⑪『大幹部・無頼』(68年 監督・小沢啓一)の人斬り五郎(渡哲也)

 68年から始まった日活の『無頼』シリーズは渡哲也の代表作であると共に、日活ニュー・アクション路線の色を決定づけた印象もあった。やくざ社会を憎みつつもそこで生きるしか術がない人斬り五郎。そんな五郎に寄り添う松原智恵子の場違いな純愛、そして大切な同胞を失った事への、五郎の私怨によって行われるクライマックスの殺戮シーン。東映任侠映画の勧善懲悪コンセプトとはかけ離れたやるせなさ感が、劇画が興隆した時代背景にマッチしていたと言えるだろう。

 その『無頼』シリーズの最高傑作が第二作目の本作。五郎を慕う雪子(松原)への送金の為に横浜の組の幹部に収まった五郎だが、汚いやり口で昔世話になった抗争相手の組員だった兄貴分が殺された事で、刃を親分に向けるのだ。

 延々と続くクライマックスの殺戮シーンは場所を転々とし、最後は女子高のグラウンドへと。バレーバールに勤しむ生徒たちの目前に、血だるまになった渡が転げ回る様に現れるラストシーンが忘れ難い。この作品が日活ニュー・アクション期に最も真価を発揮した小沢啓一のデビュー作と知って驚かされた。だが僅か3年あまりでニュー・アクションも終焉を迎えてしまう。

 

⑫『緋牡丹博徒』(68年 監督・山下耕作)のフグ信(山本麟一)

 

 凄みのある悪役として東映任侠映画時代に活躍した山本麟一。そんな彼がたまに善玉を演じると絵に描いた様なお人良し役というギャップがイイ。その善玉での代表作がご存知『緋牡丹博徒』の一作目。山本扮するフグ信はお竜(藤純子)の唯一の子分で、お竜の父を殺した犯人の顔を知る唯一の男でもある。当然犯人がそんな彼を生かしておく訳がなく、卑劣な刃に倒斃れて虫の息でお竜の元へと運ばれてくる。

 今わの際のフグ信の脳裏に浮かぶのはまだ堅気だったお竜の少女時代の姿。内心フグ信はお竜を「親分」ではなく「女」として慕っていた。だが渡世上そんな事を口に出して言う訳にはいかない。そんな「禁じられた恋」を胸に秘めたまま死んでいく姿が切ない。山本麟一だって恋をするのだ…。

 そんな山本麟一だが撮影現場ではやはり凄みを聞かしていたらしく、ギャング映画で山本の妻役の新劇女優が「金●なんて下品な台詞は言えません」と泣いて頼むのを見て「それでも役者か!」と激怒していたという。

 

⑬『緋牡丹博徒・花札勝負』(69年 監督・加藤泰)のバケ安(汐路章)

 

 加藤泰映画を語る上で欠かせないのが常連出演の沢淑子(任田順好)と汐路章。シリーズ三作目の本作では二人に最大の見せ場が用意されていた。線路に飛び込み心中する所をお竜が助けた盲目の娘を連れた母が、ニセお竜としてイカサマで賭場を荒らし回る沢淑子で、汐路扮するバケ安は沢の夫役。ニセお竜は娘の恩に報いて改心したが殺され、バケ安は悪玉親分の代理人、お竜は善玉親分の代理人として因縁の花札勝負に挑む。

 娘の命の恩人と渡世の義理で勝負しないといけない苦渋。勝負はお竜の勝ちに終わったが、悪玉親分は尚も卑劣な手段で善玉親分を殺し、クライマックスの殴り込みシーンへ。バケ安は立場上依然悪玉側に付いている。お竜がバケ安を斬った後娘の目の手術が成功した事を告げると、バケ安は微笑みを浮かべながら息絶えるのだ。

 汐路章を主人公のモデルにした『蒲田行進曲』(82)は絵に描いた様な人情劇だったが、本作ではバケ安夫婦を巡り渡世の掟に絡め取られながらの人情が描かれる。どっちが好みかは人それぞれだが、俺は本作の方が100倍泣けるな。

 

⑭『性遊戯』(69年 監督・足立正生)の爆弾製造マニア(山谷初男)

 

 その経歴からすると足立正生は若松プロ時代からさぞかしデンジャラスな作品を撮っていたのでは…と思われるかもしれないが、監督としては案外そうではなく、本作などドタバタコメディぽくもあったりする。吉澤健らのフーテン3人組が日大バリケート内でキャッチした女(中嶋夏)を凌辱するが、女は直ぐに彼らの仲間みたいになる。以降コントめいたシーンやお行儀良い左翼を愚弄する様なシーンの連続。そんな「退廃的」な作品。

 女の兄(山谷)は自宅に籠って爆弾製造に熱中。1968年10月21日の「新宿騒乱事件」を伝える新聞を見て「しまった!間に合わなかったか」と大袈裟に悔しがる姿が観客の爆笑を誘う。  三人組は全共闘連中を女の自宅に呼び女とやれと命じるが、臆して誰もやらす吉澤が「SEXもできないで革命なんかできるかよ」と言ってさっさとやった後、山谷の製造ミスで爆弾が爆破、全共闘連中は巻き添えを食って全員爆死という結末。

 どんな役を演じても何か憎めないキャラクターが山谷の持ち味で、全編悪ふざけみたいな本作も彼が出演してるお陰で面白く観れた。若松映画出身で映画ドラマのみならず舞台俳優として終生活躍した山谷初男。業界で公認された「ゲイ」だった事でも有名。

 

⑮『緋牡丹博徒 鉄火場列伝』(69年 監督・山下耕作)の江口(待田京介)

 シリーズ1作目から「不死身の松」役で出演していた待田京介が、元やくざで今は小作人争議で小作人側の世話役をやっているという異色の役柄。例によって大物ゲストとして鶴田浩二が登場しいつもの勧善懲悪劇が展開するのだが、最終的にはお竜と江口との恋愛感情を彷彿させる異色の展開も進行。この辺はシリーズに付き物のマンネリを脱したい作り手側の捻り(脚本は笠原和夫)を感じさせる。

 江口は元はやくざでも今は堅気、お竜とは別の世界に生きる人間。二人の間には越えるに越えられぬ河がある。モノローグで交わされる会話が秀逸。「私は渡世に生きる身。女としては片輪」「お前さんは片輪なんかじゃねえ!」。緋牡丹お竜が「女」の側面を垣間見せた作品は、全シリーズ作中本作だけであった。

 任侠映画製作が膨大な数になり主演男性スターが鶴田、高倉、若山富三郎を追加しても追っつかなくなった事で、新たスター候補として白羽の矢が立ったのが菅原文太と待田京介だったという。結局菅原文太が選ばれたのだけど、もし待田だったらその後の東映映画はどうなったんだろうか。

 

⑯『野良猫ロック ワイルド・ジャンボ』(70年 監督・藤田敏八)のデボ(前野霜一郎)

 旧日活最末期に登場した『野良猫ロック』シリーズは、アメリカン・ニューシネマテイストをチンピラ映画に塗し込んだ様な作風が一部で受けた。本作はその第2作。無軌道かつ無為な日常を送っている不良集団に某宗教団体の寄付金を戴こうという計画が持ち込まれる。集団連中の中に見るからに冴えないデボ(前野)という男が。彼はガンマニアでとある高校のグラウンドに旧日本軍の機関銃が埋めてあると主張するが、仲間たちは誰も信用していない。それでもデボは毎夜グラウンドを掘り続け遂に機関銃を掘り当てる。

 他の人はどうだか知らないが、個人的にはこのシーンが本作の白眉。土砂降りの中お目当ての物を見つけた喜びで吠えるデボ…その姿は大きく言えば、俺みたいな世間でうだつの上がらない者の代弁者の姿の如く映ったのであった。ストーリー自体はニューシネマらしい虚しさ募る終わり方ではあったけど。

 前野霜一郎が役者として映画ファンの注目を浴びたのは本作のみ、そして世間の注目を浴びたのはセスナ機を操縦し児玉誉士夫邸の墜落した時であった、報道では熱狂的な右翼青年とされていたけど、当時役者としてスランプに陥り悩んでいたという証言もある。

 

⑰『銭ゲバ』(70年 監督・和田嘉訓)の横山リエ(正美)

 

 とても子供向けとは思えなかったジョージ秋山の漫画『銭ゲバ』の実写化。極貧で辛苦を舐めた少年時代を送った蒲郡風太郎(唐十郎)は金の為なら人殺しも辞さない守銭奴になり、大企業の社長に取り入り令嬢姉妹の姉ではなく、障害者の妹(横山)と結婚した事で信頼を得た後、社長を殺してその後釜に。

 だが姉から父殺しの真犯人と疑われた風太郎は、焦りと不安で狂乱化して、半裸に剥いた正美を「お前は醜い!」と言って鞭打つ(今の映画では絶対NGなシチュエーション)。だが風太郎が本当に好きなのは姉だと自覚している正美は、怒る事も泣き叫ぶ事もなく「貴方は嘘でも私を好きだといってくれた(だから貴方を許す)」と耐え続ける。ちょっと尋常ではない求愛表現というか、被虐に耐え続ける横山リエが切なくて切なくて…。

 俺はミーハーではないけど、知人に教えられて横山リエが妹とやっていたバーを訪れたのは、多分この作品を観たからだと思う。実際に会った横山リエさんはごく普通に社用族向けバーのマダムをこなしており、それはそれで良かったと思った。

 

⑱『初めての旅』(71年 監督・森谷司郎)の純一(岡田裕介)と勝(高橋長英)

 

 ボーイ・ミーツ・ボーイ的なファーストシーンが好きだ。表参道の車道を挟んで偶然目が合った二人の若者。かたや親が高級役人お坊ちゃま(岡田)、かたや貧しい工員(高橋)。そんな二人が目線を合わすだけで意気投合し、舗道に停車中の車を盗み小旅行に出る。ストーリー自体はかなリ他愛ない物であるが、車泥棒がバレて共に警察の厄介になったのに、高橋だけが起訴される格差的な不条理に岡田が激怒。アメリカン・ニューシネマから直輸入したテーマは相当青臭いのだが、それがあまり正当評価される事がなく終わった東宝青春映画ならではの味でもあり、無理をして演出していない所も俺は好きなのだ。

 大作専門監督になった森谷司郎の後年の作品には本作の頃の、若手俳優のいい面を引き出そうという優しさ演出はもう失われていた。実際にお坊ちゃま育ちの岡田がまんまの役(父は東映の社長)を演じているキャスティングの機微もいいし、高橋長英は生き辛い若者役をやらせるとこの時期右に出る人はいなかったな。

 

⑲『人斬り与太・狂犬三兄弟』(72年 監督・深作欣二)の道代(渚まゆみ)

『現代やくざ・人斬り与太』(72)と監督、主演(菅原文太)、ヒロイン(渚)は同じ。敵組長を殺った刑期を務め娑婆に出てきた菅原だが、敵組とは手打済みで微妙な立場に。面白くない菅原は弟分二人と共に組の縄張り内で売春宿を経営して荒稼ぎ。渚は騙されて売春宿に連れてこられ何度も脱走を試みるが捕まり、果ては菅原に凌辱されて処女を奪われ有無もなく菅原の情婦に。

 とある朝。弟分や渚と飲んだくれて起きた菅原は渚の書きかけの葉書を見つける。「こいつサツにタレこもうとしている!」、怒った菅原が読んでみると、それは故郷の母宛だった。「働いていた工場は潰れてしまいましたが、今は別の所で働いています。心配しないでください。皆優しくていい人ばかりです」。自分たちの事を「いい人」と書かれてる事に言葉を失う菅原たち。バイオレンス描写の連続の本作にあって、唯一ホロリとさせられる名シーンだ。

 台詞は一切無くハードな役柄のヒロインを体当たりで演じた渚まゆみの勇気?に感動。歌手でもあった彼女は数年後作曲家の浜口庫之助夫人になり、芸能活動を引退した。

 

⑳『仁義なき戦い 広島死闘篇』(73年 監督・深作欣二)の高梨(小池朝雄)

 東映が任侠路線から実録路線に転じても殺られ続けた小池朝雄。やくざ映画のみならず石井輝男の猟奇映画の常連でもあり、本人曰く「変態的シーンの連続でEDになった」。そんな小池の死に様の一つが『仁義なき戦い』第二作でも拝める。小池演じる高梨は山中(北大路欣也)の親分・村岡の舎弟に当るが子分衆もいない結構お気楽な身分。そんな高梨が無期懲役で服役中の山中とム所内で出会い、つい山中と恋仲の村岡の姪・靖子(梶芽衣子)の結婚話が進んでいる事を漏らしてしまう。山中は動揺し脱獄して村岡と対面。

 その場では誤魔化した村岡だが軽口の高梨が目障りになり、仮出所した高梨を殺れと命令。洗脳されている山中は忠実に実行。高梨は出所祝いなのか山中がヤサに飛び込んだ時は愛人と●●●の真っ最中。親切心で忠告した積りだったのに、何で殺されなきゃいけないんだ…。信じられないという表情で目を思いっきしひん剥いて絶命する小池朝雄が半ば悲惨、半ば滑稽である。硬派な新劇俳優、声優としては『刑事コロンボ』の顔を持ちながらも、猥雑なやくざ映画に出演し続けた小池朝雄が俺は好きだ! でもたまにはハッピーエンドな役柄も与えて欲しかったな。