熱狂的ファンとまではいかないけど、俺ら世代では佐野元春は忌野清志郎と並んで80年代の日本の音楽界のアイコン的存在であった。二人に共通するのは変わる事を恐れない音楽的な冒険心。取り分け佐野元春はアルバム毎に新たなテーマを持ってアルバム制作をしてきた印象がある。

 6枚目のアルバム『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』では佐野元春はロンドンレコーディングに挑戦。エルヴィス・コステロのプロデューサーだったコリン・フェアリーにプロデュースを依頼、コステロのバックで演奏していた人、あのパブ・ロックの元祖『ブリンズレー・シュウォーツ』のブリンズレー・シュウォーツ、ボブ・アンドリュース、米国のブルースバンド『ファビュラス・サンダーバーズ』の元メンバーなどなど、知名度に頼らぬ通好みなミュージシャンが参加。これも佐野元春ならではであろう。

 ただ完全に英国ミュージシャンで固めた訳ではなく、一部では当時の佐野のバックバンド『ザ・ハートランド』のメンバーの演奏も使われている様だ。その辺の裏事情は良く分からない。日本で録り始めたが急遽ロンドン・レコーディングに変更になった可能性もある。

 

 トラック1『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』の歌詞には、90年代を間近に迎えての状況の変遷が念頭にあると思われる。この年ベルリンの壁が崩壊し中国では天安門事件があり、ソビエト連邦の崩壊も直ぐそこまで来ていた。日本はバブル景気に沸いていたけど世界は激動の最中だったのだ。厚いホーンセクションをバックに配したアレンジなど従来の佐野のイメージを引き継ぎつつ一部ヴォーカルをラップ調に叩き込んだり、それまでの活動の試行がさりげなく加えられている。

 

 トラック2『陽気にいこうぜ』も時代を意識した歌詞だが「俺はくたばりはしない 擦り切れはしない テロリストはこわくない」と、かなり強めに自分を奮い立たせている。様々な感情が本人の裡に渦巻いていた…という事か。ストリングスを適度に挿入したロックン・ロールスタイルで唄われている。

 トラック3『雨の日のバタフライ』の詞はシンプルに「いつか新しい日が訪れるだろう」と繰り返される。アレンジは柔らかくも何処か懐疑的だ。本当に輝かしい明日なんてあるのか? 自問自答しながらも突き進む、それしか道はないはずなのだが…。

 トラック4『ボリビアー野性的で冴えてる連中』の歌詞の念頭にあるのは、1967年10月ボリビア山中で射殺された永久革命家チェ・ゲバラだろう。90年代辺りからゲバラの自画像写真は一種のファッションとなり、ゲバラTシャツを着た若者なんかも街で見かける様になっていた。パーカッションを配したサウンドは、ボリビアの山中を彷徨うゲバラを暗示している? ハードめに攻めたロックン・ロール。

 

 トラック5『おれは最低』ではガラリと変わり、偽善者である自分を自嘲的に懺悔する…そんなシンプルな詞。スローなリズムなせっかちなリズムが交錯し揺れる感情を暗示しているかの様。

 トラック6『ブルーの見解』は歌詞ではなく語り。ボブ・ディランみたいな演奏をバックに、親し気に語り掛けてきた何処で会ったかも覚えていない男への違和感を佐野は淡々と語る。物知り顏の批評家への同様の気持ちを比喩しているのか? 優し気な語りの中に静かな怒りが込められている気もする。

 トラック7『ジュジュ』もメッセージソングではあるけれど、それは若干薄められ彼女(ジュジュ)への恋しい気持ちを綴った純粋なラブソングと捉えるべきであろう。メロディメイカーとしての佐野が真価を発揮した佳曲。

 トラック8『約束の橋』は本アルバムの先行シングルだが4万枚しか売れなかった。しかし92年にCXの月9ドラマの主題歌として再発したら70万枚も売れたとか。喜んでいいのか溜息つくべきか迷ってしまう事態だが、そういう事を抜きにしても名曲の類だろう。ポジティヴ面?を強調した歌詞と、それに寄り添う様なサウンドアレンジ。

 

 トラック9『愛のシステム』はシステム(体制)から落ちこぼれる事への不安を、ラブソングの形を借りて歌っている。力や数に押され慣らされてしまう僕たち(或いは私たち)。同じユニフォームを着た人ばかりが街に溢れ出す。かつてのニュー・ウェイヴぽくもあるサウンド。

 トラック10『雪ーあぁ世界は美しい』は街を被った銀世界の美しさに、一瞬ではあるけど世界もこんな風に真っ白になればなあとの想いをこめられたメッセージソング。佐野のロマンチックな側面が強調された曲。

 トラック11『新しい航海』は前曲とは真逆に、薄汚れた世界や瓦礫の中から「君」を見出すという歌詞に、佐野の改めての音楽活動の意志がこめられていると考えるべきか。サウンドアレンジからするとハートランドをバックにした演奏の様に感じられるが…。

 トラック12『シティチャイルド』では「聖なるクロコダイル」と「孤独なプラネタリウム」というワードがキーになっている。パブ・ロック的なサウンドが聴けるゴキゲンな(死語)1曲。シュールさを漂わせがらも今の子供たちの夢を物語る佐野。

 

 

 

アルバム最後の曲『ふたりの理由』はトラック6と同じく語りが中心でサビだけ歌唱という構成。落ち着いた演奏をバックにふたりの出会いから共棲までをシンプルな簡潔に物語る、良き時代のシンガーソングライター的なイメ―ジに被われた佳曲で、本作の幕が下ろされる。

 

 正直に言うとロンドンに行ったからといってそれ風のサウンドに染まるみたいな、企画的な色は本アルバムには無い。参加したミュージシャンをバックにしたツアーバンドを結成するプランもあったらしいが回避された。ロンドンレコーディングはあくまでも佐野の内面的なテーマとしてのプランだったみたいだ。

 サウンド面よりも詞作な部分での試みに注目した。本アルバムからのシングルカットが4曲もあった事が象徴される様に、シングル曲では馴染み易いポップなサウンドを形作りながらも、アルバム曲ではかなり赤裸々にメッセージを投げかける曲もあり、バンドブームに塗り込められつつあった日本の音楽界の状況に、佐野元春なりのやり方で抗したい気持ちも強かったのではないかと推測する。

 結果的に『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』が、俺がちゃんと聴いた佐野元春の最後のアルバムになった。その後の彼の活動について、俺は語る言葉は持ってはいない。