とみ(高峰秀子)は小さい頃親と離別、叔父と称する男に引き取られ曲馬団で働かされていたが、そこを飛び出し仕事を転々とし、問題を起こして警察の厄介になる事も7、8度の札付き娘。引き取る人間もいないので信州にある少女更生施設に収容される事になり、担当の山田先生(里見藍子)が施設まで連れていく。とみは全く口の利かない娘で汽車の車中では大人しかったが、駅を降りて施設に向かう最中に逃亡を図る。必死に追ってきた山田先生に根負けするとみ…。

 

 前回に続いて今年生誕100年になる高峰秀子の主演作を鑑賞。1937年に松竹から東宝に移籍した高峰秀子は『綴方教室』(38)『馬』(41)などに主演、『馬』の助監督だった黒澤明に恋心を抱いたという。本作はその三年後の作品。東宝一筋に85本の作品を手掛け、戦後は『サザエさん』シリーズなど喜劇が多かった青柳信雄が監督し「黒川慎」名で黒澤が脚本を執筆。市川崑が助監督を務めている。両親がいない不良少女と、山小屋で暮らす子供の兄弟の交流を描いたヒューマン作品。女教師役の里見藍子は国策映画時代の1940年代前半に活躍した女優だが、戦後は結婚して引退してしまった模様。他に菅井一郎、進藤英太郎らの共演。

 

 施設に収容されてもとみの無口や喧嘩早い態度は変わらず。私の指導が悪いのではと悩む山田先生に、施設の院長・四辻(菅井一郎)はここに来る少女は多かれ少なかれ最初はとみと似た様な物と慰める。打ち解けず眼をギョロつかせているとみに、他の少女は「山猫」と綽名を付ける。私は貴方を妹だと思っているとの山田先生の言葉にとみの心も開いたかと思われた矢先、音楽の授業で一人唄わなかった事からまた大喧嘩になり、とみは施設を脱走してしまう。捜索の目を逃れて山中に潜伏するが、空腹に耐えかねて山小屋に忍び込み飯を喰らっている最中兄弟が帰って来た。猟師の父が長期不在中で二人きりで暮らしているという…。

 

 不幸な身の上故に他人を全く信用していなかったヒロインが、献身的な教師とまだ7、8歳と思われる兄弟と出会い、閉じた心が氷解していくまでを描く。役柄上台詞は極端に少ない高峰だが、表情の演技が達者なので違和感は無い。いつしか兄弟の姉代わりになり父親が帰らない内に米びつが空になった為、止む無く民家から食べ物を盗み、文字通り山猫化していくヒロイン。それが施設や村人に露見しても、誰もヒロインを責めないシチュエーションが黒澤脚本らしさだろう。ヒロインを教師が追っかけるシーンは延々と撮影され、映画に躍動感を与えていた。国策映画ぽい部分は抑えて、少女の更生ストーリーに集中した演出は時節柄好ましい。

 

作品評価★★★

(ヒロインが放たれていた馬に乗るシーンは、高峰と黒澤との馴れ初めだった『馬』を彷彿。兄弟の父親が長期間不在なのは、父親が「山窩」出身だからではと推測される。台詞が少ない難役でも易々こなす高峰秀子は、やはりライバルの?原節子と並ぶ終戦前後の名女優だ)

 

付録コラム~中学生に人気だった寺田農

 購読していた旺文社の学習雑誌『中〇時代』の芸能人情報コーナーで、寺田農が「読者の好きな男性芸能人投票ランキングベストテン」で第10位にランキングしていたのには驚いた。こういう雑誌ランキングには「操作」が付き物だったりするんだろうが、アイドルタレントでもない寺田農をヤラセでランク入りさせる雑誌側のメリットなんて何もないから、多分彼のランク入りはガチだったんだと思う。

 それ程までに寺田農が現役中学生のハートを射止めた理由は…と考えると、これは当時NHKの金曜日夜8時から放映していた人気時代劇『男は度胸』の、徳川吉宗の時世を揺るがす「天一坊事件」の仕掛け人役・山内伊賀亮役が当たっての事と考えるしかない(ちなみに俺は裏番組の『日本プロレス中継』を主に観ていた為、断片的にしか観なかった)。

 所謂「悪役」を演じた寺田農がそれ程の注目を浴びたのは、ルーティン的に悪役を演じる役者にはないクールさを寺田農に感じたからではではないか。脇役専門だけに悪役が多かった寺田農だが、彼には演技以前に人格として備わった「知性」があり、それが多くの視聴者を惹きつけたと言える。晩年は80歳を越えていたけどその知的な雰囲気は変わらず、TVのクイズ番組に出演した際、偉大な父親の威光で厚遇されているおバカタレントにガチで毒を吐く光景は痛快であった。

 と、その一見すると険しい容貌から「能ある鷹」って形容がピッタリハマる寺田農だが、振り返ってみると特に際立った演技を披露した映画作品は案外少ない。それは「オレの役者としての色は、監督ごとのイメージで色々変わる」と自己評価しているからであろう。あくまで自分は監督演出の枠内の存在とのスタンスは、同じ名脇役でも自前で衣装を用意したり、監督の演出とは別にアドリブ的な演技を繰り出して目立とうとする岸田森とは真逆だった(故に共演者から疎んじられる事もあったとか)と。

 

 そんな自前の脇役主義で一部の監督からは厚く信頼されていた寺田農だが、脇役専科だけに主役を演じた映画作品は僅か3本。但しその内の2本は傑作と確立は高い。岡本喜八の『肉弾』(69)は、太平洋戦争末期に父への反発から特攻隊に志願した主人公が「誰の為に自分は死ぬのか」を探し求める姿を、ユーモアにペーソスを塗して描いた反戦映画。その後とはイメージが違い過ぎるのでキャスティングを知らないで観たら、主役を演じているのが寺田農だと気付かない人もいたのでは。

『ラブホテル』(85)は日活ロマンポルノ助監督出身だった相米慎二が、一度ロマンポルノを撮りたいという事で実現した石井隆脚本作品で、アイドル映画が多かった相米の演出が石井隆ワールドとフィットするのか心配だったが、相米作品の常連で彼のディレクトスタイルを熟知した寺田農の村木役が絶妙だった効果も、傑作に仕上がった一因と思う。

 相米と並んで監督作品の常連出演者だった実相寺昭雄について、寺田農は『実相寺昭雄の冒険 創造と美学』(八木毅・著 立東堂・刊)内でのインタビューで「好きに生きてきたんだから、そんなに悲しまなくていいのでは」みたいな達観した事を述べていた印象があったが、その頃はまだ自身の病気には自覚はなかったんだろうか。「楽しい夢(役者業)を見てときめいていたい。生きている時は夢を見ている時、死ぬ時は夢が終わる時だと、いつも思っている」と生前語っていたという寺田農もまた、芸名通り農(実り)ある生涯であった…と信じたい。