茉莉(小松菜奈)は10年生きれる人は殆どいないという難病「肺動脈性肺高血圧症」を患い2年間の入院生活を送っていたが、漸く通院許可が出た。自宅に帰れて嬉しい気持ちになるはずの茉莉だが、何時死期が訪れるのか分からない不安を抱えての生活は落ち着かない。気分直しに茉莉は病気の事を誰も知らない中学時代の同窓会に出席。そこで居心地悪そうにしている和人(坂口健太郎)と再会し、はしゃぐ周りに付いていけない同士で親しみを覚える…。

 

 所謂難病物作品。原発性肺高血圧症という難病を抱えていた小坂流加という女性が、執筆した小説『余命10年』が講談社から発売され07年に文庫本化が決定した直後病死。その小説を映像化じたのが本作。04年に劇場映画デビューし『新聞記者』(19)で注目を集めた藤井道人が監督を務め、数々の人気TVドラマを手掛け、映画でも『おっぱいバレー』(09)などの脚本を手掛けている岡田惠和が共同脚本を執筆。不治の難病を宣告されたヒロインと、失意の生活から立ち上がろうとする男の恋愛を描く。菅田将暉の嫁になった小松菜奈と『64-』前後編(16年)で俳優としてブレイクしたモデル出身の坂口健太郎とのW主演。興収30億円のヒット。

 

 数か月後。失業し人生に絶望した和人はアパートのベランダから飛び降りたが事なきを得た。和人の友人・毅の連絡で病院に駆けつけた茉莉は自殺未遂の動機を知り憤りを感じる。自分の甘えを自覚した和人は毅の馴染みの焼き鳥屋で茉莉と再会。茉莉は病院での態度を和人に謝るが、和人に病院で茉莉の姿を目撃したと言われドキッとする。だが和人は付き添いの母が病気と勘違いしていたのでホッとする。これをきっかけに二人の仲は深まる。小説家志望の茉莉は大学時代の友人の伝手でウェブライターになり、和人は件の焼き鳥屋で働き始める。二人の仲は茉莉の両親の公認になったが、茉莉は病気の事を未だ和人に言えず…。

 

 緩慢な死の宣告に揺れ動くヒロインの感情を、映像表現を多用し描いている。1年がかりで四季を織り込んで撮影されたという映像は美しい。ビデオ撮影が日常になっているヒロインの主観映像がそれに織り込まれている辺りはいかにも今風というか、ありきたりの難病物にしないという演出側の意気込みを感じるし、いつ終わるかもしれない人生を前向きに生きる気持ちと,何をやってもどうせ死ぬんだという諦観が交錯するヒロインを演じた小松菜奈の好演も光っている。問題はW主演なのに男の側の事情が物語的に殆ど描かれず、男が型通りのキャラクターに終始してしまった事。それが原因で30億円の興収を上げながら批評的に無視された。

 

作品評価★★★

(死んでいくヒロインと再生する男という真逆な2つのテーマを同時に描くのは難しいなと感じた。『ドライブ・マイ・カー』の三浦透子が端役扱いで出演していたのが意外。1年がかりでの撮影だったので、本作撮影の頃はまだ『ドライブ・マイ・カー』が上映されていなかったのかな)

 

映画四方山話その999~久々に見た『菊地凛子』『森本レオ』

 年末のドッキリTV番組に仕掛け人役で出演していた菊地凛子を見た。多分何かのドラマの番宣を兼ねての出演だったと思うが、随分久々に顔を見たので「菊地凛子」とテロップが出なかったら、誰か判らなかった可能性は高い。

 ゼロ年代後半の時点で、菊地凛子は世界で一番有名な日本人女優だった。『バベル』(06)の、障害の為に口が利けない女子高生役でヌードも披露してアカデミー賞助演女優賞にノミネート。その後何本か外国映画に出演したがその後外国映画からは撤退、現在はほぼ日本の映画とTVに限定して活動している様だ。

 俺は『バベル』以外の洋画作品に出演している彼女を観た事があるけど、彼女は『バベル』同様のほぼ台詞が無い役だった。その事からも判る様に、彼女は英語がちゃんと喋れないらしく、これでは国際的に活躍したくても無理だ。せいぜい日本を舞台にした洋画作品に出演するのが関の山。ハリウッドなんかでは単に英語を喋れるだけではなく、訛りのない流暢な英語を使えない俳優も出演は困難という事になっているみたいだ。そこに白人ならではの特権意識みたいな物を感じる部分もあるのだが…。

 尤も菊地凛子自身に海外で活躍する希望がなかったのだとしたら、それは仕方のない話だし、今は結婚もして子供もいるんだから本人が今幸せだったらそれでいいんだろうが、やっぱり世界的女優になるチャンスを棒に振ったのは勿体ない話だなあと思ってしまう。それでも彼女の国際的な知名度を期待してヒロインに据え世界公開を狙った『ノルウェイの森』(10)はどう考えてもミスキャストだったし、映画の出来も低レベルで散々な結果に終わってしまった。

 別の番組で森本レオも見た。ナレーターとしては今も彼の声をTVで自然に聴いているとは思うけど、本人の姿を見たのは十数年ぶりの事だったのではないだろうか。

 もう30年程前の話になるが俺と森本レオは同じ街の住人で、街角で歩いている森本レオを見かける事も度々あった。とある日曜日の午前中の事。俺は森本レオが20代前半と思われる若い娘と二人連れで歩いているのに出くわした。その時は「一緒に歩いてるのは森本レオの娘さんだな」と思い、親娘で散歩なんて微笑ましいな…と呑気に思っていた。数か月後のやはり日曜日の朝だったと思うが、また森本レオと若い娘の二人連れに出くわしたのだが「何か変だぞ」と気が付いた。何故ならその時の娘は同じ20代前半ぽくても、前回見た娘とは全く別人だったからだ。その時の事が釈然としないまま月日は流れていったが、それが「異文化交流」だったと判ったのは随分後からの事であった。

 年より若く見えるとはいえ既に50代にならんとしてた森本レオが、若い娘にモテキだった理由は、多分TVで観る時の彼と素顔の彼に殆どズレがなかったからでは…と推測される。どんな有名芸能人でも若い娘と会ったりするとやに下がったり、変にカッコつけたりするのは当たり前にあるだろう。でも森本レオがTVの感じのままの物腰と声で接してきたら、年齢差のある娘でもついついもっと話していたい…みたいな気持ちに駆られちゃう気持ちは判る。引退した某女優が取材なんかでやたら「自分は自然体」とアピールしていたが、森本レオは俳優デビューした頃から生き馬の毛を抜く様な芸能界で自然体にやりたい風に行動してきた、希有な人であったと言える。

 俺のバンドのギタリストだったHは昔、ごく普通の居酒屋で居合わせた森本レオと酒を呑んだ事があるって言ってた。森本レオみたいな有名人が見知らぬ一般人とサシで呑む事自体異例だが、普通に会話を交わしHとその場にいた彼の友達の分まで、呑み代を気前良く払ってくれたという。

 ただHの友人が冗談で「大物芸能人の森本レオさん」と言った時には、素で怒って「そういう言い方は止めろ!」と釘を差されたとか。本人に「俺は特別」みたいな意識は無いし、そう周囲に見られる事にも反発があるのだろう。そんな普通は穏やかそうな物腰ながら、時には硬派漢ぽい部分を垣間見せる所にも女心をくすぐられるのかしらん。そういう口説き方で、かつてキュートな女性タレントとナニした事もあったらしい…。

 久々に見た森本レオはさすがに加齢していて、多分異文化交流はもうしてないと思う(笑)が、殆どの昭和の脇役俳優が鬼籍に入ってしまった現実を考えると、加齢したとはいえ現役で活躍している昭和時代の役者は貴重。まだまだ頑張って欲しいと思う。映画で主役を演じた事は一度もないけど、70年代後半から80年代前半のATG映画には頻繁に出演していたなあ…。

 映画日誌の次回からは『映画四方山話第1000回ファイナル企画特集』が始まります。フィナーレという事で、日本映画の「俺が愛した、ダウナーに素敵な人たち」について書いてみたい。