41・『逆噴射家族』(84年 監督・石井聡互)の寿国(植木等)

 自主映画界のバイオレンス派だった石井聰互(現・石井岳龍)が、政治的発言する前の小林よしのりの原案を映画化。念願適ってマイホームを建てた小林克也一家。当初は幸せな生活だったが、小林の兄嫁と折り合いが悪くなった父(植木)が押しかけ同居してから徐々に家族間のイライラが募り、遂には一家(小林、その妻・倍賞美津子 植木、長男、娘)各々が家を舞台に陣地を作って戦争を始めるハチャメチャストーリー。

 映画というより全編コントに近く、家族間のバトルという深刻なはずのテーマも笑って観てしまう。それはいい事なのか悪い事なのか分からないが…。取り分け見逃せない?のが軍服に軍刀姿の植木とアイドル志望で戦闘服が女子プロレスラーチックなレオタード姿の娘・工藤夕貴のバトル。小生意気な孫を捕まえた植木は懲らしめるべく、手を孫娘の(自主規制)…。

 60年代のカリスマ的お笑いヒーローが、あろう事かまだローティ―ンだった工藤に芝居の上とは言えこんな行為に及ぶなど今では信じ難い話だが、当時のマスメディアは「笑えれば何でもOK」になっていた時代。人気TV番組『俺たちひょうきん族』では芸人が平気でうら若き女子アナのスカートめくりをしていたそうだし、映画でこういうシーンが登場してもさもありなん。そういう意味ではバブル期に向かう80年代を象徴する作品。植木&工藤にとっては黒歴史以外の何物でもないこのシーン、DVD化された現在も削除されてないのかしらん。

 

42・『ラブホテル』(85年 監督・相米慎二)の村木(寺田農)

 相米慎二・監督、石井隆・脚本。作家的に凡そ共通項のない顔合わせだったが相米は相米の、石井は石井の流儀を通した事でロマンポルノ史上に残る傑作に。経営していた出版社が倒産しその代償として妻を凌辱された村木(寺田)が、自殺する前に意趣返しでホテトル嬢・名美(速水典子)を呼び自分も凌辱しようとしたが、名美の魅力に絆され死も思い止まった。数年後タクシー運転手として名美と再会した村木は、昔の恩返しに彼女のピンチを救おうとする。

 ロマンポルノでも1シーン、1カットを押し通そうとする相米に対し、石井はお得意の擦れ違い的な愛を描いた訳だが、村木の人柄を印象付けるシーンも強く記憶に残っている。がらんどうになった出版社の部屋の窓から飛び降り自殺をしようとする村木。窓を開け下を見ると寒空の下、舗道にボロ着を重ね着しミノムシみたいになっている浮浪者(ホームレス)の姿が。村木は思わず「気を付けろよ、風邪ひくぞ~」とか声をかけて励ますのだ。自分よりもっと下の人間に対するシンパシー。こういうシーンは相米作品では、先にも後にもなかったな…と思う。

 一度きりで終わった相米と石井の豪華タッグ。結果的にはそれで良かった。何度も顔合わせたらやっぱり何かの弾みで決裂したと思うから。

 

43・『台風クラブ』(85年 監督・相米慎二)の三上恭一(三上祐一)

 とある田舎の中学校に台風が訪れる一夜の出来事を中心に描いた相米の代表作。教師(三浦友和)が誤って学校の門に施錠して帰ってしまった為、何人かの生徒が校内に取り残されたままになってしまう。屋外で台風が吹き荒れると合わせる様に、生徒たちも心の施錠が外れたかの如く破天荒な行動を取り始め…。

 無軌道に振る舞う生徒の中にいつもは真面目な優等生・三上(三上)がいる。前日から兄と何やら哲学的な会話を交わし不穏な雰囲気はあるのだが、実際の所そこまで深刻に考えている素振りもない。彼のクラスメートのガールフレンド(工藤夕貴)は学校を欠席し嵐の中東京に家出。狂騒の一夜も台風の通過と共に去り他の生徒が落ち着きを取り戻す中、三上は突如昨日の問答の解答めいた事を口走った後、教室で机を積み上げ窓から飛び降り自殺を決行。そのゲーム・オーバー感覚が凄い。理屈を付ければ夜電話をした時の、教師の態度に「大人社会」のいい加減さを感じそれに絶望したから…という事なのだが、観てる分にはもっと即物的な死に感じた。そんな意図不明さが、実は本作の魅力にも繋がっている。

「三上恭一」を演じた三上祐一は、その後中原俊の『櫻の園』(90)他数本の映画に出演後俳優業を引退。本作封切時は知らなかったが、相米の『翔んだカップル』(81)に出演した鶴見辰吾の実弟であった。

 

44・『魔性の香り』(85年 監督・池田敏春)の秋子(天地真理)、『沙耶のいる透視図』(86年 監督・和泉聖治)の神崎(土屋昌己)

『魔性の香り』は主人公(ジョニー大倉)が助けた、夫の暴力に耐えかねて家出した女(天地)が殺人事件の犯人の疑惑をかけられるサスペンス風ロマンポルノ、『沙耶のいる透視図』は、80年代初頭に興隆した「ビニール本」業界を背景にした愛憎ドラマ。全く性質の異なる両作品だが、共に主人公が窓越しに屋上から飛び降り落下していく女(男)の姿を見る…というラストシーンになっていた。何故か?

 それは両作とも脚本を書いたのが石井隆だったから。このラストシーンは石井作の劇画『雨のエトランゼ』から拝借した物だ。79年に描かれた『雨のエトランゼ』は100頁以上に渉る、石井劇画としてはかなりの大作になる傑作。あくまで俺の推測だが、まだ「映画監督」ではなく「脚本も書ける劇画家」だった石井は、誰かが『雨のエトランゼ』を監督し映画化してくれる事を期待していたのではないか?

 だがその願いは適えられる事は無く(企画として持ち上がった可能性はあるが)、石井はそういう未練的な気持ちを断ち切るべく、他の作品の脚本にこのラストシーンを書いたと考えてもおかしくはないだろう。この両作製作時点でも未だ石井隆は「映画監督」ではなかったし、映画監督になれるとは露ほども考えてなかった可能性も高い。

 

45・『塀の中の懲りない面々』(87年 監督・森崎東)の城山(柳葉敏郎)

 86年に発表されベストセラーになった安部譲二の同名小説の映画化。厳しく管理された刑務所内で生きる受刑囚たちの姿を面白く、かつ少々哀しくも描いた松竹作品。原作者の安部自ら受刑囚に扮し出演。目立ちがり屋な人物だっただけに映画出演にご満悦だったのでは。

 様々な囚人たちのエピソードが描かれるが、登場人物の中に作業休憩時間も肉体訓練を怠らない若者がいる。その正体は前半では全く分からないが後半のクライマックスシーンで知れる。海の向こうで人質を取った旅客機ハイジャック事件があり、人質との交換条件として「同志」の釈放を要求しているらしいという事が囚人仲間にも伝わってくる。その同志が件の若者だった。

 彼は「来るべき時」に備えて訓練を怠らなかったのだ。ヘリコプターが刑務所に現れ、そこから垂れた縄梯子を伝って彼は堂々と出所する。『インターナショナル』を高らかに唄いながら。思想の是非は別にして、信念を貫き通し「革命」の夢を適えようとする若者の姿は感動的。喜劇映画監督であると共に「反権力」というテーマを貫き通した、異端の監督・森崎東らしいシーンであった。

 今や『踊る大捜査線』の「室井警視」以外のイメージを想起する事が難しい柳葉敏郎にも、こういうエッジが効いた役柄を演じた時代もあったのだな。

 

46・『いじめて、ください。アリエッタ』(89年 監督・実相寺昭雄)のホテトル嬢の客(清水大敬)

 鬼才・実相寺昭雄は80年代後半から90年代前半までアダルトビデオの制作に熱中しており、撮ったビデオは何れも映画ヴァージョンとして公開。本作はその記念すべき第一作。一人娘を抱えヤクザの夫が遺した借金を払わなければならない女(加賀恵子)。だが見るからに暗そうで愛想も無く、水商売をやっても客はつかず同僚ホステスの苛めの対象になり、行きついた仕事はSM専門のホテトル嬢。本人にはMっ気ゼロ。でも借金の為、娘の為にやらなければならない。

 眼鏡をかけたサラリーマン風男とのプレイシーンがエグい。「こんな仕事やってお前は人間として最低。タダのゴミ」。やってる事はSMプレイではなく単なる虐待。さすがに屈辱で涙を流す女の態度がまた男の怒りに火を点け、料金に一万円札を女の口に突っ込み尚も延々と続く虐待。散々罵っておきながらも「やる事」はやり、全裸に縛った女を置き去りにして部屋を退出。人間としての品格を疑いたくなる男だが、多分実生活ではペコペコばっかりしている小心者だろう。男を演じる清水大敬はあの黒澤明の『影武者』出演経験もある元演劇人で、キャラクターのなりきりぶりが上手過ぎる。

 アダルトビデオといっても、本作には普通に興奮を煽る様なシーンは一切無し。弱肉強食なバブル時の趨勢を反映したかの如く、哀れな女が虫けらみたいに扱われて死んでいく。アダルトビデオ界でも実相寺昭雄は異端のディレクターである事を実証した作品。

 

47・『浪人街』(90年 監督・黒木和雄)の赤牛(勝新太郎)

 戦前マキノ正博(マキノ雅弘)が撮った群像時代劇のリメイク版だが、監督・黒木和雄というのがピンとこなかった。『竜馬暗殺』の出来栄えを買っての事だろうけど、ああいう青春映画的な内容では無いし…と危惧感を覚えながら観た。結果まあ想定内の出来栄え。悪いという程酷くはないが、本来『浪人街』はこのレベルで終わる企画ではないだろうとの不満は残った。

 そんな中で印象的だったのが、主人公(原田芳雄)の仲間だが裏切り敵側に付き、最終的にはまた味方になるキーマン的なキャラ「赤牛」に扮した勝新。彼の映画全体に対しての異物感は相当な物で、黒木監督も勝新だけはやりたい様にやらせていたのだろう。勝新が夜屋台のうどんを食べるシーンがあった。一口食べると感極まった表情で「ウ~ン、関西と関東のダシの味付けは違うなあ」と、カップ麺のCMに出演したかの如く深い頷き。伏線でも何でもない、ただうどんを食べるだけのシーンで、ここぞとばかり自己流演技をやりきる勝新の役者バカぶりが凄い!

 結果的に本作が勝新最後の映画出演に。スキャンダルの連続で勝プロダクションも潰れ、映画界にも居場所が無くなっていた晩年の勝新。彼の最後の映画演技を観るだけで、一応価値のある作品ではある。

 

48・『さわこの恋 上手な嘘の恋愛講座』(90年 監督・廣木隆一)の一郎(田口トモロヲ)

 確かこの頃「ランバタ」というセクシーダンスが話題になっており、本作はそれと関連づけられて製作されたと記憶しているが…。ヒロイン(斉藤慶子)は料亭の一人娘だが、東京でOLをしながら一流ホテルのオーナーの令嬢と偽り、高級レストランのイケメンシェフと一夜を共に…という設定はありきたりと言えばありきたり。

 ただ実家関連のシーンは面白い。ヒロインは料亭に出入りする魚屋の一郎(田口)と幼馴染。一郎が彼女を好きなのは明白だが、都会の絵の具に染まろうとするヒロインにとって一郎は幼馴染以上の存在にはならない。仕方なく一郎は自分の事を好いてくれる女との結婚を選ぶ。結婚式の二次会はヒロインの実家で行われる。結婚式からの流れで紋付き袴姿の一郎に喜びの色はゼロ。泥酔した一郎はヒロインに恨み言じみた事を吐いたあげく、翌朝急性アルコール中毒で死亡。好きな女の実家で好きでもない女との結婚祝いをしたあげく急死…。女にモテた試しもない俺には、好いてくれる女がいるだけで幸せに思えるのだが、人の気持ちってそんな簡単に割り切れる物ではないはず。誰にも惜しまれない死が様がやるせなかった。

 パンクバンド出身という事もあり、それまではエキセントリックな役柄が多かった田口トモロヲだが、本作の演技が評価され現在の名脇役の道を歩むきっかけに。そして本作の監督・廣木隆一も今は日本一の売れっ子監督だ。

 

49・『僕らはみんな生きている』(93年 監督・滝田洋二郎)の中井戸(山崎努)

 アカデミー賞監督になって以降の滝田洋二郎は重厚な作品作りの監督になったが、元々はコメディ作品で頭角を現した人。本作は山崎直樹の漫画とのメディアミックスの形で映画化。大手建設会社の独身社員(真田広之)がアジアの小国に出張。出迎えた支店長・中井戸(山崎)は本社からの帰国命令のみを楽しみに異国で生活している。直ぐ帰国するはずだった真田だが、軍事クーデターで親日政権が倒れた事で日本人社員たちに身の危険が…。

 中井戸もライバル会社の駐在員(岸部一徳)も妻に同行を断られ単身赴任した。身を隠した洞窟で新しい情報を知るべく短波ラジオに耳を傾ける真田、中井戸たち。ラジオからさだまさしの『関白宣言』が流れる。中井戸は「くだらない歌だ、消せ!」と命じるが、妻に服従を誓わせる歌詞と自分の境遇の落差に中井戸たちが絶句、羨ましげに歌に耳を傾ける所が笑えてしまう。他にも、アジア小国に対する日本の経済搾取みたいな事を言う他社社員(嶋田久作)に、中井戸が「お前は黒柳徹子か」という禁断な?シーンもあった。

 演技派として『天国と地獄』(63)から既に定評あった山崎努だが、80年代から映画を主な活動の場とする様になり重要な作品に度々出演。原田芳雄、藤竜也、緒形拳と並んで日本映画界の重鎮俳優として存在感を示し現在に至っている。

 

50・『アンダー・ドッグ(前編)』(20年 監督・武正晴)の瞬(勝地涼)

「負け犬」をテーマにリングに上がる3人の男の姿を描くボクシング映画で、前後編からなる作品。監督はネット配信ドラマ『全裸監督』を手掛けた人。前編は森山未來、北村匠海、勝地涼のトリプル主演作だが、特に興味を惹かれたのは勝地涼。勝地演じる瞬は大物俳優を父に持つ二世タレントのピン芸人。芸人としては三流所でも親の援助で高価なマンションに住み、ハングリーとは程遠い生活。でも芸人仲間の乱痴気ぶりに付き合うのはうんざり気味。

 そんな彼が「敗けたら芸人引退」を強いられたTV番組の為にボクサー修業。当初嫌々練習していた瞬だったが段々本気モードになっていく。相手のプロボクサーに勝てる可能性はほぼゼロ、でもリングに上がる事が自分の存在証明になると考える瞬。その変化に最初小馬鹿にしていたジムのトレーナーも親身になって彼をコーチ。息子に対し冷ややかだった父親も試合会場に現れ、瞬の最初で最後の闘いが始まる。設定はかなり臭いんだけど、役柄を越えた勝地涼の真剣モードが伝わってきて感動。

 勝地涼は元々はイケメン系俳優だったが、前田敦子との離婚をきっかけ?にこういう癖のある演技にもやる役者へとシフト。ただ本作の三流芸人役のインパクトが強過ぎ、以降の作品の印象が薄くなってしまわないか心配である。

 

 以上映画の出来より想い入れのある登場人物に絞って50本を選んでみました。ダメダメ人間が多いのは俺自身がダメ男で、かつては自分より下の人間に会いたくて映画館に通っていた所もあった。今後もそういう人間臭いキャラクターの登場人物と、日本映画で出会いたいなと思ってます。