ゴールドラッシュに沸くカルフォルニア。早射ちの名手で街の保安官タイロン(スティーブン・マクナリー)は、近辺の採掘場を荒らし回るギャングを捕まえようとし、銃撃戦で右手を負傷し指が使えなくなる。病院で治療を受けたタイロンは採掘会社経営者の兄を持つオパル(フェイス・ドマーグ)と出会う。ある夜タイロンと親しい街の長老ダンが殺され持っていた金塊が奪われた。タイロンは彼への反感を隠そうとしないジョニーが怪しいと睨むが、彼にはアリバイが…。

 

 60年代末から70年代全般にかけクリント・イーストウッドとのコンビで『ダーティーハリー』などヒット作を連発し、アクション映画の巨匠として日本でも知られる様になったドン・シーゲル。監督歴は戦後直後からと意外に古く、50年代は主にB級アクション映画を数多く手掛けている。本作もその一つで多分シーゲル初の西部劇。指が使えないという致命的な傷を負った保安官と、若造ながら拳銃の名手のガンマンがコンビを組んでギャング団征伐に乗り出す80分弱の小品。西部劇俳優になる前は第二次世界大戦の英雄だったオーディー・マーフィ―、B級映画専門に活躍したフェイス・ドマーグらの出演。日本での公開は米国より7年遅れて59年公開。

 

 隙を突いてジョニーの相棒ブレイクがタイロンを狙う。だが素早い機転で流れ者のキッドがブレイクを狙撃した事で難を逃れた。キッドは採掘業者だった父をギャングに殺された事から、復讐の為にガンマンになった男。命拾いしたタイロンはキッドを助手に雇い、ギャング団の一員だった事が判明したブレイクの身柄を洞窟に隠す。そうとは知らぬギャング団はブレイクを奪おうと留置場に爆弾を仕掛けるがもぬけの殻。キッドは街の住人にギャングへの内通者がいると睨み、オパルがそれではないかとタイロンに言うが、激怒したタイロンはキッドに助手解雇を宣言。街の娘で当初はタイロンに惹かれていたダスティは、徐々にキッドに心移りしていった…。

 

 利き指を痛めた事でピンチに立たされるガンマンを救う事になる若きガンマン…といった図式の作品で、それに合わせヒロインも一見上流風な美女とカントリー感丸出しの小娘のWヒロイン制。内通者は誰かという興味は、前半でネタばらししちゃってるのであんまり効果的ではないし、保安官がどうやって右手のハンデを克服してギャング団のボスを倒した方法にも大した種明かしもなかった。はっきり言ってB級西部劇である以上の価値を見出すのは難しい作品だが、元歴戦の英雄らしからぬベビー・フェイス顔なオーディー・マーフィーのガンマン演技は悪くないし、80分弱ながらもきちんとストーリー纏めたシーゲルの手際いい職人演出は評価。

 

作品評価★★★

(保安官とガンマンもそうだが、ヒロインのキャラクターも全く対照的なのが面白い。この対立構図はそのまんま純情娘=浅丘ルリ子、バンプ=白木マリなどの日活アクション映画に置き換ええられるかな…なんて考えながら観た。ガンマン=二谷英明、キッド=赤木圭一郎とか)

 

付録コラム~50数年後にして判明した事実

 刑期を満了した元『日本赤軍』幹部の重信房子が、60年代の日本での活動を懐古&自己分析した『はたちの時代 60年代と私』(太田出版・刊)に興味深い記述があった。「赤軍派」に加入して間もない69年頃、重信房子は活動カンパを募りに文化人や知識人が集う新宿の酒場『ユニコーン』に顔を出していたという。深い付き合いがあった映画評論家&新左翼イデオローグで、当時月刊誌『映画批評』編集長でもあった松田政男を通し、重信は錚々たる文化人と顔を合わせカンパしてもらっていたとの事。学生運動に理解を示す文化人が当たり前にいた時代であり、加えて重信が「美女」であった事も効果絶大であったと言えよう。

 

 その日の夜もカンパをもらおうと重信がユニコーンのドアを開けようとしたら、何だか中が騒がしい。すると中から「大島渚一家」で重信の大学の先輩(明治大学)でもある脚本家・佐々木守が出て来て「今日は帰った方がいい。大変な事になっているから」と言う。実は当時大島と親しかったよろず文化人の竹中労が、日共党員である監督・熊井啓を伴って店に現れた事で、松田政男が熊井みたいな奴を入れるなと言い出し、それで竹中労が激怒して大喧嘩。当初喧嘩を止めていたはずの佐々木守もそれに加わって三つ巴の大喧嘩に発展したという。

 この夜の騒動を、俺は大学映研時代部室にあった後の映画評論家・佐藤重臣編集の『映画評論』のバックナンバーで知った。「いくら何でも松田政男は大島にベッタリし過ぎではないか」と疑問を呈した小特集の文中に「酒場で松田と竹中が殴り合いをした」と書かれてあったのだ。それを受けて直ぐさま『映画批評』のコラムで竹中が「いい加減な事を書くな。佐藤重臣、今度酒場で会ったらホントに殴る」と恫喝。この記事をきっかけに『映画評論』と『映画批評』の友好関係(お互いに広告を出し合っていた)は終わった。まあそもそもアングラ文化に傾倒していた『映画評論』と、何やら政治機関誌風であった『映画批評』とでは、同じ映画雑誌と言っても方向性は水と油であったのだが…。

 その時から優に半世紀以上経ってしまっていたのだが、重信の新たな証言?によって『映画評論』の記事がデタラメでなく事実であったと証明され、個人的には胸の支えが下りた感じがした…という、俺以外にはどうでもいい話。あいすません。

 60年代後半は重信が参加した学生運動もそうだったが、映画界もまた揺れに揺れて映画人自体が分派し、大学のセクト闘争さながらに相手を批判し攻撃し合うみたいな事が当たり前にあり、佐藤重臣ならずとも野次馬的にはこういう諍いは第三者的に面白かった気持ちがあったのは否めない。後に松田政男は酒飲み同士という事もあって佐藤重臣とは和解、佐藤が早世した葬儀では「友人」として出棺時に棺を持った写真が、今は無き『噂の真相』誌に載っていた事を記憶している。