2014年。4万5千人が暮らす愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウン。90歳になる建築家の津端修一は87歳になる妻の英子と共に、このニュータウンの一画にある平屋の一軒屋で暮らす。300坪ある敷地には30畳一間の母屋、農作業小屋、雑木林と果樹園と畑があり、夫婦は果樹園や畑の土を耕して70種類の野菜と40種類の果実を育てており、修一は庭中にユーモラスな文章を書いた手製の黄色い立て札を立て、どこに何があるのか一目で判別できるような工夫が…。

 

 先日観た『ヤクザと憲法』と同じく、東海テレビドキュメンタリー班が製作したドキュメンタリー番組の劇場版。日本有数の建築家でありながらも、老年になってからは中央の建築界とは一線を画し、60年以上連れ添った夫人と共に自分の敷地で自然と共生する人生を送っている…そんな津端夫妻の家庭をドキュメンタリー班のキャメラが長期撮影を敢行、そのマイペースな日常を追い続ける。ナレーターを18年に亡くなった個性派女優の女優の樹木希林が担当。その樹木希林を題材にした、やはり東海テレビの作品『神宮希林 わたしの神様』(13)の監督、伏原健之が本作でも監督を担当。2017年第91回キネマ旬報ベスト・テン文化映画1位に輝く。

 

 1950年。東京大学のヨット部に在籍していた修一は、愛知県で行われた国体に出場する時に英子の実家である造り酒屋に宿泊。それがきっかけで交際が始まり55年に二人は結婚。日本住宅公団に入社した修一は、59年の伊勢湾台風で大打撃を受けた愛知県の復興計画の一つとして、60年に高蔵寺ニュータウン計画の設計を担当。自然と共生した街づくりを試みるが当時の行政はそれを認めず、理想とは程遠い街が出来てしまった。津端夫婦は一家で高蔵寺ニュータウンの賃貸住宅に入居、300坪の土地を購入。自らが理想とした生活を続ける事で建築家としての自分の考えをアピールしていこうと考えた。それから長い月日が流れて…。

 

 前半は多幸感溢れる老夫婦の生活が描かれる。インテリならではであろうが90歳とは思えぬ矍鑠さで食欲も衰えぬ夫、そんな夫を支えテキパキ家事や畑仕事をこなしていく妻。老後の不安みたいな物を感じさせず、高齢ながらも建築関係の招きで台湾への旅行も。台湾にも夫の設計した建物が。ただやはり自身の理想とは程遠い外景で、懐かしみながらも複雑な表情の夫が印象的。こんな幸せな生活が続くかと思いきや夫が突然死亡。後半は回想映像を混じえつつ、夫が死ぬ寸前に関わった最後の仕事の成り行きや、寂しさを堪えつつも一人で夫の生前と変らぬ生活を続ける妻の姿に、夫の意志が継がれん事を望む人々の想いが滲むな。

 

作品評価★★★★

(夫の急死という想定外の出来事にも関わらず撮影は続き、夫の亡骸もしっかり映像に収められている。その冷静さは妻や遺族の対応とシンクロし、彼女たちの心情を代弁しているかの様であった。描かれている老生活があまりに理想的過ぎるのが難点だが、映画としては秀作)

 


付録コラム~風よ、あらしよ

 関東大震災から二週間足らずの1923年1月21日。無政府主義者・大杉栄とそのパートナーであった伊藤野枝、大杉の甥である橘宗一は甘粕正彦憲兵大尉指揮下の憲兵隊に拘束され、拷問を加えられ死亡した。特高などによる一連の「主義者」殺害の発端となった事件であり、イデオロギー的に大杉、伊藤の死は例え傷害致死だったとしても、主義者でも何でもない8歳の少年を口封じの為殺すのは卑劣極まりないと言わざるを得ない。甘粕始めこの事件の逮捕者の刑罰も大甘で、それが昭和に入ってからの一連の国家主義者によるテロ事件に繋がったとも言える。

 村山由佳の『風よ、あらしよ』は、その伊藤野枝の評伝小説である。福岡県の没落した旧家で育った野枝がその向学心と負けん気の強さで女性の地位向上を目指す社会運動家として活動、後には大杉に追従して無政府主義者としても生きていく姿を「自立した女性」の元祖的な存在として描く。

 自立心は恋愛面でも顕著で家のしがらみで望まぬ結婚を強いられたものの、直ぐに嫁ぎ先を出て女子校の師弟関係だった翻訳家&詩人の辻潤の家へ転がり込んで内縁関係に。更に辻の知人で無政府主義者かつ自由恋愛家であった大杉と知り合って相思相愛になり、当初は大杉の多情さに動揺しながらも女性向上と運動に身を捧げた野枝は、男尊女卑だった明治~大正時代喜重えると前例のない人物だったと言えるだろう。

 作者はそんな野枝を共感を持って描きつつも、あまり語られなかった「女々しさ」の部分をフィクションの形で描き、野枝の主観だけでなく大杉の正妻、自由恋愛の相手(後に日本社会党の代議士になった神近市子)の主観も織り込んで書かれ、単なる野枝の偉人伝ではない。大杉の人間像も、その懐の深さと真逆な、野枝ての三角関係のあげく神近に刺された「日蔭茶屋事件」での優柔不断さには、作者も腹立たしさを覚えながら書いている部分もある。だからと言って俗に徹したメロドラマ小説という訳ではなく、大杉に私淑し野枝との生活の面倒を細々しく見ていた村木源次郎が、大杉の仇討にテロ(ギロチン社事件)を決意する場面で小説は終わる。もし主義者の虐殺はイデオロギー故致し方無しというならば、テロもまた同様だという事か。

 この小説が吉高由里子主演でNHK(4Kチャンネルのみで放映)でドラマ化された事は知っていたが、その劇場編集版が現在公開中というのは知らなかった。キャストを見ると小説ではインテリだが生活力の乏しい男として描かれている辻潤が稲垣吾郎というのは適役かも。他のキャストも興味深く観る機会があればと思うのだが…。

 大杉&伊藤虐殺事件は『大虐殺』(60年 監督・小森臼)『華の乱』(88年 監督・深作欣二)にエピソードとして登場するが、二人を主役にした映画作品はこれまで『エロス+虐殺』(69年 監督・吉田喜重)しかなかった。これも実際は日陰茶屋事件の顛末をメインに描いた物。ただ『風よ、あらしよ』を読んでこの作品で神近を演じた楠侑子は適役だったと思った。

 同じく『風よ、あらしよ』で、軍人としてのエリートコースを外れたコンプレックスが大杉と野枝への憎悪に繋がったとされている甘粕正彦は謎の多い人物で、仮釈放された後満州へ出向して満映(満州映画協会)の理事長を務め 国策映画に嫌気がさして満州に来た映画人(内田吐夢、加藤泰など)の面倒を見た、映画界にとっては恩義のある人物なのだ。『ラスト・エンペラー』(87)では坂本龍一が扮していたな。