特異な音楽性が一部で注目されたとはいえ、商業的には成功しなかった『ジャックス』は1969年7月のワンマン・ライヴで解散を宣言。8月の『第一回全日本フォ―ク・ジャンボリー』の出演を最後に解散した。メンバーは各自の活動へと散っていったが、リーダーの早川義夫はシノギ的な事情もあり『URCレコード』でディレクターとして裏方仕事を手掛ける事に。更にジャックス解散前からURCでソロアルバムのレコーディングを敢行。ジャックス2枚目のセカンドアルバム『ジャックスの奇蹟』が発売されたのが10月。その翌月この『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』が発表されているのだから、まだフォ―クやロック界が黎明期だっとはいえこの頃の早川の活動のサイクルは異様に早かった。

 レコーディングはほぼ早川一人でピアノやギターを演奏しながら唄う、文字通りのソロアルバムスタイルで進められた。意外だが詞は殆ど早川は作っていない。早川が高校時代所属していたアングラ劇団の関係者が作った詞に、早川が曲を付けたというパターンが多いと思われる。

 

 アナログA面1曲目『わらべ唄』は、童謡風のメロディーに恨みがましい言葉を羅列した不気味な歌。アングラ文化華やかしころのアングラ劇団の劇中歌ぽいけど、このおどろおどろしさはデビュー時の三上寛の楽曲に通じる物があるなあ。

 

 2曲目『もてないおとこたちのうた』は女運に恵まれず、男同士で「女なんてさ」と悪口を言って憂さを晴らすダメダメ男の嘆き節ソングだが、女=情況と裏目読みすると、ニヒリズムに傾倒していく若者たちの姿を描いた諦観ソングと捉える事もできる。関西在住シンガー、金森幸介のカバーヴァージョンあり。

 3曲目『無用ノ介』は『週刊少年マガジン』で連載されていた、さいとう・てつおの同名漫画からインスプレーションを受けて作られた詞であろう。少年誌連載とは言えどテイストは殆ど「劇画」であった『無用ノ介』。放浪、孤独、アウトローといった劇画的要素がその頃の映画や音楽に与えた影響はかなり大きかった思う。早川のピアノにシンプルなリズムボックス?が加わった演奏。

 

 4曲目『シャンソン』は、この時期に早川と一番親しかった音楽仲間である高田渡が詞を提供。疑似シャンシン風メロディーに高田の愛らしい詞が乗り、鼻歌ぽい雰囲気で唄う早川が、ここではピアノではなくギターを演奏。

 5曲目『サルビアの花』は本アルバムで一番有名なスタンダート化した曲で、何と最初にカバーしたのは無名時代の『オフ・コース』だった。僕と深い関係だった恋人とが訣別し他の男と結婚する事に。堪らず結婚会場に出向いた「僕」の事を、必死に知らない振りをする元カノが悲しくて悲しくて、僕は涙にくれながら花嫁の後を追いかけて…。歌詞を叩き台にして一編の映画が製作できそうなドラマチックな詞。ピアノを弾きながら切々と唄う早川の歌唱も泣ける。今この曲を聴くと、高校の頃読んだ柴田翔の小説『贈る言葉』を連想するな…。

 

 A面最後の曲『NHKに捧げる詩』は本アルバム中唯一諧謔精神を感じさせる曲。日本唯一の公共放送であるNHKを皮肉っており、詞が文語体ぽいのも笑える。早川が実質的プロデュースを務めた岡林信康の『見る前に跳べ』(70)で、岡林が『無用ノ介』と共にカバー(岡林と当時の恋人・吉田日出子とのデュエット)。

 

 アナログB面1曲目『聖なるかな願い』は本アルバムで唯一早川が作詞した曲。ギター弾き語り曲で僕は僕の信じる道を歩いていく的、かつ自然の素晴らしさに言及したした詞には、ジャックス時代を彷彿させる所もある。

 2曲目『朝顔』ではピアノ演奏に戻る。恋人に宛てたラブレターをそのまんま歌詞にした様な感じで、作詞者にはランボーの影響がありそう。あの世で貴方と結ばれればいいみたいな、遺書ぽい雰囲気もある。ピアノのバックにチープなオルガンが大きく被さっていくのがURCレコードらしいッス。

「テイク6」の声がかかって3曲目『知らないでしょう』へ。ここでのオルガンプレイは『ドアーズ』ぽい。前曲とはやや趣が違い死んでいる(多分自殺)私の主観で唄われる、かなりホラーじみた設定の詞が怖い。一部早川のヴォーカルが二重になる箇所があり、文学臭さにも被われた曲。

 4曲目『枕歌』の歌詞は僅か8行しかない。シュールかつ日本的な、まるで平安時代みたいなワードが出て来る。正確には判らないけど「両親の死」をテーマにしているのかも。短いが味わい深い曲。

 5曲目『しだれ柳』も歌詞は6行しかない。これも死をテーマした陰気な曲で、江戸時代の怪談話の一節みたいな感じがする。ピアノは所々強弱を付けて演奏され、感情の揺れを顕しているのかも。

 アルバム最後の曲『埋葬』はタイトル通り愛する人の葬儀を終えた数年後、帰郷した私が故郷の海を見ながら、死んだ貴方の事を想い後追いする事を考えている…という設定の詞だと思う。どうしようもなく死に憑かれている私…。

 

 

 A面は曲がりなりにもバラエティに富んだ曲が並んでいるが、死を連想させる曲ばかり並んでいるB面はかなりヤバい。「暗さ」に被われた楽曲や歌い手は数多くいるけど、ここまで徹底して死に拘ったシンガーは例を見ないであろう。そんな風に敢えて「楽曲」である事を否定して剥き出しの「詞」や「うた」を聴き手に突き付けていく早川義夫の方法論は、早川初の著書『ラブ・ゼネレーション』(72年。自由国民社・刊)を通しても窺い知る事が出来る訳だが、ただ早川本人は世評の高評価程本アルバム成功作だと思っていなかったと俺は推測する。

 その証拠に本アルバム発表を境に早川は裏方仕事に専念。しかしそれも肌に合わず72年には音楽界から足を洗い、長い沈黙へと入ってしまうのであった…。