かつてニュー・ウェイヴバンド『トーキング・ヘッズ』を率いて一世風靡したヴォーカリスト、デヴィッド・バーン。解散後ソロミュージシャンとして活動する様になってから随分経つ。余計な物が全く無いステージに一人登場して人間の脳の模型を手にし、その機能を観客に説明してから1曲目を唄うデヴィッド・バーン。中途から男女が登場し曲に合わせてダンスステップ。脳は成長するにつれ衰えてゆくと語り、もしかしたら赤ん坊が脳的には一番優れているのかもと語るバーン…。

 

 音楽ドキュメント映画の金字塔と言われる『ストップ・メイキング・センス』(監督ジョナサン・デミ)。その作品の主人公だったとも言えるデヴィッド・バーンの新たなライヴドキュメンタリー作品。トーキング・ヘッズ解散後はソロとして坂本龍一と共に映画『ラスト・エンペラー』(87)のサントラを担当したり、ワールド・ミュージック的な音楽作りを志したりしていたデヴィッド・バーンの、今の所の最新アルバムである『アメリカン・ユートピア』をタイトルに抱いたライブコンサートを映像化。『ドゥ・ザ・ライト・シング』(89)『マルコムX』(93)『セントアンナの奇跡』(08)などのスパイク・リーが監督し、デヴィッド・バーンとスパイク・リーが共同でプロデューサーも務めた。

 

 3曲目からはキーボード奏者とタンバリン担当も加わりメンバーは5人に。トーキング・ヘッズ時代の曲を演奏し観客の盛り上がりも高い。更に4曲目ではギター、パーカッションなども加わって8人の演奏者が横並びになり、まるでマーチングバンドみたいな演奏を展開。最終的には12人のメンバーがステージ上に。トーキング・ヘッズレコードデビュー時代の想い出を語るバーン。アルバムタイトル曲『アメリカン・ユートピア』は「みんなが僕の家に来るのをあまり歓迎していないという歌なのに、他人が唄うと全く反対の意味に捉えられたりしている」と言い、自分は今も米国市民ではなくスコットランドからの移民と宣言。MCは大統領選挙の事にも及び…。

 

 アンプ類など一切見えないステージ。デヴィッド・バーンも他のメンバーも全員揃いのグレー上下に衣装に身を包み素足だ。楽器類も軽量。出演者は軽いステップでステージ上を右へ左と動く。その徹底したシンプルさが清々しい。『ストップ・メイキング・センス』の時の緊張感や、デヴィッド・バーンの強圧と言ってもいいカリスマ性は本作には全く見受けられず、気の合う音楽仲間との共働を愉しむ彼の姿には、一種の解放感みたいな物も感じる。その音楽があらゆるヘイトに反対するスパイク・リーの思想とスムーズにリンクして、意外な二人の顔合わせは成功したと言えるだろう。ライヴ後メンバーと自転車で街を疾走するバーンの繕わぬ姿もイイ。

 

作品評価★★★★

(現在本作が一部の都市でリバイバル公開され、明日からは『ストップ・メイキング・センス』も公開されるとか。差別のないユートピア世界が現実の物となる以前に、分断主義者のトランプが再び米国大統領に就任する可能性濃厚という実情には、溜息をつきたくなっちゃうが)

 

付録コラム~死んじゃったから公に言える事だよね

 トップクラスの脇役女優だがTVのバラエティ番組ではぶっちゃけタレントとして重宝がられている高畑淳子が、今だから言える、日活ロマンポルノに出演したかも…という体験談を番組内で告白。脱ぐのは裸で水泳する様な物だと割り切り出演オファーを受け、スタッフと酒飲んだりして楽しかったけれど、冷静になって考えると触られたり舐められりするのは嫌だなあと思って電話で丁重に出演を断った。なのに共演者から電話かかってきて「テメェ~」と怒鳴られた…という思い出話。現在の高畑の佇まいと「ロマンポルノ」のイメージが遊離し過ぎていて、場はあまり盛り上がらず、共演者から突っ込まれる事もなく終わった。

 このエピソードは真実で、高畑が出演する予定だった作品は神代辰巳の『嗚呼! おんなたち・猥歌』(81)で共演俳優は内田裕也。高畑の役柄は売れないロック歌手である内田の愛人役のトルコ嬢(ソープ嬢)役。

 内田自身にインタビューした自伝本『内田裕也 俺は最低な奴さ』(09年 白夜書房・刊)にこの件のエピソードが結構詳細に書かれていたが、高畑の語る事とはかなり違う。高畑がロマンポルノ初出演という事もあり神代監督のみならずキャメラマンも立ち会って濡れ場のリハーサルをかなり緻密に行ったが、クランク・イン直前になって高畑が突然失踪。全く連絡がつかないので関係者は急遽代役を探すのに奔走する事になり、大変な迷惑を被ったと内田は証言している。

「あいつ、どっから来たんだ」と内田がスタッフに問い詰めたら「劇団『青年座』です」「青年座って他に誰がいるんだ」「西田敏行です」「じゃあ西田を今直ぐここに連れてこい」「いや、西田は別に悪くないと思います」。でもどうしても収まりがつかなかった内田は西田宅を急襲。「バカヤロー、お前ロマンポルノを舐めてんのか!」と理不尽に怒鳴られた西田は「そんな…。全然舐めてませんよ」と平身低頭するばかりだったという。

 本心で言えば、高畑淳子は仕事と言えど、既に悪名高かった(笑)内田に舐められたり触られたりするのが急に怖くなった…って事ではないか。まだ無名で役者としての修羅場の経験も少なかった当時の彼女に「女優失格」の烙印を押すのは気の毒な気がする。ただ劇団の大先輩が迷惑を被った事に対しては、ちゃんと謝るべきだったとは思うけどね。

 今や青年座の大幹部になり女優としての位置を確立した高畑淳子にとっては、こういう苦い体験も今やバラエティ番組のネタになるレベルの思い出話なんだろうが、内田裕也は前述本の時点では恨みを忘れておらず、バラエティ番組に出演している高林を見て怒り充満、「今度会ったらブッ飛ばしてやる」と暴行予告宣言も。結果的には再会する事無く内田は19年に亡くなり、高畑淳子も無事であった。

 もし今も内田が存命だったら、こんな風にバラエティ番組のお笑いネタにする事も絶対なかったと思うな。