近未来の12月23日。波留間群島の初島付近に「東亜連邦」の船団が現われ、巡視船「くろしお」乗組員を拘束し初島に上陸したとの一報が。直ぐ垂水総理大臣(佐藤浩市)他主だった閣僚が招集され、航空機搭載型護衛艦「いぶき」を始めとする六隻の戦艦が現場へと。いぶきにはマスコミ取材代表のネットニュース『P-panel』記者・本多裕子と新聞記者・田中も乗船していた。二人を下船させる時間的余裕もなくいぶきは敵の攻撃を受ける。その際群司令の涌井が倒れ…。

 

『沈黙の艦隊』のヒットで知られるかわぐちかいじが、漫画誌『ビッグコミック』にて2014 ~19年に連載した同名漫画の映画化。戦争してはならぬと法律で定められた日本国。だが実際に敵国から攻撃されたらどうするのかという、極めてリアルな?テーマを織り込んだサスペンス作品。『沈まぬ太陽』(09)や『Fukushima 50』(20)などで知られる、TVディレクター出身の若松節朗が監督を務め、アニメ脚本を多く手掛けてきた伊藤和典と、元つかこうへい演劇の俳優だった長谷川康夫が脚本を共同執筆。主演は西島秀俊、その元ライバル役に佐々木蔵之介が扮す。他に佐藤浩市、藤竜也、中井貴一など重厚など役者陣が出演。ヒロイン役は本田翼。

 いぶきの全権は艦長・秋津(西島秀俊)に委ねられた。副長・新浪(佐々木蔵之介)は若い頃から秋津と出世を争ってきた関係。垂水総理から歴史上初めての「防衛出動」を命じられた形になったいぶきは敵機と応戦、一機を撃墜。攻撃に消極的な新浪は敵パイロットの捜索を指示。敵潜水艦が魚雷攻撃を仕掛け、いぶきの護衛艦に2名の死者と多くの重傷者を出た。一度は衛星携帯を取り上げられていた裕子だったが秋津の指示で返却され、裕子の撮影した映像はネットニュースとして日本全国に配信された。すわ戦争かと大騒ぎになる世間を鎮静化する為に、垂水総理は記者会見を開き「これは戦争ではない。自衛のための戦闘だ」と説明…。

 

 場合によっては戦争になりかねない修羅場を、冷静沈着に収めるいぶき艦長・秋津をヒーロー的に描いた作品と言えるのだが、あまり緊迫感は伝わってはこないね。予算の関係もあるんだろうが戦闘シーンは最低限レベルでしか描かれず、殆ど登場人物の台詞で説明。優柔不断な総理というのもこの手の作品の常套手段でインパクト無いし、一般人のパニック描写もコンビニに群がる客程度にしか描かれない。全てにおいて情報量不足なまま物語は進行し、国連軍の仲介で翌日のクリスマスイブの夜には一挙に解決…って、安直過ぎるだろう。「戦争はいけない」という最後のメッセージも取って付けた様で虚しい限りの、いい所は殆ど無い駄作。

 

作品評価★

(原作でははっきりと敵国は「中国」となっており、俺個人はそうは思わないけど、明日にでも戦争が起こるか分からない緊張状態を近い将来の事として描かれていたのだろうが、本作は原作から映画化可能な部分だけチョイスした程度ぽい。作り手自体には緊張感が欠落)

 

 付録コラム~『道』よりも『硝子のジョニー 野獣のように見えて』が好きと言ったら怒られるかな

『道』を観たのは映画マニアに成り立ての頃で、もう50年近くも前の話になってしまう。以来再見する機会があっても観る事はせず、この年になって漸く再見する事にした。

 助手をしていた亡き姉の代わりにタダ同然で大道芸人のザンパノ(アンソニー・クイン)に買われてしまったジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシ―ナ)。大酒呑みで粗暴なザンパノにしごかれても、オツムが少々弱いジェルソミーナには「憎しみ」という感情は無く、一旦袂を分っても結局ザンパノの下に戻ってくる。二人の間に若い綱渡りの芸人イル・マットが登場。ジェルソミーナを何それとなく面倒見るのを苦々しく思っていたザンパノは、その気はなかったとはいえ、イル・マットを殺してしまう。それを見たジェルソミーナはショックで助手としては役立たずになり、ザンパノはあっさりと彼女を置き去りに。数年後ザンパノはふとしたきっかけからジェルソミーナが死んだ事を知り、生まれて初めて罪悪感を感じて嗚咽する。

 47年ぶりに観た『道』は、最初観た時に比べ「名作」としての貫禄が増していたなあ…というのが率直な感想。まだ十代だった頃の俺と、今の年老いた俺(涙)では映画への接し方も随分違う。フェリーニ監督の自己投影や人間の裡にある「善」と「悪」についての洞察など、ただがむしゃらに「泣けた」という初見の時とは違い、深く考えさせられる作品になっていた。

 やはり強烈なのは「オツムが弱い純真な娘」というジェルソミーナのキャラクターで、このキャラを「引用」した映画はそれ程山の様に存在し、最早映画界のスタンダードになったと言っても過言ではない。

 そんな作品群の中で、俺が最も好きなのが蔵原惟繕が監督した『硝子のジョニー 野獣のように見えて』(62)。出演もしているアイ・ジョージの同名ヒット曲(あいにく俺には聞き覚えにない)を基に製作された「歌謡映画」なのだ。

 ヒロイン・みふね(芦川いづみ)は北海道・稚内の貧しい家の娘で、同じく親に売られてしまうが酌婦になるのが厭で逃げだした所をジョー(宍戸錠)に助けられる。ジョーは腕のいい板前だったが競輪に入れあげたあげく予想屋になり、若手競輪選手のタニマチになっていた。ジョーに懐くみふねだがジョーもみふねを売る事に。彼女を買ったのは最初の時と同じジョニー(アイ・ジョージ)という人買い稼業の男。

 ジョニーにもみふねは懐くが、結局彼とも離れ離れになってしまう。縋る術がなくなったみふねは鉄道の線路を歩いて実家に辿り着くが、一家は離散してもぬけの殻。無垢なみふねに冷たくした事を悔やんだジョーとジョニーも、行く先を探し当て実家へと辿り着くが、みふねは湖の底に身を沈めた後であった…。

 まあはっきり言って『道』の影響バリバリな作品ではあるが『道』よりも更に厳しい結末。ジェルソミーナの死も不幸だったとはいえ、親切な人々に看取られる形で亡くなった。対してみふねは一人で世間から見ればそれこそ虫けらの如く命を自ら絶ってしまう。痛切さという意味では『硝子のジョニー~』の方が心に応える。

 俺が『ラピュタ阿佐ヶ谷』で『硝子のジョニー 野獣のように見えて』を観た時、館内ではやたら洟をグスグス鳴らす音が響いていた。鼻風邪を引いている人が多いのかなと単純に思っていたのだが、そうではなかった。上映が終わると多くの人(俺よりも十歳以上年上ぽい人ばかり)の目が真っ赤になっている。風邪なんかじゃなく、哀し過ぎるみふねの自死を観て涙を流していたのであったのだ。

 清純派女優・芦川いづみが体当たり演技でヒロインを演じきった『硝子のジョニー 獣のように見えて』。怒られるかもしれないけど、俺にとっては世界に認知された名作『道』よりも重要で、かつ好きな作品ではある。