『FMW』のブレイクがきっかけになり90年代次々と登場したインディーズ系団体。当時俺も様々なインディーズ団体の試合を観戦したが、そんな団体出身者で21世紀になっても常時プロレスラーとして活躍できていた選手はほんの一握り。殆どのレスラーが消えていったのは勿論技量的な問題が最大のネックであったのだが、それと共に選手各々のモチベーションの低さもあった。消えていったレスラーに共通して言えるのは、リングに上がって試合できるレベルで満足してしまっている事。どんなタイプのレスラーを目指したいのか、将来どういう展望を抱いてリングに上がっているのかがファイトからは全然伝わってこなかった。これでは何れ観客からも飽きられて終わるのが関の山だ。

 そんな低レベルレスラー揃いのインディーズ出身レスラーの中、自力でレスラーの道を開拓し、レスラー稼業を28年近く続けた男がいる。その名前は「NOZAWA論外」。「論外」というリングネームは伊達じゃなく、リング外で数々の論外な問題を起こしながらもメキシコを皮切りに米国及びヨーロッパなど世界諸国で闘い、日本でもユニット『東京愚連隊』を結成しフリーの身分でメジャーも含む様々な団体のリングに上がった。本書はそんなNOZAWAがレスラー引退をするに当り、それまでのプロレスラー人生をインタビューの聞き書きスタイルで構成した、500頁弱に渡る書(構成担当は元『週刊ゴング』編集長の小佐野景浩)。

 高校時代は不良兼サッカー少年だったNOZAWAがプロレスに惹かれるきっかけになったのは、『PWC』というインディーズ団体を率いていた高野拳磁に憧れたからだという。ただデビュー戦はPWCではなく95年「屋台村プロレス」でだった。当時屋台形式の居酒屋が流行っており、その敷地内にリングを組み酔客相手にプロレスを見せる形式。俺は行った事がないのでその状況や料金設定などは判らないけど、観客はせいぜい多くて50人ぐらいなのでは? 当時のインディーズ団体と称する中でも最底辺に位置する団体で、長州力ならそこに出場するレスラーを「プロレス界の面汚し」と罵倒したであろう。

 そんな屋台村で一緒になった高木三四郎に誘われ97年『DDTプロレス』の設立に参加。だが今でこそ準メジャー団体の扱いを受けてるDDTも、当時は『週刊プロレス』にも無視されている底辺団体で、嫌になったNOZAWAはDDTが招へいしたメキシコのルチャ・リブレレスラーの伝手でメキシコに渡り、現地で闘ってルチャのスタイルが自分に合っていると思いDDTを辞めてメキシコに渡る…と本書ではなっているけど、実はこの時期にNOZAWAはリング外で最初の論外な行動を起こしており、日本のプロレス界に居づらくなった部分もあったのでは…と推測される。

 当初はこれといった有力なコネもないメキシコを主戦場に、その地で出会った藤波辰爾主宰の『無我』出身のMAZADA(正田和彦)、同じく無我出身のTAKEMURA(竹村豪氏)とタッグを組んだのが東京愚連隊の始まりだったという。メキシコだけでなく米国にもしばしば遠征。『WWE』のトライアウトには不合格だったが、『TNA』や『ECW』といった準メジャー級の団体には出場。当時はインターネット情報が今みたいに浸透しておらず、単身海外に渡ったNOZAWAがこんなに活躍しているなんて情報は全く日本に入ってこなかった。そして99年頃から海外と日本を行き来する活動を開始し、東京愚連隊名義で主宰興行も開催。鈴木みのるや高山善廣といった大物レスラーが東京愚連隊に参加した事もあり『全日本プロレス』『新日本プロレス』、現役末期には『NOAH』のレギュラーにもなり、日本のメジャー三団体を制覇出場した。

  身長178cm、体重93㌔。ジュニアヘビー級クラスの体格で「強いレスラー」だったとは言えないNOZAWAが、何故28年近い現役生活を送る事が出来たのか? 本書を読むとその理由が判る様な気がした。まず前述したモチベーションの問題で言えば、NOZAWAには他のインディーズレスラーにはない「この道で絶対飯を喰える様になる」という強い意志があった(他のインディーズ野郎の殆どはバイト掛け持ちのセミプロレスラー)。加えてレジェンドを含む先輩レスラーへのリスペクトが常にあった事。

 海外では言語がはっきり分からなくても、必ず控室では有名レスラーの近くに座る様にしていたら、プロモーターが勝手にNOZAWAも有名レスラーだと誤解して仕事をくれた事が度々あったという。日本ではレジェンド外人レスラーをしばしば東京愚連隊興行に招へいしその相手を務めた。その場合相手の得意技を正面から受けいい気分にさせてやる事で信頼を勝ち取る。この接し方は日本の武藤敬司や天龍源一郎、大仁田厚などのトップレスラーにも通用した。本書を読むと、人気レスラーの殆どが試合で自分が美味しい思いをすること以外殆ど考えていないみたいだ。そういう自己肯定が強くてこそ人気レスラーなんだろうが、こういう人たちはプロレス団体の社長には絶対向かないね。だって弟子を育てるなんて気持ちは二の次なんだから。

 強さはなくても「受け」一本鎗で海千山千のプロレス界を泳いできたNOZAWAは「プロレス頭」はとってもクレバーなレスラーだと思う。だが日本もで売れっ子になったあまり慢心が芽生えたのと、先輩レスラーへの敬意が逆に後輩レスラーへの当たりの強さに結び付いてしまった事は否めなく、10年に起こした試合無断欠場などの論外行為や、翌年の後輩レスラーに恨まれ罠にはめられる事件にも繋がってしまった。事件自体は冤罪であったが、NOZAWAも本書で「いい気になっていた時期もあった」と反省している。

 

 トップレスラーとの対戦を重ね必殺技を正面から受けてきたNOZAWA論外。いかに受けの名人であっても28年弱も続けてきたなら、体がガタガタになってもおかしくないだろう。23年2月21日東京ドームの武藤敬司引退興行が、NOZAWA論外引退試合の日でもあった。長年の相棒MAZADAとタッグを組んで外道&石森太二組と対戦したNOZAWAは既にリングに上がれる体調ではなく、僅か4分30秒余りでフォールを許した。試合内容自体は不本意であったかもしれないが、最底辺の屋台村プロレスから身を起して世界を掛け巡った問題児レスラーの引退試合が東京ドームであった事は、素直に賞賛すべきであろう。A級とは言えない一レスラーの始末記的な本としても。貴重な本であった。

 

 

 両腕が刺青だらけ、試合活動自粛期間にバイトを探したがその風貌故に全て面接で落とされたというNOZAWA論外の引退後は、やっぱりプロレス関連の仕事をするのかな…と思ったりもする。ここの所の日本プロレス界は問題が山積みで、そんなプロレス界にまた彼が論外な行動で斬り込んでくるのかも…と考えると、半ば期待みたいな気持ちも隠せない原達也なのであった。