もう30年ぐらい前の話だが、新宿東口広場でキラー・カーンの姿を目撃した事が。遠目からも直ぐにキラー・カーンと判った。似た人なんてこの世に誰もいない。大柄な体を猫背気味に歩いている姿は既に現役でなかった事もあり、一抹の侘しさみたいな物を感じた。まだ50代ではなかったしリングを降りるには早過ぎた。

 70年代から80年代にかけ単身海外で闘った日本人レスラーで、一番ブレイクしたのはキラー・カーンだと言われている。1976年より『新日本プロレス』所属の身でありながら海外に長期遠征、本名・小沢正志からモンゴル人ヒールキャラ「キラー・カーン」に変身。殺人キック、奇声を上げて放つモンゴリアン・チョップ、巨体を利したロープ中段からのWニー・ドロップを得意技とし全米マットを荒らし回り、80年12月にはボブ・バックランドの持つWWF(現『WWE』)ヘビー級王座にも挑戦。そんな活躍ぶりを、長らく彼を海外に置いてきぼりにしていた新日フロントから認められ、漸く日本帰国命令が下る。

 だがそれは本人が思い描いていた「凱旋帰国」とはやや違った形だったらしく、直ぐ長州力らの「革命軍」(後に「維新軍」と改名)に入れられ「正規軍」との対抗戦の渦の中へ。その間もシリーズ・オフには米国マットでも闘い、あの有名なアンドレ・ザ・ジャイアントの足を折り病院送りにした試合(勿論アングル含みだが)も、日本と米国を往復中に組まれた試合だった。おそらくキラー・カーンは日本に定住してなかった為に、日本マットの流れを完全に把握していなかったのではないか。維新軍参加を経て『ジャパン・プロレス』所属になる過程も、周囲に誘われたという単純な理由での選択だった様に思われる。

 85年に『ジャパン・プロレス』は新日と手を切って『全日本プロレス』に闘いの場を移す。ここでキラー・カーンを疑心暗鬼にさせる事が起こる。移籍に当り支度金(契約金)がジャパン・プロレスから出たのだが、全盛期には米国マットで週600万円稼いでいたという彼にとっては、信じられない額。気になり同僚である小林邦昭に確かめてみると、小林はキラー・カーンの5倍の金額をもらっていた。後で調べたらジャパン・プロレスの顔役的な某レスラーが、タニマチからキラー・カーン宛に渡された金を大量に抜いていた(ちなみにその某レスラーとは街角で擦れ違った事がある。リングの上のファイトとは真逆な荒んだ容貌をしており、擦れ違うだけで緊張を感じた)。問い詰めようにも縦社会のプロレス界で、大相撲でもプロレスでも先輩に当たるとあっては、泣き寝入りするしかなかったという。

 マイティ井上の証言によると、全日入りした彼が、フリーとして全日のリングに上がっていたグラン浜田と寛いでいると、いきなりドアを開けてキラー・カーンが入って来てグラン浜田を殴打したという。これは彼が「テムジン・モンゴル」というリングネームでメキシコのリングに上がっていた頃の遺恨。浜田は体が小さく新日のリングでは苦労したが、遠征したメキシコマットではベビーフェイスとして大成功し、当地に滞在して闘うと共に新日ルートで遠征してくるレスラーの面倒見役を仰せつかる様になる。だが浜田は他の日本人レスラーが人気を得ると自身が食いっぱぐれるかもと考え、様々な妨害工作をしたと言われている(尤も現役引退後キラー・カーンとグラン浜田は対談しており、その後遺恨は消えたと思われるが)。

 そしてキラー・カーンを人間不信にした最大の原因が長州力の新日Uターン。新日に唾を吐いて出て行ったはずの長州が出戻りするなんて…と思ったのはキラー・カーンだけではなくて、ジャパン・プロレス所属レスラーの半分以上はこの時長州と袂を分っている。この件でプロレスにすっかり嫌気がさしたキラー・カーンはプロレスラーを突然引退。半世紀近く経って、ノンフイクション作家の田崎健太が長州力の半生記本執筆の為、キラー・カーン経営の酒場を訪れて話を聞かせて欲しいと頼んでみた所、キラー・カーンは長州の名前が出ただけで激怒、最初は取りつく島もなかったという。

 今も昔も米国マットには「所属選手」はいない。プロレスラーは団体もしくはプロモーターと個人契約を交わす。いざ契約すると後は自力でのし上るしかない。米国にも日本と同じ様にアマチュアスポーツの実績を買われ鳴り物入りでプロレス入りするレスラーがいるが、いざリングに上がれば経歴など関係なく、一番客受けするレスラーがトップに立てる…と超明解。その意味では全てのレスラーが公平にチャンスを与えられていると言えよう。

 日本のプロレスの場合は基本的に団体所属選手が団体内でシノギを削る事になるのだが、完全な縦社会の為に有望でも先輩に潰される選手はいるし、トップに立つ為には平気で卑劣な手段、裏切り、騙しなど何をしても結果的に黙認みたいな事が、80年代ぐらいまでの日本プロレス界では当たり前に横行していたのだ。

 自分の力だけで全米№1ヒールにのし上がったと自負していたはずのキラー-カーンとしては、そんな陰謀や妬みが渦巻く日本でのレスラー生活は納得できない事だらけだったのだろう。2022年。癌である事をカミングアウトしたキラー・カーンの口から出たのは、日本に完全帰国する際に別れてしまった米国妻の事であり、リングの上では好敵手だったアンドレの名前だった。同じ釜の飯を食った日本人選手、或いは猪木を始めとする日本のレジェンド選手の名が出る事はなかった。

「天国でアンドレと酒を呑みたい」。今頃は乾杯しているんだろうが、うわばみなアンドレの相手するのは大変だとは思う…。