戦後日本映画界トップの脚本家は誰かと問われれば、客観的に考えて橋本忍の名を挙げる人が一番多いと思う。何しろ脚本家デビュー作が黒澤明の『羅生門』(50)。黒澤映画を離れてからは松竹の野村芳太郎と組んだ松本清張の映画化作品、『日本沈没』(73)以降は徐々に日本映画の主流となっていった大作志向を脚本家として推進させ、日本映画界有数のヒットメイカーの脚本家となった。酒に溺れがちな脚本家という職業の割には、異例の長寿(2018年に100歳で亡くなっている)だった事も特筆されるべきであろう。

 文藝春秋社から出版された本書の著者、映画史家である春日太一は、そんな高名な橋本忍について徹底取材して書かれた本が皆無に近い(橋本本人が書いた著書はある)事を義憤に感じていた。そこで今は廃刊になった『新潮45』誌での本人へのインタビューを発端に、自宅を訪問して聞き書きした彼の発言と、過去に彼が書いた文献などと照らし合わせて真実を追求もしつつ、纏めた橋本忍史ともいうべき本である。橋本は亡くなる数年前から心身共に不健康な状態になり、結局彼が亡くなった後にも本書の執筆は続き、企画から12年後の去年に漸く出版となった労作である。

 橋本忍は所謂インテリ層の出身ではない。国鉄に就職したが徴兵されて中国大陸に派遣されるはずが、当時は死の病だった結核に罹った事で戦地へ行くのを免れた。療養中に同室の患者が貸してくれた映画の本でシナリオライターという職業を知って興味を持ち、一番偉いシナリオライターは誰かと訊いたら伊丹万作(伊丹十三の父)と言ったので、直ぐに伊丹と連絡を取り弟子になった。とはいってもその当時橋本は軍需会社に勤めており脚本家専業ではない。戦後会社で独立騒ぎがあり、その際に漸く脚本家を正業にする事を決意。それから間もなく『羅生門』を共作(小國英雄&黒澤明と)し、その『羅生門』がベネチア国際映画祭でグランプリを受賞してしまうのだから、恐るべき強運の持ち主と言ってもいい。

 脚本家になる過程を見ても判る様に、橋本忍は映画会社のお抱え的な脚本家ではなかった。初めからフリーとして活動し、黒澤作品で評価を得た事で各映画会社のプログラムピクチャーの作品なども徐々に手掛ける様になる。その分映画という産業のあり方を映画会社の外から見れるメリットがあった。黒澤作品や社会派映画の脚本を多く手掛けたからといって、橋本は決して芸術肌の脚本家でも社会派の脚本家でもなく、逆に商業映画作品と同じ発想で脚本を書いていった…と主張してやまない。早い話観客を泣かせる事を最重要視して書いていたと言う。

 

 社会派映画の代表的作品である『真昼の暗黒』(56年 監督・今井正)も、無実の罪に捉われる容疑者の母親に焦点を当てて描いた「母物映画」であったと言う。振り返ってみれば『真昼の暗黒』のみならず、その後も家族間、親子間、恋人関係などのシチュエーションを使って観客の涙を誘う橋本脚本作品はかなり多い。その典型的な例が『砂の器』(74)である事は言うまでもないだろう。松本清張の原作には3行程しか書かれていない父子の乞食旅を、映画では思い入れたっぷりに描いた事で観客の涙を誘った。本書で初めて知ったが『砂の器』は60年代初頭に一度映画化にGOが出て、この旅のシーンはその時にも撮影した。しかし松竹の判断で映画化は中止になった。その時父を演じたのが74年版と同じ加藤嘉だったというから驚き。あのシーンには作り手の十数年に渡る執念も込められていたのだ。

 その『砂の器』映画化の際、橋本忍は『橋本プロダクション』を設立し『砂の器』も橋本自身でプロデューサーを請け負った。本書には橋本が生前遺したヒット作の企画書が紹介されているが、橋本は60年代後期から従来のプログラムピクチャー的な製作体制では日本映画のヒット作は作れないと断じていた。これは恐るべき先見の目と言わざるを得ない。かつヒットの為には普通の映画人なら二の足を踏みそうな創価学会の協力を仰ぐ事も躊躇しなかった。その為に橋本は創価学会傘下の『シナノ企画』が製作した『人間革命』(73)とその続編(76)の脚本執筆を承諾。70年代は橋本のヒットメイカーとしての読みは、東映の頼まれ仕事などの数本を除けば悉く成功し、その意味では言えば単なる脚本家を越えた存在になったとも言える。

 と。ここまで書いて(読んで)、俺は本作の著者と同じく最大の疑問に突き当たってしまうのだ。そんな映画の時代の流れを的確に読んできた橋本が何故『幻の湖』(82)を撮ってしまったのか。『幻の湖』は東宝映画50周年記念という大変な冠を背負い公開された作品だが、記録的な不入りを記録し早々と公開は打ち切られた。本作が90年代に話題になったのは「バカ映画」の代表作という、橋本の実績からすると屈辱的な扱いであった。近年は傑作などという評価もある様だが、それは後出しジャンケン以外の何物でもないと、何の事前情報も無く封切で観た俺は断言したい。

 

 ストーリーは琵琶湖の傍らに存在する雄琴のソープ街で働くソープ嬢(南条玲子)が、可愛がっていた愛犬を殺した男に復讐するというのが主軸なのだが、まず主人公がこういう特殊な職業の設定でいいのかと思った(あくまでも「ビッグヒットを狙う」という意味での異論)。かつシーンが戦国時代やSFシーンにいきなり飛ぶのがややこしかったし、米国の諜報員が雄琴にソープ嬢として潜入捜査しているのも意味不明。

 更に主人公も犯人もランナーズ・ハイという設定が復讐ストーリーをヘンテコな物にしている…などなど「怪作」と言わざるを得ないシーンが頻発し、観終わっても何と表現していいのか言葉がなかった。

 本作も事前に橋本が『砂の器』『八甲田山』(77)の時と同じく、企画段階から様々な分析を重ね撮影に臨んだはずである。だがヒットには至らず…というか痛恨の大コケ作に終わった。その理由を著者は様々な観点から分析している。

それを列挙していけば

 

①今回の作品は橋本が製作&脚本だけでなく監督も兼ねていた事。

②演出上の欠陥

③既に70代になっていた橋本の体力的な衰え

④妻が認知症になった事

 の、大きく言えばこの4点になる。

 まず①について言えば、チーフ助監督の証言によると野村芳太郎、森谷司郎といった橋本プロダクションにも参加していた監督主導によるチーム編成的なスタッフではなく、寄せ集め的編成になってしまい、最後まで統制が取れなかったという。最初のキャメラマンが途中降板し新たに加わったキャメラマンは撮影中に亡くなり、三人目のキャメラマンを雇う事になってしまった…トラブル続きの撮影だった事は事実。

 ②について言えば、まずストーリーのキモである愛犬が死ぬシーンが無いという致命的欠陥。橋本は毎晩飼い犬と添い寝するという程の愛犬家で、犬を殺すシーンの撮影など残酷過ぎて演出できなかった…という嘘みたいな理由があったらしい。そんなんなら最初からこういうストーリーなんか作るなと突っ込みたくなるが。

 加えてヒロインに扮した新人女優の表現力の稚拙さ、不必要なまでのランニングシーンへの拘り、SF映画ブームや時代劇ブーム?を小出しにつまんで挿入したかの様な「何でもあり」設定が、復讐という生々しいストーリーと水と油だったと、俺も思う。

 ③について言えば、橋本は毎日少しの時間でもいいからペンを握って脚本を書く習慣を持ち続け、それを脚本仕事のベースとしていたのだが、70歳代が近づくと体力的にそれがつらくなっていたという。それは精神的に④にも被る問題であろう。85年に認知症をテーマにした『花いちもんめ。』という作品が話題になったが、それからも判る様に80年代前半までは今みたいな認知症の老人を対象にした介護施設も殆ど無く、家人が認知症になっても基本的には家族内で面倒を見るしかない時代であった。在宅中は妻が寝床に着くまでは、橋本は脚本や映画製作に集中する時間が取れなかったのではないか。

 結果的には『幻の湖』で橋本の現役脚本家としての評価は落ち、橋本プロダクションも解散を余儀なくされたが、かといって橋本の脚本に対する意欲が完全に失せた訳ではなく、自身の監督作品『私は貝になりたい』(59)のリメイク(08)の際にはリライトした脚本を提供。仕事が出来なくなる寸前まで小説の執筆に集中していたという。

 

『幻の湖』では失敗したけど、橋本本人としては意外とそれ程のショックはなかったのかも。これも意外な話だが橋本忍は一時期までは狂が付く程の競輪マニアで、もらったばかりの三桁の脚本料を一日で溶かしてしまった事もあったとか。映画をヒットさせる事も競輪の大穴狙いの博打に近い感覚だった…みたいな事を橋本は著者に述べている。だから『幻の湖』での大損もまた、博打打ちの感覚で言えば想定内だったと取れない事もない。

 そんなある意味豪快な脚本家人生を送った橋本忍。もっとインテリ然とした人間像を想像していたのだが、いい意味で裏切られた…とは言っておきたい。

 

 

付録コラム~松本人志などと比べ物にならないNの所業

 去年末からマスコミは松本人志のスキャンダルに大騒ぎしているけど、俺はそれ程驚かなかった。もう還暦なのに尋常じゃない程に体を鍛えあげている松本からは「若い娘とやりたい」オーラがプンプンと漂っていたから、裏でこんな事やってても普通に思える。下っ端の芸人に女をアテンドさせていたという批判があるが、事実上芸能界のトップにいる男の言う事を聞かざるを得ないのも当たり前…との感想しか浮かんでこない。ただ素人の女性を相手にしていたのは不味かったな。相手が「プロ」なら例えスキャンダルになっても、自虐的なギャグで済まされたはずだ、今の松本なら。

 と、この件に関しては至極冷静に捉えた俺だったが、女性に対する性差別告白として、とある元女優が証言した「大物ミュージシャンのN」の所業については仰天。97年に「暴力的な性格」のNに脅され違法薬物を強要された末三度に渡って凌辱、終わった後「俺には強いバックが付いてるから、公にしたら大変な事になるぞ」と脅されたという。事実だとしたら性差別レベルではなくNはれっきとした犯罪者。もし現代に「必殺仕事人」がいたら、始末されても文句が言えない悪党である。

 勿論これは元女優が一方的に発言しているだけであり、Nに何らかの恨みを持っており陥れようと虚言している可能性も一応はある。ただNが暴力性ある男という証言はかなりリアル。

 Nはとある映画に主演している。その中で自分の子供が苛められていると聞き、子供と生活している別れた元妻のアパートに行き、元妻に暴行を奮うシーンがあった。暴行と言っても「思わず手が出た」の類ではない。いきなり部屋に入って子供が苛められているのはお前のせいだと一方的に言って殴る蹴る、所謂「半殺し」にするのである。相手が非力な女性であっても半殺しなんて異常というしかない。あまりに惨たらしかったので、後でNが元妻に悪かったと謝るのかと思っていたが、そういうシーンは無く映画は終わった。

 この作品は実質的にはNがストーリーを考え演出も務めたと言われている。ならば女を半殺しにするシーンは、そのままNの考えが反映されたと考えざるを得ない。それ自体ゾッとするし、そういう男が熱狂的ファンには教祖的に崇められているのにもまたおぞましい物を感じる。

 元女優の証言は事実かどうか今となっては検証する事はできないし、N側も事実と認める事は絶対無いだろう。でも「Nが暴力的な性格」という部分だけは、紛れもない事実だと確信する。