いづみ本。著者は1950年生まれでギリギリリルタイムで芦川いづみをスクリーンで観れた世代。彼女の映画出演作を可能な限り観て作品の内容とその中で芦川が演じた役柄を分析し、女優・芦川いづみの魅力を語る。

 1950年代から60年代まで日活のトップ女優として活躍した芦川いづみだが、女優デビュー時は松竹作品に出演。松竹から日活に移籍した川島雄三監督に誘われる形で日活専属になった。実は北原三枝もほぼ同じ形で松竹から日活に移籍。北原との縁は深く傑作『陽のあたる坂道』(58)などの共演を経て、石原裕次郎と寿引退した北原の跡を継ぐ様に、芦川は裕次郎作品のヒロイン役を務める事になっていくのである。

 芦川の出演した作品は全部で108本。著者は本書執筆の為103本を観たという。一応それだけの数の作品が今でも鑑賞可能な事には感動してしまった。俺の偏見かもしれないが、ジャンクされてもう観る事ができない作品がもっと多いと思っていたから。

 本書はでは芦川出演作品をジャンル分けして解説、分析する構成になっている。それとは別に芦川を好んで起用した監督として西河克巳、中平康の作品がを紹介。かたや典型的な職人監督、かたやモダン感覚溢れる作風を持ち味とした異色監督だ。悲劇、戦争映画、ミュージカル、サスペンスまで様々なタイプの映画に出演したのは日活所属女優としては当然の事であるのだが、著者は芦川が演じた役柄の共通項として、今にも通じる「自立した女性像」を見出している。

 確かに俺が芦川いづみの絶頂期だと思う50年代から60年代頭にかけて、芦川は「男に依存する女」みたいな役柄は演じなかった感はある。『陽のあたる坂道』(58年 監督・田坂具隆)での芦川は石原の腹違いの妹役。体に障害を持った不幸な身の上ではあっても、自ら恋へと突き進んでいく前向きな少女。『あいつと私』(60年 監督・中平康)では知的な女子大生で、級友たちの生き方を横目で見つつ破天荒な男子学生(石原)との恋を自分の意志で選択していく流れで、昔風の映画にあった湿っぽいヒロイン像とはかけ離れていると言えるだろう。著者が芦川の代表作と主張する『あした晴れるか』(60年 監督・中平康)では眼鏡をかけたフィルム会社の宣伝部員として、カメラマンの石原と丁々発止のやりとりをするという「メガネ才女」役でコメディエンヌぶりを発揮している。

 これらの作品で味わえる芦川の溌剌とした女性像は『あいつと私』みたいに作品内で直接描かれる事は稀であっても、60年前後の安保条約で揺れた社会の動きと全く無縁だったとも思えない。政治や社会のあり方が問われまだ女性の地位が低かった時代風潮への、一種「アンチ」的な存在として芦川いづみは輝いていた…とも言えるのではないか。

 そんな芦川いづみも60年代になると吉永小百合など新世代の女優の登場によって、脇役に回る機会が多くなっていく。『青い山脈』(63年 監督・西河克巳)の生徒を温かく見守る「島崎先生」なんかは、いかにも適役だとは思うが、主演作が減ってしまったのは芦川ファンとしては至極残念な事であったろう。『硝子のジョニー・獣のように見えて』(62年 監督・蔵原惟繕)の体当たり演技は感動的だが、そこまでしないとヒロイン役をゲットできなかったというシビアな見方も出来るのだ。同じ蔵原作品『憎いあンちくしょう』(62)での芦川は交際相手と文通している古典的な純愛をしている女性で、映画としては傑作だけど、情熱的に恋を実らせる石原と浅丘ルリ子のカップルと対照形として扱われているのがちょっと哀しくはあった。

 本書は「芦川いづみに恋してる」人が書いた本なので、どんな作品でも芦川が出演しているだけで評価している向きもあるのだが、そんな芦川いづみ好き好きな筆者も芦川の活動末期の出演作になると作品評価が手厳しかったりする。日共系監督が手掛けた作品については「観客に受けると思っていたのか」と疑問を呈しているのだ。

 個人的には『大幹部・無頼』(68年 小沢啓一のデビュー監督作)に芦川が出演していた事が強く印象に残っている。吉永小百合とは多く共演作を残した芦川だったが、松原智恵子との共演はこの作品のみだ。一途に人斬り五郎(渡哲也)を愛しぬく純愛ヒロインの松原は、全盛期の芦川が演じてきた女性像とは真逆のキャラであり、助演する芦川の気持ちは如何なる物だったのか…と今文章を打ちながら考えてしまった。長期不況に喘ぐ日活は時流に乗っかってやくざ映画のテイストを自社作品に持ち込む様に変化。となるとどうしてもそこに描かれる女性像は、男に付き添う「従」的な役割を担う事になってしまうのは致し方無く、芦川いづみにとって日活映画での居場所がなくなってしまった感は否めない。大袈裟には告知せず、どちらかと言えばひっそりと引退していった芦川いづみには、顧みると潔さを感じる部分もある。

 

 まあそういう理屈めいた事を抜きにしても、芦川いづみという爽やかではあるけれど、奥ゆかしさも湛えた稀代の映画スターの魅力を味わえるという意味では、まずまず満足できる本。本書の出版をきっかけに公の場に出て欲しいという意見もあるようだが、本人が強く望んでいない限りは絶対反対。そんなに「お婆ちゃん」になった芦川いづみを見てみたいのか? 悪い趣味と言うしかない。

 

付録コラム~まだまだ若いぞ尾藤イサオ

 ネットで久しく見る機会のなかった尾藤イサオの記事を発見。尾藤イサオと言えば60年代前半に「日劇ウエスタンカーニバル」から登場したロカビリー出身の歌手で、TVアニメ『あしたのジョー』の主題歌を唄った事で有名だが、俺の認識では70年代前半にTVドラマの青春物で活躍した脇役俳優のイメージなのだ。

 特にNHKの『銀河テレビ小説』枠での印象が強い。石川達三原作『僕たちの失敗』(74)では妻子を愛する温厚な性格だが交通事故で頭を打って意志疎通が全くできなくなってしまう夫役、主演として『遠きにありて』(75)では血の繋がらない義理の妹(後にロマンポルノに進出した三東ルシア)の面倒を何くれと見る実直な兄、『幻のぶどう園』(76)では家業を継ぐのが厭で父に東京で成功したと嘘をつく売れないカントリー歌手を演じた。実年齢は既に30を越えていたが、お人好しで憎めない若者というキャラクターを演じるのが上手かった。

 映画で印象に残るのは『野獣を消せ』(68)で人質の女に思わず手を出してしまう不良バイカー族の下っ端(主題歌も担当)、『股旅』(73)で破傷風で命を落とす渡世人役、『新仁義なき戦い 組長最後の日』(76)では若頭(菅原文太)の忠実な手下に手なずようとする、菅原の妹(松原智恵子)の色仕掛けに陥落する子分、『やくざ戦争 日本の首領』(77)でも首領(ドン)の我儘娘と関係したのがバレ「女の方から誘ってきたのだ」と訴えても許されず粛清される子分役。TVドラマとは違い、哀れに自滅する惨めな男という印象が強かった。

 80年代に入ると『翔べイカロスの翼』(80)の、道化師の転落事故を観客に悟られぬ様にピンチヒッターに立つサーカス団員役、そして映画での代表作かな…とも思う『の・ようなもの』(80)の、一門の後輩の面倒見がいい落語家役。映画のラストシーンは尾藤が真打ちに昇格するお祝いのパーティーシーンであった。

 90年代に入っても映画出演は結構多く『のど自慢』、その続編『ビッグショー!ハワイで唄えば』(共に99年)ではヒロインの売れない演歌歌手(室井滋)のマネージャー役。その頃は50代中盤の年齢だったが、70年代と風貌が変わっていない事に驚いた。

 自分の若々しさは尾藤本人も自覚しており、多分遺伝的な物だとコメント。確かに近影を見るとさすがに毛髪は真っ白になっていたけど、今度は『のど自慢』の頃とさして変化がない様に見える。もう俳優業は引退してるのではと予想していたが、調べてみると去年も舞台公演に出演していた模様。

 寺田農の逝去で昭和の脇役で現役なのは石橋蓮司ぐらいかなと悲観していたのだが、尾藤イサオもまだ現役だった。歌手活動も未だ現役との情報もあり、まだまだ頑張って欲しいと、切に思うのであります。