21・『竜馬暗殺』(74年 監督・黒木和雄)の中岡慎太郎(石橋蓮司)

 この作品の原田芳雄と石橋蓮司の関係を「バディ」と書いた事があったけど、実は「ボーイズ・ラブ」ではないかとの指摘も。行動が先見過ぎて討幕側からも危険人物と目された竜馬(原田)を斬れと命じられた竜馬の盟友・中岡(石橋)。だがいざ顔を合わせるととてもそんな気にはならず「ええじゃないか」の狂騒の中、ダラダラと数日間を過す事に。そんな中岡の気持ちを知ってか知らずか、竜馬は日本に見切りをつけ英国に渡ると中岡に告げると、中岡は意を決して「竜馬、わしも連れてってくれ」と嘆願。確かにお前と離れたくない的な、ボーイス・ラブチックな台詞である。

 TVでは異常性格の悪役ばかり演じていた石橋蓮司が、本作では憎み切れないロクデナシ的キャラクターを演じ観客の笑いと涙を誘う。故・松田政男は「TV的演技」と批判したが、俺は演劇の舞台で鍛えた彼の実力を感じた。昔知人のバクチ打ちが競馬場で石橋蓮司を見かけたと言っていた事を思い出すなあ。瞼を閉じるとはずれ馬券を握りしめ、チッと舌打ちしている石橋蓮司の姿が浮かんでくる。

 

22・『宵待草』(74年 監督・神代辰巳)の玄二(夏八木勲)

  ロマンポルノ時代の日活正月封切一般映画路線作品。時は大正。遊民生活を送っている大学生(高岡健二)が暇つぶし的に浅草を根城にするアナキスト集団に出入りしたあげく、副団長(夏八木)と共に身代金目的で大物右翼の孫娘(高橋洋子)を誘拐するが、高岡と高橋は旧知の間柄だった。三人は組織と警察の手を逃れ銀行強盗を繰り返しながら転々とする。

 前半は『明日に向かって撃て!』ぽくコメディ調だが、当てどもない逃亡の旅が続く内にしんみりムードに。夏八木の故郷に身を隠そうとしたが親から拒否された末、高岡と高橋は満州に高飛びしようと考え、残る夏八木はどうしたかというと、東京に戻り単独でテロを決行せんとするのだ。テロの是非云々とは別に、ただ官憲に捕まるくらいならばと潔く初志貫徹の選択を選んだ夏八木の、落とし前の付け方には泣けたなあ…。俺もだらけた人生に何か落とし前付けなけりゃあなあと思いつつ、ズルズルと生きてしまっている。

 夏八木勲は新劇界を経て66年に東映でデビュー。その時はパッとしなかったが70年代後半の角川映画の作品に連続出演、主演も務めてブレイク。善玉も悪役もこなすオールマイティな演技派として活躍。同じ東映出身の千葉真一とは同年齢で交流が深かったと聞く。

 

23・『田園に死す』(74年 監督・寺山修司)の私(菅貫太郎)

 

 マルチクリエイターとして活躍した寺山修司の入門映画というか、そんな作品。映画監督(菅)が少年時代の自伝映画を監督。叙情的なトーンの内容で批評家からも賞賛されるが、それは嘘で塗り固めた物であった。現実とのズレを是正する為には、映画世界に入り込み私を精神的に支配しようとする母親を殺すしかない…。文章にすると難解ぽいが、実際に観てみると結構分かり易いのが本作の長所だろう。

 虚構の映画世界でもいざ母親を殺そうとするとなかなか決心がつかない。母に勧められるまま差し向かいで飯を食っていると書割が倒れ、そこは現代の新宿駅東口。他の登場人物が画面を横切っていく前で淡々と飯を喰い続ける私と母。寺山の十八番だった街頭演劇を意識したエンディングだ。交番が直ぐそこにあるという事は、ちゃんと許可申請しての撮影だったと思われるが、それでも多分一発撮りだろう。新宿東口に出る度に本作の事を思い出していた。

 悪役専門俳優・菅貫太郎の主演も意表を突いていたが、実は当初寺山が自作自演で演じるはずだったとか。急遽その代役としての出演だったのだ。

 

24・『県警対組織暴力』(75年 監督・深作欣二)の吉浦刑事(佐野浅夫)

 

 

 広島の某市が舞台。元警察の刑事(菅原文太)と暴力団の若頭(松方弘樹)が立場を越えた盟友関係を結んでいたが、県警から赴任した県警警部補(梅宮辰夫)は刑事と暴力団の交流を厳禁、暴力団壊滅に乗り出した事で波紋が広がっていく。あくまでフイクションだが色々と誤解を与えかねない内容ではある。
 形ばかりの警部補歓迎会が開かれる。部下たちのシラケた雰囲気を見取った梅宮は「陰で私の悪口を言ってないで、堂々と勝負したらどうだ」と言う。菅原たちは顔を見合わせるばかりだが、そんな中「おう、やったるわい」と名乗りを上げたのが最年長ベテラン刑事の吉浦(佐野)。だが年齢も体格も違い過ぎる。案の定梅宮の柔道の投げ技で何度も畳に叩きつけられる。完全にKOされ呻き声を漏らし起き上がれなくなってしまう吉浦の姿がただただ痛々しい。結局吉浦は警察を辞め、暴力団からシノギをもらう情けない人間になってしまうのであった。
 人気ホームドラマ『ありがとう』で存在を初めて知った佐野浅夫だが、日活と出演契約を結んでいた劇団『民藝』に所属、日活アクション黄金時代に大いに貢献した助演一筋人生だったのが、『水戸黄門』で初めて主役を演じる事に。同じく黄門を演じた西村晃と佐野は、共に特攻隊の生き残りであった。
 
25・『黒薔薇昇天』(75年 監督・神代辰巳)のブルーフィルム撮影隊(岸田森&高橋明&庄司三郎)
「ポルノは芸術や。大島はんや今村はんもそう言っとる」と意気軒高なブルーフィルムの監督(岸田森)。ところが主演女優が妊娠したので引退すると言い出し、岸田は新しい主演女優を探せねばならなくなった。ひょんな事から金持ちの二号(谷ナオミ)の弱みを握った岸田は、連れ込み旅館に彼女を連れ込んで…。
 大阪を舞台に非合法映画製作に情熱を燃やす男を描いた、神代ならではのコメディ。谷を口説き落としナニをし始めた岸田が合図を送ると、襖越しに待機していたキャメラマン(高橋)&照明マン(庄司)が絶妙のタイミングで現れそのまま撮影に雪崩れ込む様が面白い。ゲスト的な立ち位置でロマンポルノ出演した岸田の方が濡れ場をこなし、ロマンポルノ常連組で濡れ場は慣れっこの高橋&庄司コンビが本作に限っては無しという逆転現象も、神代ならではの仕掛けか。
 ロマンポルノ出演は本作のみだった岸田森。もっと出演して欲しかったね。ロマンポルノ末期には高橋も庄司も出演は無くなっており、それからしても、もうロマンポルノも終わりだな…と凡そ感じたりはしていた原達也なのだ。
 
26・『新・仁義なき戦い 組長の首』(15年 監督・深作欣二)の井関(織本順吉)
 
 大和田組々長が跡目に若頭・相原(成田三樹夫)を差し置き超穴馬的な井関(織本)を指名。当然相原は面白くなくシャブ中の幹部(山崎努)を騙くらかして組長を射殺させる。だが元流れ者で井関と兄弟分の盃を交わしていた黒田(菅原文太)が「親分の遺言通りアンタを親分にしちゃるから。相原の首はワシが取る」と井関に言った事で混乱状態に。そんなカーアクションシーンも愉しめる『仁義なき戦い』本編とは無関係な作品。
 実力者の相原と文太の間に立たされオロオロするばかりの織本順吉の、中間管理職的な演技がサイコー。既に親分面をしてる相原に「まさか黒田とツルんではないだろうな」と疑われてビビり、黒田からは度々「必ず相原を殺るから」と電話連絡が入って組内での立場は悪くなる一方。相原に恭順を示す為に子分に黒田にヒットマンを放ってはみても、黒田に「あんたの事は恨んでない」と言われ愈々切羽詰まってきたりして。結局相原は黒田によって殺され「しっかりせんとアンタも同じ様に遭うぞ」と脅され漸く親分を受ける決意を固めた井関だが、、こんな頼りないオッサンが跡目になって組はやっていけるのかと心配になる。
 気弱なヤクザをやらせたら右に出る者はいなかった織本順吉だが、本来は新劇俳優でTVのホームドラマなんかでは人情オヤジみたいな役も多く演じており、92歳で亡くなる寸前まで現役俳優の道を全うした。
 
27・『狂った野獣』(76年 監督・中島貞夫)の谷村(川谷拓三)
 宝石強盗を敢行した速水(渡瀬恒彦)は乗合バスに乗って逃走を図る。所がそのバスに銀行強盗に失敗した二人組も乗り込んできてバスジャック。速水は宝石入りのバイオリンケースを悟られない様にしながら、このピンチを乗り越えようとする…。
 やくざ映画ではなくB級アクションに徹した演出。スタント無しで危険なシーンに挑んだ渡瀬のやる気も素晴らしいのだが、一番目立っていたのは銀行強盗犯の片割れを演じた川谷拓三。大胆な事をやる割には小心者で頭も切れず、いつしか人質のはずの速水との立場が逆転してしまう。最初は「ワレ何晒しとるねん!」と威勢が良かったのが、終いにゃいい様にあしらわれ、泣きながらペギー葉山の『南国土佐を後にして』を口ずさむヘタレキャラへと。川谷が属していた「ピラニア軍団」の集大成的な熱演だ。社会に弾かれ続けてきた人間の末路を感じさせられる物もあった。
 本作後川谷拓三は倉本聰に見いだされ殺られ役から人気俳優にステップアップするが、TVドラマでは東映時代とは真逆な、絵に描いた様な善人役ばかりやらされる事に飽きていき、その鬱憤が彼を酒に走らせ命を縮める結果になってしまった。まだ貧しく苦しい事も辛い事も沢山あった東映時代の方が充実感を感じていたのかも…という皮肉な役者人生だった。
 
28・『暴行切り裂きジャック』(76年 監督・長谷部安春)のケン(林ゆたか)
 膨大な数の映画脚本を手掛けてきた桂千穂が、一時期まで「自分の最高傑作」と言っていた作品。ケーキ職人(林)とウェイトレス(桂たまき)は仕事帰りの深夜に車で女を轢いて殺してしまい、その後のSEXが異常に気持ち良かった事から、二人は快楽を求め女を殺した上で交わる。内容の過激さ、クールな殺人描写など完全にロマンポルノ枠を越えた作品なのだが、殺人を犯す時、或いは交わる時の、林ゆたかの一種苦し気で必死な表情が印象に残る。しばしばロマンポルノでは敢えてリアリズム描写を避ける為、凌辱シーンなどでは男がヘラヘラ笑っている光景をよく見かけるが、現実的には有り得ないシチュエーション。そういう演出的な「逃げ」を廃した事で映画的な面白さにも繋がっている訳だ。
 自分に指示したがる相方の女も殺し、全てから解放されたかの様に林ゆたかが夕陽で紅く染まった川べりに溶け込んでいくラストシーンが素晴らしい。これは脚本にばなく長谷部監督か考えて撮ったシーン。人気GSバンド『ヴィレッジ・シンガーズ』解散後俳優に転向しても目が出なかった林ゆたかのブレイク作になった。現在は実業家を経て、再結成されたヴィレッジ・シンガーズでのステージにも度々上がっているとの事。
 
29・『処女監禁』(77年 監督・関本郁夫)の政男(伴直弥)
  
 一応実話事件の映画化だと言われている。昼間はカメラマン助手として奴隷の様にこき使われ、夜は撮影スタジオで管理人代わりに寝泊まりしている男(伴)の唯一の心の拠り所は、スタジオの真向かいにあるアパートに住んでいる美女(三崎奈美)。そんな性的な意味を含め崇拝していた彼女が他の男とナニそていたのを窓越しに目撃した男は、意を決して女を拉致しスタジオに監禁。
 普通ならそこで直ぐ犯って…という展開になるが、男は女にスタジオにあった衣装とセットを利用して女とピクニックに行ったというイメージプレーを愉しむのが凄い。その絶望的に一方通行な二人の関係を見てるとハッピーエンドにならない予想はつくが、男の行動は同じ底辺的に生きていた立場の俺からすると、決して他人事ではなかったと言っておこう。
 監督の関本郁夫としては、高学歴揃いの東映監督陣(中島貞夫も佐藤純彌も東大卒)の中、高卒の学歴で低く見られがちだった、助監督時代の自画像的な物をこの男に重ねていたのかもしれない。となると三崎奈美はさすがに佐久間良子、藤純子ではないと思うが、俺も大好きな石井輝男猟奇路線の簿幸ヒロイン、橘ますみタン辺りを仮想させたキャラクターなのかな?
 
30・『星空のマリオネット』(78年 監督・橋浦方人)の留造(牟田悌三)
 北関東を舞台にした青春映画。族同士のトラブルで暴走族を辞めてしまったヒデオ(三浦洋一)は目的の無い人生を持て余し、それにエンドマークを打つ様にしてバイクを運転し自らトラックに正面衝突…って、何か某アメリカン・ニュー・シネマみたいな幕切れであった。
 ヒデオの父(牟田)は母が病死してからずっと女に縁が無い独り身。ある夜父の自慰行為を目撃したヒデオは哀れに思い、セフレ以上恋人未満な娘(亜湖)にオヤジと寝てやってくれと頼む。夜半裸でいきなり現れた亜湖に狼狽。体を押し付けてくる亜湖に戸惑いつつも「本当にいいのか?」と何度も確認しつつ、巨乳にむしゃぶりついていく牟田オヤジ。かつてはTVの人気ドラマ『チャコちゃんケンちゃんシリーズ』で優しい理想のパパを演じ続けてきた彼が、●●●●やってる姿は何か辛く観ていて涙が出てきたなあ…。亜湖を嫁代わりに暮らしていく事を決意したオヤジはそれで良かったのかもしれないが、結局ヒデオの孤独感をより煽り自爆行為を誘発したとも言える訳で、それもまた物哀しく感じられた。日本映画って暗いね…。