1930年代に脚本家としてハリウッドデビューしたダルトン・トロンボ。様々な誹謗中傷を受けつつも共産党に入党し反戦を訴えた。第二次世界大戦終了後に米国とソ連の対立構造が顕著になると、映画界に「赤狩り」の嵐が吹き荒れる。その急先鋒になったのが、元女優でコラムニストのヘッダ・ホッパー(ヘレン・メリン)やビッグスターのジョン・ウェインたちであった。批判の対象となったトランボは、他の仲間たち共にと下院米国非活動委員会に召喚されるが、証言を拒否…。

 

 ダルトン・トロンボの名は自作の小説を映画化した反戦映画『ジョニーは戦場に行った』(73)の監督として、映画マニアに成り立ての頃知ったのだが、彼の経歴についても知る事になるのはかなり後。トロンボは米国を共産主義化しようと企む輩として映画界から追放された「ハリウッド・テン」の一人であった。本作はそんなトロンボの人生を映画化した自伝映画。個人的にはおバカ映画『オースティン・パワーズ』シリーズのイメージが強いジェイ・ローチが監督を務め、映画よりもTV畑で実績を積んできたブライアン・クランストンが主演。ダイアン・レイン、エル・ファニング、『クイーン』(06)のヘレン・メリン、ジョン・グッドマンらの共演。日本公開は翌16年。

 

 議会侮辱罪で有罪判決を受けても最高裁では覆るはず…そう考えていたトランボたちであったが予想に反して有罪が確定、トランボは1950年に連邦矯正施設で11か月間服役。トランボの支援者だったスターやプロデューサーたちはハリウッドで干されるのを恐れ、非活動委員会でトランボたちを名指しで「アカ」と告発。釈放後トランボは生計の為『ローマの休日』の脚本を友人の脚本家に託し、自分はB級映画専門の製作会社『キング・ブラザーズ・プロダクション』に売り込みをかけB級映画の脚本を複数の変名で濫作、自分と同じ様な目に遭った脚本家にも仕事を斡旋。『ローマの休日』はアカデミー賞を受賞したが、トランボの名前は伏せられ…。

 

 イデオロギー絡みの硬派な作品かと思ったが、ハリウッドの圧力を不屈の精神で撥ね返すトランボと、それを支えた家族(妻と長女)を中心に描いたファミリードラマ的な内容にもなっていた。家族を顧みず朝から晩まで寝る間を惜しんでB級映画の脚本を書きまくる父に不満を覚えつつも、やがて理解を示す娘。それと共にトランボの絶え間ない映画への情熱が、本来保守的なハリウッド映画人を動かしていく展開が感動的。トランボの仇敵となるコラムニストに扮したヘレン・メリンの、堂々たる悪役ぶりも評価に値する。実名でハリウッドスターや監督が登場してくるが、中ではトランボに脚本依頼するカーク・ダグラス役の俳優はかなりの激似だった。

 

作品評価★★★★

(10年以上もかかって名誉を回復したトランボを称えると共に、米国映画界の良心的な側面もアピールした快作だと思うが、今の映画界にどれ程のインパクトをもたらしたのか…と考えたりもしてしまうのがチト辛い。オバサンになったダイアン・レインを見たのは初めてであったな)

 

付録コラム~日本映画界にもあった赤狩り

「映画界における共産主義者の脅威」は他国の話ではなく、敗戦によって思想の自由が認められた日本でも大いに問題とされ、1946~48年にかけ米軍の出動まであった「東宝争議」が起こっている。経営者側と労働組合側のガチンコな闘いの中、50年には日本共産党員だった山本薩夫や、キャメラマンの宮島義勇ら組合指導部が東宝解雇を余儀なくされた。

 同じく日本共産党員だった今井正は青春映画の古典的名作『青い山脈』(49)や反戦的なラブストーリー『また逢う日まで』(50)を撮り監督として最初のピークを迎えていたが、彼もレッドパージを回避すべくフリーとなった。山本も今井もフリーとなった当初は独立プロ作品を多く撮っていたが、今井は東映に招かれて撮った『ひめゆりの塔』が大ヒットした事から東映作品を多く撮る機会に恵まれ、その合間に独立プロ作品を手掛ける様になっていった。

 山本も50年代は僅かながらも東宝以外の映画会社で撮る機会はあったが、60年代からは『忍びの者』(62)を皮切りに大映で多くの作品を監督。70年代に入ってからは大映時代の『白い巨塔』(66)と同じ山崎豊子原作物『華麗なる一族』(74)『不毛地帯』(76)を東宝傘下の製作会社で撮って東宝のラインナップに復帰している。

 両監督共戦前は国策映画を撮った事もあり、社会派作品に拘らぬ職人的な演出の腕があった事が「アカ」でも映画界から干されなかった理由であろう。

 深作欣二の『県警対組織暴力』(75)は昭和38年を舞台にした作品だったが、マル暴担当の中に汐路章扮するベテラン刑事がいて、口癖が「アカはいかん、アカが悪いんじゃ」。60年の安保闘争後の警察権力を軽く皮肉る様な設定であった。現実の映画界ではこの年「トロツキスト」の烙印を押され、日活労組の圧力で長谷川和彦と脚本家の内田栄一が日活を出禁になるという事件もあった。

 1977年度キネマ旬報ベスト・テン発表後、キネマ旬報で「やぶにらみ」というコラムを執筆していた「四根三郎」なる人物が、そのコラムで日本映画ベストテンに入った作品に一票も投じていない選者を「採点表でベストテンの頭の方が空白になっているのを眺めてどう思うんだろう?」とやんわりとした感じで批判。その選者の中で特に槍玉に挙げられていた松田政男(選評でベスト1作品の『幸せの黄色いハンカチ』を批判)が、次号で「これはキネ旬版赤狩りだ」と反論。

 前年にはロッキード事件絡みで白井佳夫編集長がキネマ旬報のオーナー命令で突如解雇された事件があり、またまたキネマ旬報で騒動勃発かと思われたが、実は四根三郎の認識自体に誤りがあり(批判した選者の数人はベストテン作品に票を投じていた)、的外れの批判に終わった事でこの件は無かった事として処理された模様。

 今でも「映演労連」(映画演劇労働組合連合会)という、各メジャー映画会社の労働組合を束ねる組織が存在するらしいが、労働争議が起こったなんて話は聞いた事がない。昔に比べれば映画界も平和なりって事なんでせうか。