健司(江端英久)は東京で恋人と性交中避妊具を使わなかった事で激怒され、一方的に別れを宣告されてしまう。彼女は新しい恋人を作ってしまった。東京生活に嫌気がさした健司は一旦故郷にUターンする事に。兄嫁の春代(葉月螢)は突然帰郷した健司を歓迎してくれるが、竹細工職人の兄・良介は冷ややかな態度。母の姿が見当たらないので良介に訊いたら、良介は「癌で入院している」と言う。驚いた健司に良介は「大した事はない。ただの癌だから」と答える…。

 

 90年代のピンク映画界で作家主義みたいな物が謳われ、瀬々敬久らが「ピンク四天王」としてまず一部に評価され、その後今岡信治らの「七福神」という次世代の監督が登場した。本作の監督・上野俊哉(うえの・としや。同じ「上野俊哉」と書く批評家がいるが、彼は「うえの・しゅんや」)も七福神監督の一人だった。本作は後に映画監督になる小林政広執筆の脚本『空色のクレヨン』の映画化で、通称「バカ兄弟」シリーズと呼ばれた一連作品の一本目。東京で冴えない生活を送っていた弟と、故郷で性欲まみれの日々を送る兄と関係を主軸に描く。主演の葉月螢はアングラ劇団『水族館劇場』でも活躍してた。佐々木ユメカ、本多菊次郎らの共演。

 

 良介は健司を行きつけの居酒屋に誘った。対応した店員の美智子(佐々木ユメカ)の事を良介は「俺の愛人。駐車場に止めた美智子の車で毎晩カーSEXしてるんだ」と自慢。シラケた気持ちで家に帰った健司。寝ようとしたら兄夫婦の寝室から喘ぎ声が聞こえてきた。翌日健司が母の見舞いに病院を訪れると白衣姿の美智子が。美智子は看護師で居酒屋はバイトだった。勝手に美智子と会った事で良介は不機嫌に。その夜もまるで声を聞かせるかの様に兄夫婦は求め合った。我慢できなくなった健司は一人で件の居酒屋に呑みに行く。店はもう閉まると言われたが、美智子は別の店で呑もうと言う。しこたまに酔った二人は駐車場の車の中で…。

 

 東京でいい加減な生活をしてきた弟と、田舎で親の面倒を見てきた兄との確執が二人の女(兄嫁と看護師)との性関係を混じえて描かれる。俺は愛人もいるんだからなと性豪ぶりを見せつけて優越感を持とうとする兄に対し、弟の方は女に対し常に受け身。だがそれが逆に兄との関係に不毛さを感じつつある女たちの興味を惹く事に。女の気持ちを全然判っていない男共(兄弟)と、それに愛想を尽かす兄嫁。危篤だった母が持ち直した事をきっかけに和解した兄弟を病院に置き去りにして姿を消す兄嫁に女の強さを感じる。小林政広のフランス映画仕込みの脚本は上手いと思うが、演出が何か素っ気なく映画世界にのめり込むまでにいかず。

 

作品評価★★

(正に作家主義しているピンク映画だが、60分強の時間では脚本が目指したエロチック・コメディという域まで到達しなかった感じ。監督も脚本家も既に故人になっており、小林はともかく上野俊哉はもっと活躍できる余地はあったと思うが。『兄嫁 禁断の誘い』と改名されて再映)

 

付録コラム~高橋留美子先生も激オコだよ!

 

  タレントの東野幸治が自身の冠ラジオ番組で『セクシー田中さん』問題に触れ「『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(84)は原作者と脚本家は合わせる訳にはいかなかったやろな」と発言。原作漫画のファンだった東野少年は映画館で『ビューティフル・ドリーマー』を観て「何やこれ」と思ったという。俺は併映の『すかんぴんウォ―ク』目的で観たのだが『ビューティフル・ドリーマー』の方に衝撃を受けたものの、当時この作品の良さをどう人に説明していいのか分からなかった。いい大人?の俺でさえそう思ったのだから、東野少年がチンプンカンプンで当たり前であろう。

 今回の一件でこの作品の事も話題になっている様だが、原作者の高橋留美子先生が「激オコ」だったとは知らなかった。『週刊少年サンデー』に連載された原作漫画『うる星やつら』は、基本的には超浮気者の諸星あたると、その許婚の宇宙人娘ラムちゃんを中心にしたドタバタコメディ(俺が目にした限りは)。当然ながら「原作に忠実に映画化」では劇場版アニメにはならず脚色が必須だった。TVアニメ版に関わっていた押井守が劇場版の第一作『うる星やつら オンリー・ユー』(83)を監督。高橋先生からは絶賛されたが押井監督は失敗作だったと思っており、全面的に自分の世界観を押し出した『ビューティフル・ドリーマー』を監督した訳だ。

 原作とはかけ離れた作品だが、高橋先生はそれを承知の上で認めてくれてると俺は思っていたが真逆だった。高橋先生は雑誌などでも「『うる星やつら』の劇場版で一番嫌いなのは『ビューティフル・ドリーマー』」と公言しているという。

 高橋先生が激怒したのは、原作では雑魚キャラだった「メガネ」が『ビューティフル・ドリーマー』では押井監督の代弁者の如く大活躍してる事を問題視したとか。確かに自分がロクロク描いてもいないキャラを勝手に作られてはいい気持ちはしないだろう。

 だが高橋先生の本音は、自分と無関係な所で製作された『ビューティフル・ドリーマー』が、一部で伝説的な作品として祭り上げられてしまった事への困惑が一番気に触ったのではないか。ここで重要なのは「一部で伝説的な作品」、つまりオタクやカルト受けするという事。高橋先生は形の上だけであっても自分が関わった作品が、そういう捉え方をされるのに我慢がならなかったのでは? 同じ原作のテイストとはかけ離れた作品でも、宮崎駿の『ルパン三世 カリオストロの城』(79)の様な大衆受けする作品みたいな形の「改変」なら檄オコしなかった…と俺は推測する。

 原作者と作り手の方向性がこれ程遊離していた状態では、東野が言う様に原作者と監督が顔合わせなどしたら、押井監督は下ろされて『うる星やつら2』は高橋先生の意向に添った無難な作品になったと思うが、こういう傑作(と俺は思う)が生み出された以上、世評の圧倒的な割合を占める「原作に忠実に映像化するなんて当たり前の話」なんて単純な問題ではないだろう。